豆をまくは節分の日

長船 改

さァ皆さん、邪気を払いましょう。


 本日、2月3日は節分の日でございます。

 節分とは『季節を分ける』という意味であり、その季節の分け目には鬼が生じると言われております。ですから人々は、鬼に豆をぶつける事によって邪気を払い、一年の無病息災むびょうそくさいを願うのでございます。


 さて、ここはとあるお屋敷――。

 執事である私めがお仕えをしているお屋敷でございます。


「今、家が揺れたね。」

「ええ、揺れたわね。」


 今、言葉を交わしたのはこの屋敷のお坊ちゃまとその母親、つまり奥方さまでございます。


 ええ、確かに揺れましたとも。そして、私めにはハッキリと聞こえました。屋敷内のいずこかで、が上がったのを。


 さァ、だいぶ夜も更けてまいりました。階上の柱時計が、ボン……ボオン……とひとしきり鳴り終わった頃、かみしもに身を包んだ旦那様が姿をお見せになられました。


 私めは、煎り豆のたっぷり入ったますを旦那さまにお渡ししました。


「では、始めよう。」


 旦那さまが手を二、三度お叩きになられますと、応接間の扉が開き、中から十人の若い女の使用人たちが、各々ほうきを手に出て参りました。


『ッシャアアアアアアアアア!!!』


 おや、空気が震えましたね。


 たった今、雄叫びをあげた使用人たちは皆、冬場だというのに汗をかき、体から蒸気が上がるほどです。息は荒く、目は血走っております。とても尋常な状態ではございません。

 旦那さまは瞬間、寒気が走ったように背筋を伸ばされましたが、すぐに気を取り直したご様子で、威風堂々と歩き出されました。

 ……が、私めには分かります。旦那さま、強がっておられます。


 さて。ここで、このお屋敷の豆まきの手順をご説明いたしましょう。

 これからまず旦那さまと私め、それから十人の使用人たちは、お二階に上がり、最奥の部屋へと向かいます。

 全員が部屋に入りましたらば、少しばかり扉を開けた状態にしておきます。

 旦那さまが「鬼は外、福は内」と言いつつ豆を撒きます。それに続いて、使用人たちが「ごもっともでございます」と言い、ほうきでもって鬼を追い出すようにして床を叩きます。

 これを三度、繰り返します。

 それが済みましたらば、隣のお部屋へ。そしてまた隣のお部屋へ。そうしてお二階の部屋の邪気をすべて払いました後は、一階へと移り、また最奥から順繰りにお部屋を回ります。

 最後に玄関口の邪気を払い、おしまいでございます。

 

 さァ、最初のお部屋へとたどり着きました。十二人もの人間が収まるには少々手狭なお部屋ではございますが、致し方ありません。これは儀式なのですから。


 おもむろに旦那さまが豆をつかまれました。今年も絵になりますなァ、旦那さま。


「鬼は~そと~。」 ばっ。

「福は~うち~。」 ばらっ。


 旦那さまがまじないを唱えつつ、豆をまかれました。

 

 そして次の瞬間、この小さなお部屋の


『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』 

 

 ばし!ばししっ!!どばしゃああああん!!!!


 裂帛の気合いと共に振り下ろされる、ほうき、ほうき、ほうきの群れ。


 あまりの剣幕に、旦那さま、首筋にじっとりと汗をかかれております。


「お、鬼は~そと~。」 ばっ。

「福は~うち~。」 ばららっ。


『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』 


 ばしばしばしばし!!!ばしぃっ、どがんどがん!!!


「おにはぁ……そとぉ……。」 ばっ。

「ふくはぁ……う……」 


『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』


 バンバンバンバン!……ひゅんっ。


「ひぃっ!!」


 おやおや。あまりの剣圧……もとい、ほうき圧で、旦那さまの髪の毛が少し焦げたようですな。


「お、お前たち!いくらなんでもやりすぎ……」


『ナ ン デ シ ョ ウ カ ?』


 背後にマグマをたぎらせながら、使用人たちは一斉に振り向きます。

 瞳孔は開き、半笑いを浮かべ、首を斜めに傾けながら。

 おや、そう言えば、あんなに華奢だった使用人たちが、今ではこんな筋骨隆々として。


『ナ ン デ シ ョ ウ カ ?』


 もう一度繰り返す使用人たち。半歩前に進むと、旦那さまは半歩、後ずさりなされました。


「……なんでもない……。」 


 蒼くなられております。旦那さま。 

 いやはや、ですが、まだ豆まきは始まったばかりでございます。


「さァ、次のお部屋へと参りましょう、旦那さま。」


 私めがにっこりとして促すと、旦那さまは消え入りそうな声で「お前もこわい……」とだけ仰られたのでした――。



「おにはぁ~そとぉ……。」 ばっ。

「ふくはぁ~うちぃ……。」 ばっ。

『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』 どごおおおおおん!! 


「おにはぁ~そとぉ……。」 ばっ。

「ふくはぁ~うちぃぃ……。」 ばっ。

『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』 どんがらがっしゃああん!


「おにはぁ……うっうっ……そとぉ……。」 ばっ。

「ふくはぁ……うちぃ……ひぃん……。」 ばっ。

『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』 カッ……!どぐおおおおん!!


 使用人たちの勢いは、一階に降りてもとどまる所を知らず。

 すっかり恐怖のどん底に落とされてボロ泣きの旦那さまを尻目に、使用人たちは、ほうきを思い思いに叩きつけて参ります。

 本来は、ほうきでを叩くものなのですが、まァ壁から家具から照明から。

 そうして我々が歩いた後は、ただただ荒れ果てた野が広がるのみでございます。


 さァ、残すはただひとつ、お玄関のみ。


 先ほどからエントランスホールにて成り行きを見守っていたお坊ちゃまと奥方さまは、旦那さまと違い、実に平然とされております。


「ねぇ、お母さま。去年も思ったのだけど、どうして使用人たちはあんなに揚々としているの?どうしてお父さまはあんなに虚ろなお顔をしているの?」

「それはね。お父さまは普段、お家を守るためにとても厳しく、ともすればただのパワハラでしかないような態度を使用人たちに取っているからよ。」

「そうか。って事は、使用人たちはこの一年で溜まった鬱憤を晴らしているんだね。つまり、鬼を追い出してるんだ!」

「そうよ。」

「ところで、パワハラはこの時代に使っていい言葉なの?」

「いいのよ。フィクションなのだから。」


 実に、平然とされております。


 そんな会話がお耳に届いたのか、はたまた只の自暴自棄やけくそか。

 旦那さまは残った豆を鷲掴みにすると、雄叫びと共に、あらん限りの力を持って玄関に投げつけました。


「鬼はぁぁ外ぉっ!福はぁっ!うちいいいい!!!」 


『『『ご も っ と も で ご ざ い ま す !!!』』』


 ……もはや音すら聞こえません。


「今、家が揺れたね。」

「ええ、揺れたわね。」


 今年も一年、無病息災――。

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