第二章:平凡……それは幻想

第7話 縮まらない距離

 体が痛い。とても痛い。本当に痛い。

 これは寝違えたとか、筋肉痛だとかそういう痛みじゃない。完全に殴られたような痛みだ。

 先日、御島にセクハラ紛いの行為をした小林に巻き込まれて、俺まで本でどつき回された。

 あの本はそんなに分厚くもなかったはずなのだが、殴られるとかなり痛い。その証拠に、落ち着いた後の本はもう原型がなく、彼女の本ラッシュの衝撃を物語っていた。

 本は小林が半泣き状態で回収し、夕飯時にはどこかしんみりとした空気と不機嫌な空気と何か楽しそうな、よくわからない空気が混ざる、カオスな夕飯だった。

 まだ学校も始まっていないというのに、これだと先が思いやられる。

 そして今現在、俺はそれを身をもって実感している状況にある。


「な、なぁ御島さんや? 喫茶店の仕事はどうだい? やっていけそうかい?」


 優しいオーナーみたいな感じの演出をして話しかける。

 時刻は三時過ぎ。相変わらず客はいない。

 少し前、今朝届いた荷物の整理が終わったらしい御島が仕事の手伝いを申し出てくれたのだ。

 正直、この時間は全くやることがないので部屋で休んだらどうかと言ったのだが、忙しくなる前に教えてほしいと真剣な顔でお願いされてしまってはやるしかない。

 俺は取り敢えず接客の基本とコーヒーの入れ方等の客が居なくても出来そうなことを教えた。

 そのときは普通に喋ってくれたのだが、それが終わると。


「…………」


 御島は全く喋らなくなった。それどころか、カウンター席で本を読み始めてしまった。

 話しかけても「うん」とか「そうだね」とか「…………」とかばかりで、空気が重くなる一方だ。

 だから必然的に俺も黙るしかないわけで……。

 彼女は気にしてないのだろうが、知り合いが目の前にいるのに何も喋らないという空気というのは妙に居心地が悪い。

 俺はなんとか話題を探そうとして。


「さっきから何をソワソワしてるの?」


 何事か唸っていると、いつの間にか本から視線をあげた御島が訝しむようにこちらを見ていた。

 どうやら相当挙動不審だったらしい。


「いや、明日学校でクラス替えだろ? 何か楽しみで……」


 適当なことを言った。

 いや、あながち間違えではないのかもしれない。

 喫茶店の面子を見て分かる通り、なかなか個性的なメンバーが揃っている。唯一常識人(自称)な俺にとってはなかなか疲れる場所だ。

 それを思うと、学校という場所は、俺の心のオアシスと言っても過言ではない。


「学校が……楽しみ?」


 御島には理解できないのか、少し首をかしげている。

 まあ、健全な学生なら当然の反応だ。

 特に長期連休明けなんかは「だるい」だの「かったるい」だの「超だるいんですけど~」だのと、お約束のように皆が言う。でも何だかんだで皆、連休明けは意外と楽しそうに思い出話に浸ったりしているので、現代っ子は素直じゃない。


「私はあんまりかな……うるさいだけで、何も楽しくない」


 そういう彼女は淡々としていて、心からそう思っていると感じさせた。


「そ、そうか? でも、友達と喋ったりするのとか楽しいじゃん?」


「別に……。本読んでる方が楽しい。だから、気を遣わないで良いよ」


 そう言うと、御島は再び本に視線を落とした。

 きっと彼女は、一人でいることが好きなのだろう。

 そして、それについてきっと何か言われたこともあるんだろう。

 全員が群れてワイワイするのが好きなわけじゃない。一人で、静かにするのが好きなやつだっている。

 確かに、人数的には群れてワイワイの方が多いだろう。だから、一人のやつを見ると、見下したり、バカにしたりする連中がいる。

 それは人が多いから。それが当たり前だから。

『赤信号、皆で渡れば怖くない』という言葉はまさに、この人間の心理を表している。

 群れれば取り敢えず大丈夫な気がする。何かあっても助けてくれる人がいる。確かに良いことだ。

 だからと言って、一人でいることが悪いわけじゃない。

 誰だってたまには一人になりたいときだってある。御島の場合はそれが人より多いだけだ。

 何もおかしくなんかない。

 けど、全く人と関わらずに過ごせる人間がいないのも確かだ。

 俺は息を吐きながら頬杖をついて、何の当たり障りのない話題を振る。


「そういえば、御島って同じ学年なんだよな?」


 俺の質問に御島は面倒臭そうに顔を上げる。


「……そうだけど。川島君と同じ二年」


「だよな……。でも、一緒の学年なのに見かけたことないな」


 クラスは何個もあるし、見たことがないのも当然といえば当然だが、大体の人は言葉を交わせば『あ、何か見たことあるわ』くらいには感じる。

 そんなことを思っていると、御島はふと視線を逸らした。


「……私、影薄いから気が付かなかったんじゃない?」


 あ、ヤバい。何か地雷臭い。

 言っちゃなんだけど、友達が多くいるタイプには見えない。何かフォローを。


「い、いや、そんなことないって! ただ、俺が周りに関心がないだけだから」


「もういいよ。クラスの人にも『さん』付けで呼ばれるし、クラスの係決めで私だけまだ決まってないのに全員決まったことになってるし……それで怒られるし……」


 どうしよう。この地雷原、早くも無事に渡れる気がしない。

 というか、もう何個か踏んでる気がする。


「もうちょっとポジティブにいこうよ……。『さん』付けなんて人によってはすると思うし、係決めで気づかれないのだってよくある話だって」


 俺は慣れないフォローを身振り手振りを付けてするが、御島の表情がどんどんと曇っていく。


「というか御島の場合、寧ろ悪目立ちしそうっていうか……ああ、もちろん良い意味でだよ?」


「最後のフォローはさすがに無理があると思うけど……」


「デ、デスヨネ」


「…………」


 会話終了。

 店内には沈黙が降り、空気の色が目に見えて分かりそうなほど暗い。正直、喋りかける前の空気の方がまだマシだったように思える。

 そんな空気のなか『今ので何個地雷を踏んだのかな』という無駄な思考を振り払い、早くも心の中で助けを求めていた。

 椎名先輩! 小林! 助けてくれ!


