第十一話 恩誼と恩寵 前
あれから木金曜と土日を挟み、更なる
今週の金曜。
――この
「姫ちゃん、一緒にお弁当食べよ?」
「いや、お昼は横手さんと…」
「じゃあ三人で」
「…いいけど。片瀬さんは?」
「今日は三組の人と食べるんだって」
「ふーん。――じゃあ横手さん隣に来るから、舞茸は向かい側ね」
「うん、私も姫ちゃんの隣で食べるね」
とはいえ、この
「――姫嶋さんお待たせー、あれ、今日は一ノ瀬さんが仲間入りしてる」
「横手さん。すいません」
「なんで? 三人で食べたほうが美味しいじゃん。ねぇ舞彩ちゃん」
ま、舞彩ちゃん? なっ、横手さんが、舞彩ちゃん!?
「うん。姫ちゃんの隣で食べると美味しいよ」
畜生…先を越されたか…
無論当惑するよりも早く、私は満面の笑みを
だが
つまり杏花様より
するとこのもどかしさが大地まで
「そういえば土曜の朝も地震あったよね。今日はどこだったんだろう」
「――茨城県南部、震度三だって」
「三なんだ。でも結構揺れたね」
「ねえ横手さん、私も、今から杏花ちゃんて呼んでいい?」
「うん、全然いいよ」
しかし私がお弁当の包みを
「おい舞茸、ちょっとくっつき過ぎだって」
「えへへ」
「えへへじゃないだろ。横手さんもご飯食べるんだから、早く離れなさい」
控え目な命令口調で私がそう言うと、案の定今度は私にくっついてきた。腕だろうが背中だろうが、何度「もういいから」と注意しても、兎に角溶きたての
「――姫嶋さん、舞彩ちゃんにすっかり愛されてるね」
もぉ。横手さんまで何を仰ってるんですか…愛されてるだなんて、そんなの
「でも姫ちゃん、いつも『考えさせて』ばっかりで、全然
「…あたしにだって、段取りくらいあるんですっ」
「――ねえ姫嶋さん。姫嶋さんて、じつは結構寂しがりやさんでしょ?」
「そ、そうでもありませんよ///」
「そうかなぁ。私そういう姫嶋さんが可愛くて好きなんだけど」
横手さんのご
「…///」
「よかったね姫ちゃん。横手さんに褒めてもらえて」
「ぁ…ありがとうございます…///」
「姫ちゃん、耳真っ赤だよ」
「…仕方ないだろっ、嬉しいんだよっ///」
「――照れた顔も可愛いよ。姫嶋さん」
ちょっと待ってください横手さん。今日は一体全体どういう風の吹き回しなんでございますか。私だって人間なんですから、不意にそんな
「…ょ、横手さんも、きらきらしてて…すてきです///」
「…/// あはは…二人で褒め合うと、なんか恥ずかしいね…」
…
しかもどこのシャンプーだかフレグランスだか、
そう思うと、私は横手さんを抱きしめたくてうずうずした。――私も奏みたいに、横手さんの鎖骨の
つまり私の肉体は、ハチャトゥリアン*¹の仮面舞踏会*²とヴァイオリン協奏曲*³を初めて聴いたあのときのように、横手さんの官能的な芳香によって
…とはいえ、私は舞茸のようにいきなり抱きつくなんてことは絶対にしない。私は変態の中でも比較的保守寄りの人間だから、意中の人なんかに関してはそれこそ奏と同じくらい大切にしたいと思っている。だからハグもキスも、節度を持って一日二回、それも挨拶代わりの軽いハグとキスが出来れば、今日も
「…横手さん、あたし…ちょっと前髪直してきます…///」
「姫嶋さん、よかったら私の鏡使う?」
「…ぃ、ぃぇ…お手洗いに行きたくて…」
「ぁ、ご、ごめんね」
私が耳
しかし手ぶらで個室の前までやって来て、そこで
『舞茸ごめん! ポーチ忘れちゃったから、廊下まで持ってきてくれる? 黄色い花柄のやつなんだけど、鞄に入ってるから』
