第3話 新たな住人




「いらっしゃいませー」


 カランと来客を告げるベルが鳴り、俺は両手に食器を乗せながら声をあげた。

 もう昼過ぎだというのに、今来た客で今日は五人目。大丈夫かよこの店と思うも、五年間も営業できているのだから不思議だ。

 もしかしたら、営業資金を集めるために店長は店を開けているのかもしれないと、思わなくもない。

 ちなみに本当の店長である千藤千歳(せんどうちとせ)には会ったことがなく、声だけしか聴いたことがない謎の人だ。

 いつからいないのか分からないが、少なくても一年は店を開けている状態だ。だが、考えてみればここの喫茶店のメンツだけで店を回すなんて無理だと思うので、きっと俺が来るまでは店に居たのだろうと推測する。

 俺は客を待たせまいと足早に厨房へと戻りながら、ふと遠目でお客を確認する。

 見ると、俺と同じ学校の制服を着た少女だ。肩より少し長めの黒髪と右目の下の泣きぼくろが特徴的な少女だ。

 両手で本を胸の真ん中に抱き寄せて、挙動不審に店内を見回している。見た感じとても大人しそうな子だ。

 俺は急いで食器を流し台に入れると、接客しに店内へと戻った。


「お待たせいたしました。一名様ですね? こちらの席へ……」


『どうぞ』と言う前に、彼女に言葉を遮られた。


「……あの!」


「へっ!?」


 案内しようと背を向けた瞬間、急に服の裾を引っ張られ思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 俺は誤魔化すように咳払いをし、彼女に向き直る。


「えっと……どうなさいましたか?」


「その、私は客じゃなくて……千歳にここの店長に聞けば分かるって言われて来たんですけど」


 人見知りなのか、俺と全く目を合わせようとしずにずっと俯いたまま両手で本を強く抱き締めている。

 彼女はきっと何も悪くはないのだろうが、千歳の名前が出た時点で嫌な予感がする。そもそも、その店長は千歳であって俺はあくまで代理だ。しかも何も聞かされていないのだから、何を聞かれてもわからない。

 俺は早くも面倒臭くなり、走って逃げ出したい衝動に駆られるが何とか踏みとどまる。


「あの、店長は今どこに?」


「あ、ああ……その店長なんだけどな、俺なんだ……」


「……え?」


 よほど驚いたのか、俯いていた顔をバッと上げた。

 まあ無理もない。どうみても店のトップをやるには若すぎるだろうし『実際は高校生なんです』なんて言ったら『バカじゃないの?』の冷たい一言で瞬殺されそうだ。

 そんな事情を彼女が知る由もないわけで、彼女が俺のことを胡散臭そうに見ているのは当然と言えば当然だ。

 俺はどう説明したものかと考えながら、口を開いた。


「そのだな……正確に言うと、俺は店長代理で本当の店長はその千歳さんなんだ」


「店長代理?」


「そ。何か知らないけど、しばらく店を開けることになったみたいでな、俺が代わりに店長をやることになったんだよ。まあ、完全に肩書きだけで、やってることは他の従業員と変わらないんだけどな」


「じゃあ千歳は、まだしばらく帰ってこないってこと?」


 少し不安そうな声音で彼女が言った。

 順調に最初の時の俺と同じような道を進んでいるな、といざ見る側に立ってみると微笑ましく思える。


「多分まだ帰ってこないんじゃないかな? 俺が入った時にはもういなかったし、それから一年経ってるけど、一度も顔を見せたことがない。声は聞いたことあるけどな」


「た、大変そうだね……」


「ああ、大変だ」


 あっさりと認めた俺に、彼女は少し驚いた表情をする。


「しかも、ここの連中は少しだけ個性的というか、変人というか……」


 俺はふと足元に視線を落として、一年間の出来事を思い出す。


「そうだな……一番酷いのだと、学校の屋上からバンジージャンプしたときかな」


「えっ、え? バ、バンジー?」


「ああ、朝起きたら学校の屋上で全身を縛られて転がされててさ、起きたと同時に落とされたんだ」


 ふと彼女に視線を移すと、本来なら信じられない出来事の筈なのに俺の深刻そうな声のトーンから本当だと信じてくれたのか、意外と真剣に聞いてくれている。


「長さの計算をされているかどうかも分からないゴムに迫り来る地面……今でも鮮明に思い出せる……」


 後から聞いた話だが、ゴムの長さは流石に計算していたらしい。

 少女は少しずつ顔色を変えていき、今から自分が住むであろう、ここでの生活に不安の色を見せている。

 そんな彼女の状況もお構いなしに俺は話を続ける。


「まあ、それがトラウマになってな、高いところが苦手になったんだ。ベランダに出るのすら怖いんだぜ?」


 俺は何でもないように笑ってみせる。これが最低限の男のプライド。

 実際、それ以来俺はベランダに出るのすら怖くて、いつも洗濯物でうっかり下を見ないように前を隠したり、ずっと上を見ながら布団を干したりするようになった。一生ものの心の傷を、僅か数秒で付けられたのだ。


