第六話 成獣と性獣 前
ゴールデンウィーク明けの月曜日。まだ五月上旬だというのに、日中の日向は早くも七月の朝を思わせる
それに加え学内には「都内の進学校なんですから、とりあえず女子はスカート履いてシャツ着てればお
ただ先週の昼休みにその話を蒸し返したら「やはり軽率な発言は控えるべきだな…」と主張を一変させていたので、何か大人の世界特有の"見えない力"が働いたのだろうなと思い、私はすかさず先生に「頑張ってください」と血も涙もないエールを送り、その
しかし私の中で
とはいえ何を持ってこようが、舞茸以外誰も私の荷物の多さを指摘しないという点に関しては、私はつくづくこの学校を選んでよかったと思っている。
「ねえ姫ちゃん、ボストンバッグみたいになってるから、少し荷物減らしたほうがいいよ?」
「いいだろ別に。こう見えて必要最低限のものしか入ってないんだから」
「――あ、パンツ入ってる」
「ちょっ///勝手に開けないでっ!」
「…姫ちゃんて、結構心配性なの?」
「…自分では、そうは思わないけど」
「ならポーチは要るとしても、タオルがあればハンカチは要らないし、ストールがあればブランケットは要らないと思うけど?」
「いや、あたしが余分に持ってれば、舞茸がハンカチ忘れたときとか、寒くなったときに貸してやれるだろ」
「――姫ちゃん…今すぐ両方貸して?」
「でも…何か良からぬことに使われそうだから、今日は却下」
「…ねぇ横手さーん、姫ちゃんがハンカチ貸してくれないー」
「こら貴様っ、横手さんまで巻き込むなっ」
「あぁ、私のでよければ貸そうか?」
はっ! そ、それは私が借りたいっ…!
「あ、だったらあたしのを舞茸に貸して、それであたしが横手さんのをお借りするというのは…いかがでしょう?」
「うん、私はいいよ」
「…姫ちゃん、結局私より横手さんが好きなんだ」
もちろん。…ってこらこらこらこら! 何をしれっと爆弾発言かましてくれてんだ舞茸さんよぉっ!
「え? 姫嶋さん、私のこと好きなの?」
「――っ…だって…一瞬で友達になってくれて…嬉しかったんだもん…///」
「あはは、じゃあ私たちもう親友だね。――じつは私も、姫嶋さんに声掛けてもらったときから親友になれそうな予感がしてたんだー」
「親…友…」
あぁ杏花様…あなたの
こうして
「私こう見えて人見知り激しいから、姫嶋さんに迷惑かけちゃうかもしれないけど、よろしくね」
ええ、その人見知りは
「横手さん、よろしくお願いします。もう一生あたしと親友でいてください」
不満げな舞茸をよそに、私は
「う、うん/// そんなに気に入ってくれてありがとう。姫嶋さん」
――私の初めてが、私の
まあそれは飛躍しすぎたとして、だったら相手が男でなければいけない理由は何だろう。子供が欲しいから? いるに越したことはないが、今のところはそうでもない。セックスがしたいから? そんなの別に女同士でも出来る。キスだって愛撫だって、たぶん同性同士のほうが気が合うし上手くいく。喜怒哀楽が分かりづらいから、別に声も低くなくていい。ゴツい手で乱暴にされるより、しなやかな指で優しく触れてほしい。…それも、叶うことなら私の手より小さい、笑顔が素敵な可愛い横手さんの両手で…この手を優しく握られてみたい…
――てかそこまで言うなら、もういっそのことレズでいいんじゃないか私?