『うん。今行くね』
『ありがとう』
三十秒弱の思案を経て、私は舞茸を頼った。情けないとは思うが、照れ笑いを泛べながら横手さんのいる教室へ戻るには、まだ少し早かったのだ。
「はい、姫ちゃん」
「あぁ、ありがと」
「でも、なんで自分で取りに来ないの?」
「え、いや、なんとなく」
「――横手さんの前だから?」
いやぁーあなたも今日は随分と冱えておいでですねぇ舞茸さん。
「ち、違うって。…鞄から出すのが、ちょっと恥ずかしかったのっ///」
「――ねえ姫ちゃん。ほんとは、私のこと嫌い?」
「なんでだよ。――お前が親友でいてくれるから、あたしも前向きになれたんだよ。――だから、その…舞茸が傍にいてくれないと、あたしも困るっつうか、寂しいっつうか…///」
嫌いかと問われたのだから、嫌いじゃないと端的に
「――姫ちゃん。私、待ってるからね」
背中側から抱きつき、シンプルに一言そう囁く。私は舞茸のこんなやり方に、
「…舞茸も、お菓子食べていいよ」
「貰っていいの?」
「その代わり、横手さんと二人で食べてね。あとしみチョコとポリンキーは、少し残しといて」
私がそう言ったら、舞茸はいつも通り「姫ちゃん好き」と言って破顔した。横手さん、横手さん、一つ飛ばして横手さん、の、そのたった一つの
まあそんなこんなで舞茸さんも教室へ戻ったので、私はぱっぱと用を済ませ、敷物を敷き直し、四限の体育で
「あ、姫嶋さんおかえり。お菓子頂いてるよ」
「姫ちゃんごちそうさま」
「あっ、あれ…しみチョコが、しみチョコが無くなってる…」
「大丈夫だよ姫ちゃん。食べてないから」
「あぁ鞄に入れてあったのね」
「姫嶋さん…私も一袋貰っていい?」
どうぞどうぞ、一袋といわず三袋くらいどうぞ。とは言わなかったが、私はサービス精神旺盛なアメ横のお菓子屋さんのように気前よく、杏花様へしみチョコを
「姫ちゃん…私も食べたい…」
はいはいどうぞ、と、私は舞茸にも二袋あげて、自分は食べない
しかし物欲しそうな目をしたこいつの前に力無く横たわる、既に九割方食い尽くされたと思しきポリンキーの袋を見るやいなや、私の中に
「舞茸はもう十分食べたでしょ。一袋だけね」
「――じゃあ舞彩ちゃんに二袋あげるね。そうすれば私と姫嶋さんで一袋ずつだから」
嗚呼、横手さん…貴女はなんって慈悲深いお方なんだ…それに
「はい、横手さん」
「え、でもそうしたら姫嶋さんの分が」
「いいのいいの、あたしお弁当あるし。だから舞茸と二人で食べてください」
「――ありがとう姫嶋さん。じゃあご飯食べたら、一緒に食べようよ」
「は、はい…///」
横手さんの手が背中に触れた瞬間、私は耳が熱くなって、何処へ視線を落ち着けたらいいか分らなくなって、
それから
「私も、あーんしていいですか」
されっぱなしなんてとんでもないと、私は勇気を出してそう訊き返した。すると横手さんは嬉しそうに
いい気になってそんな愛の
だが先述した通り、どれだけ苛つこうが
午後一時五分。時計の黒い針が
*¹アラム・ハチャトゥリアン (Aram Il'ich Khachaturian):旧ソビエト連邦を代表するアルメニア人の作曲家、指揮者。
*²ハチャトゥリアン:組曲『仮面舞踏会(Masquerade)』 1.ワルツ 2.ノクターン 3.マズルカ 4.ロマンス 5.ギャロップ。
*³ハチャトゥリアン:『ヴァイオリン協奏曲』 変ニ長調。 第1~3楽章。
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