「「…………」」


 当然、そんな都合よく現れるはずもなく、沈黙は続く。

 どうでも良いときにはいつも居るのに、居て欲しいときに何であいつらはいないんだ。居ても居なくても迷惑とかどうなってんだよマジで。いつも迷惑ばかりかけてるんだから、居て欲しいときくらい居てくれよ!

 と、なかなかに理不尽なことを思っていると。


「あの……」


 いつの間にかこちらに視線を戻していた御島から意外にも話しかけてきた。


「さっきも言ったけど……。そんなに気を遣わなくて良いよ」


 その言葉は遠回しに喋り掛けるなと言われてるような気がした。


「そ、そうか……」


「うん」


 そしてまた、静かな時間が流れる。

 これ以上話しかけても恐らく、進展するどころか悪くする一方だろう。

 だが、いつもの小林や椎名がいる騒がしい空気に慣れていたからか、やっぱりこの沈黙は苦痛だ。


「な、なぁ……」


「……なに?」


 御島は薄くため息を吐きながら、ギロリと横目で睨む。


「いや、何読んでるのかなと思ったんだけど……やっぱり良いです」


 ふぇぇ……怖いよぉ。ちょっと話し掛けただけで睨まれるとか超怖い。

 俺は御島との会話を諦めて、コーヒーでも作ってこの気まずい空気を乗り切ることにする。

 最近、暇があればコーヒーばっかり飲んでる気がする。もしかしたら、カフェイン中毒かも……。

 などと考えていると。


「……と」


 ボソボソと小さな声が聞こえた気がした。


「えっ、なに?」


 聞き返すと、御島は少し困ったような表情をすると、今度は本のカバーを外し始めた。


「……はい」


 少し恥ずかしそうに表紙を見せながら御島は本から目の上を出してこちらの様子を伺う。

 俺は少し前屈みになり、表紙に書いてあるタイトルを読み上げる。


「えっと……ホワイト、アウト?」


 雪の降る公園で、一人の少年が膝をついている表紙だ。そこからは重そうな内容を想起させる。

 そしてこの本のタイトルと表紙には見覚えがあった。


「これって確か……冬に閉じ込められた街で様々な怪現象と遭遇するっていう……」


「知ってるの?」


 意外だったのか、御島は本を顔から離して目を丸くした。

『ホワイトアウト』は記憶を失ってから人と絡むことが少なくなった時に読み漁っていた本の一つだ。

 この本には『ホワイトアウト』の他に、『ブラックアウト』という続編がある。続編の名前は安易すぎる気もするが、中身は中々面白かった覚えがある。


「これすごい面白いよな。俺は続編まで読んだんだけどさ、その続編に入るときの演出がすごくて……」


 本の話なら乗ってくれるのかと、感想をツラツラと並べてみるが、御島は呆然としたまま動かない。

 試しに顔の前で手を振ってみると、意識が戻ったのか、目をパチクリさせた。


「どうした? 変な顔して」


「ごめん。この小説読んでる人と初めて会ったから……」


 そう言う彼女の顔は気のせいか、少し嬉しそうだ。


「えっ、ああ……この話、結構重いもんな。序盤なんて特に」


 内容を思い出してみると、確かに一般向けではないのかもしれない。

 始まりは主人公とその家族の幸せな風景が描かれており、最初はほのぼの系で行くのかと思っていた。だが僅か十ページで主人公以外の全員が殺されてしまうという、とてもショッキングな始まり方なのだ。

 かく言う俺も一度本を閉じているわけで、暇じゃなければきっと、この本の面白さには気が付けなかっただろう。


「御島はどこまで読んだんだ?」


「これ、三回目だから……内容は全部知ってる」


「三回目!?」


 驚きながら、改めて本を見る。

 大きさもそうだが、分厚さも中々ある。それに加え、この本は他の本よりも文字を敷き詰めて書いているので、三回読むとなると、かなりの時間が必要なはずだが。


「すごいな……。御島ってもしかして、本の虫ってやつか?」


 そう言うと、ピタリと本のカバーを付け始める手が止まった。

 ヤバい。また地雷臭い。


「私は……虫じゃない……。虫じゃないもん!」


「いや、『もん』って……」


 やはり地雷だったようで、御島は若干キャラ崩壊を起こし始めている。

 よっぽどのことを本の虫にちなんで何か言われていたのだろう。大体想像つくけど。

 それにしても心の傷、多すぎやしませんかね。まだ喋り始めてからそれほど経ってないのに、もう二つも地雷踏んでるんだけど……大丈夫なんですかね。


「何を言われたのかは知らんけど……元気出せよ?」


 などと、戸惑いながら慰めの言葉を口にして思う。

 御島とも、なんとかやっていけそうだなと。

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