「ああ、ごめん。話が脱線しちゃったな。とりあえず俺が店長というところは納得してもらえた?」


 いつの間にか俺のトラウマを回想するような話になっていて、慌てて謝罪する。

 それに対して彼女は少し顎を引いて頷く。


「とりあえずは……」


 まだ煮えきらない様子だが話が進まないので、それはまた機会があれば話すことにする。


「それで?」


「え?」


「いや、別に俺の顔を見に来た訳じゃないんだろ?」


「あ、そうでしたね……」


 コホンと控えめな咳払いをして。


「今日からこの喫茶店に下宿することになってるんですけど、何か聞いてないですか?」


 俺の中で時が一瞬止まった。

 部屋は確かに空いている。だが、こんなに大人しそうな人があの変人たちと馴染める気がしない。

 今まで俺のここでの話をして、他とは違う普通の反応をしてくれた普通な子。そんな子が入ってくれれば、俺の唯一の心の癒しになるかもしれない。もしかしたら、被害も半分になるかもしれない。

 だけど……。

 だからこそ、止めなくてはならない。

 これ以上被害者を増やさないためにも。

 俺は心のなかで静かに決心し、彼女に向き直る。


「俺は何も聞いてないけど……ちょっとそこの席で待っててくれるかな? 千歳さんに電話かけてみるから」


 そう言うと彼女は「わかりました」とだけ言って、近くの席に座るなり本を読み始めた。

 俺はそんな彼女に少し目を丸くした後、コーヒーだけ置いて電話を掛ける。


『そろそろ掛かってくる頃だと思ってたわよ』


「それは助かりますね。なら、どういうことか説明して貰いましょうか?」


 完全に今の俺の状況を楽しんでやがる千歳に口許が自然とヒクつくのを感じる。


『まあまあ、そんなに怒らないでよ。その子、うちの親戚の子なんだけど、親が海外に転勤になっちゃったみたいでね。家で預かることになったの』


「ちょっと待ってください! あんな普通そうな子をここで住まわすのはいろいろ問題があるんじゃ」


『何が問題だって言うのよ?』


「だって小林は変態で女には見境ないし、椎名先輩は話が通じないし、勢いで行動しすぎて訳のわからないような人ですよ? そんなところにあんたは放り込もうって言うんですか!?」


 そんなの可哀想すぎる。

 俺だって最初は親元を離れて、新しい生活にウキウキしたものだが、それを見事粉々にぶち壊してくれたような連中だ。

 今回は卒業して一人問題児が居ないとはいえ、まだ二人もいるのだ。


『あんたさぁ、さっきからあの子のこと庇ってるけど、一つ忘れてないかしら?』


「え?」


 忘れられることなんてあるわけがない。むしろ忘れたい!

 俺がどのエピソードのことかと思い出していると、少し楽しげな声が返ってきた。


『あの子は、私の親戚だよ?』


「それがなにか?」


 そう言われて、とんでもない嫌な予感に思わず聞き返す。


『いい加減に現実を見なさいな。あんただって薄々わかってたんじゃない?』


「や、やめろ……それ以上は」


 なんか仲間をピンチに晒されているのを眺めるしかない主人公のようだが、この場合ピンチなのは俺だ。


『私の喫茶店に、いえ……』


 そこで千歳は言葉を区切ると。


『あんたの周りに、まともなやつなんて現れないのよ!』


「やめろっつってんだろうが! やっぱりかよ、クソ!」


 予想通りすぎる返答に、年上なのにも関わらず言葉を荒げた。

 実はというと、千歳の親戚と聞かされた辺りから完全に目的が変わっていた。彼女を被害者にしないではなく、俺への被害が大きくならないようにするために、と俺の目的は更新されていた。


『そんなことより、あの子にはあんたが色々教えてくれるって言っといたからよろしく』


「そんなこと!? 今そんな事って言いました?」


 ずるずると千歳のペースにはまっていく俺のことを嘲笑うような心の声が、電話越しに聞こえた気がした。


「頼みますから、案内くらいは小林とかにしてもらえないですか? あいつなら女の子と分かっただけで快く引き受けてくれると思いますよ」


『それじゃあ駄目よ。あの子、チャラい人には容赦ないから』


「まあ確かに苦手そうではありますけど……一応聞きますけど、どんな感じで容赦ないんでしょうか?」


 俺は恐る恐るといった様子で聞いてみる。


『んー、そうね……実際に見た訳じゃないから本当かどうかは分からないけど……』


 そこで一旦言葉を区切り。


『しつこく絡んできた男に分厚い本を投げつけたり、角で叩いたりして病院送りにしたっていうのを聞いた』


「…………」


 俺は言葉を失った。

 俺が今から相手にしようとしてるのは相当な危険人物なんじゃないか?

 自分がチャラいつもりはないが、彼女が不快に思えば俺は間違いなく鮮血の海に沈められるだろう。そんなのごめんだ。

 俺がどうやって断ったものかと考えていると。


「あ、あくまで聞いた話だから、全部鵜呑みにはしないように」


 急に黙り込んだ俺に慌ててフォローするが、もう遅い。


『じゃあ、案内はあんたに頼むわよ?』


「お断りします」


『何でよ!?』


 逆に聞きたい。何で了承が出ると思ったのかを。

 ようやく一人トラブルの種が消えたというのに、またここで増やされてはたまったもんじゃない。ここはきっぱり断り、彼女には早々にお引き取り願う。


「あのですね千歳さん。俺の精神疲労はここ一年でメーター振りきってんですよ。このままじゃ死んじゃいます」


『その辺は心配してないわ。安心して』


「それあんたが言える台詞じゃないだろ! 俺の精神はあんたが思うほど頑丈じゃ――」


 俺の台詞を遮るようにして、電話の向こうから千歳を呼ぶ声が聴こえた。


『それじゃ、この後予定があるから、あの子のことよろしくね』


「だからちょっと待って……」


 そう言ったときには既に、無機質な電子音だけが虚しく響いていた。

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