「――さすが一ノ瀬さん。その日焼け止め、フランスの化粧品ブランドのやつでしょ」
「うん。私お肌弱いから、自分に合うのがなかなか見つからなくて。だから今はこれしか使えないの」
「あーあるよねー、日焼けしないために塗ってるのに、むしろ肌荒れしちゃうみたいな。――私もSPF高いやつだと夕方カサカサになるから、低いのをこまめに塗るしかなくて面倒なんだよねー」
「横手さん、私たち仲間だね」
「あはは、
駄目だ。危険極まりない…もし私が老人だったら、今この瞬間心のアクセルとブレーキを踏み間違えて、危うく横手さんの懐目がけて
「…ね、姫嶋さん。姫嶋さん? ぉーぃ」
とはいえここまで横手さんに惚れておきながら、私という生物はなおもXY染色体欲しさに男に固執しつづけるような、そんなスマホの向こう側にいる虚構の美女に恋焦がれて日夜
…
「姫嶋さん? 大丈夫?」
「ぁご、ごめんね横手さん/// ちょっとテストのこと考えてた」
しかしそんな高嶺の花に
「――ほら舞茸、時間だから席戻って」
「やだー。姫ちゃんと一緒がいいー」
「お前は乳のデカい子供か」
「…胸のことは言わないで…私ずっと悩んでるんだから…」
「え、そ、そうだったんだ…ごめん舞茸、傷つけるようなこと言って」
「――ふふ、いいよ」
そう言って舞茸が席に戻る。
チャイムが鳴り終わる前に挨拶が済んで、先生がいつものように淡々と出席をとりはじめる。その間私は
五十嵐君の「はい」という返事を聞くと、私の脳裡に、昨日までうちの和室に鎮座していた奏大の
しかし闘志の象徴である刀を失いかけたその兜の穏やかな
そしてみんなで兜を片付け終えたあと、私と奏の写真を見ながらお父さんが「立派になったなぁ…」とこぼしたのを聞いて、私は理由もなく自室に戻り、そこでアシュケナージ*³のノクターン二番*⁴を聴きながら静かに泣いた。別段
つまり私の発展途上にある心も、その当たり前を
「姫嶋ー」
「はい」
大体いつも
「私、今日体操服着てくるの忘れちゃったー」
「えー私もー、なら一緒に見学しよ?」
ふと時計に目をやると、前のほうから見学常連組の片瀬さん達の話し声が聞こえてくる。その会話を聞いて、私は友達でもない二人に「休むのは勝手だけど、ほどほどにしておかないと評定に響きますよ」といらぬ世話を焼きつつ、いつもの癖でしばらく耳を
すると案の定「今日はお互い頭痛ってことにしとこうよ」という片瀬さんの邪悪な提案が私の耳にも入ってきた。――てか頭痛ってことにしとこうよってどんな談合だよ。
ただそれを知ったうえで二人の辛そうな演技を見ているうち、私もだんだんと腰が重くなっていくような気がして、首元に触れると少し熱っぽいような気もしてくる。――あれ、だるい。だるいかも…私…熱、あるかも…
「舞茸ぇ…だるくて着替えたくねぇー…」
ここまでくればもうお分かりのとおり、トロイメライ*⁶の温もりあふれる旋律のようなおうち時間を満喫した結果、私もご多分に漏れず、その反動で無事五月病を発症していた。
「姫ちゃんも、体育が嫌いになることなんてあるんだ」
「体力テストの結果が良いだけで、授業は一ミリも好きじゃないぞ…」
出席すべきか、見学すべきか、それが問題だ。
そんな馬鹿なことを考えてだらだらしているうちに、横手さんが着替えを終えてトイレから戻ってきてしまった。
「…あれ? 姫嶋さん着替えないの?」
「うん。なんだか身体が重くて…」
「それって、もしかして五月病ってやつ?」
「はぁ…――横手さん…あたし…今日は熱っぽいから見学にしようかな…」
「ほんと、先生に言っとこうか?」
「――お願いしてもいいですか…」
「ねえ姫ちゃん、さっきから横手さんに甘えてるけど、ほんとは元気だよね? それなのに仮病でサボるの? 私より全然運動できるのに、それってズルだと思うよ?」
「一ノ瀬さん、何もそこまで言わなくても」
「はぁ…じゃあやりますよ…やればいいんでしょやれば」
おいっ!
久々に
「姫嶋さんてほんと運動神経いいよねー。何やっても完璧で羨ましいわ」
「そんな、完璧なんかじゃないよ。横手さんが親友になってくれたから、私も気合入っちゃって」
「ほんとに? 嬉しいなー、姫嶋さんにそう言ってもらえて」
「横手さん///」
あー…舞茸悪い。これは
「――ねぇ姫ちゃん。お昼休み、よろしくね」
ちょうどそう思っていたところへつかつかっと笑顔の舞茸がやってきて。私はそんな腹を空かせた隼のような彼女に肩を叩かれた瞬間、せっかくかいた良い汗が、一滴残らず戦慄の脂汗によって押し流されてしまうような気がした。
「…姫嶋さん大丈夫? いま意識飛びかけてたよ?」
「あぁ、大丈夫…ちょっと張り切りすぎただけだから」
「じゃあ、教室戻ったらしっかり水分補給してね」
「横手さん」
「ん?」
「あの…お昼…ご一緒して頂けますか」
「うん、もちろん。――誘ってくれてありがとう。姫嶋さん」
うわー手繋ごうかと思ったらめっちゃ見てるよぉー…あの人遠巻きに私のことめっちゃ見てるよぉー…これ絶対いちゃついた罰として昼休みに捕食されるパターンだよぉ。…怖いから横手さんとお弁当食べたらすぐ保健室に逃げよ。
私は彼女の
*¹モンテヴェルディ:『主にむかいて新しき歌をうたえ(Cantate Domino canticum novum, SV 292)』。
*²サティ:『三つのグノシエンヌ』 第一番。
*³ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy):ソビエト連邦出身の世界的ピアニスト、指揮者。
*⁴ショパン:『ノクターン第二番』 変ホ長調 Op.9-2。
*⁵フランツ・リスト(Franz Liszt) :ハンガリー王国出身のピアニスト、作曲家。
*⁶シューマン:『子供の情景』 "トロイメライ" Op.15-7。
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