第二話 霊能者とタール池

 「一ノ瀬さん。好きです。俺と付き合って下さい」


 クラス一の有望株である五十嵐いがらし君が、昨日の放課後、この教室で舞茸に向けて放った矢のようにまっすぐな言葉。

 別に聞きたくて聞いたわけじゃないし、通りすがりに聞こえただけだし。だいたい四月に他人の告白なんか聞いたところで「あーそういう季節ですねー」としか思わない。

 …とクールに言い切りたいところだが、それはこの身にまとっている制服と同じ、本音という裸体を隠すためのありきたりな建前に過ぎない。

 だいぶ下世話な話だが、生物的にみれば私も今年で十六歳。始まるものはもうとっくに始まっている年頃のオンナなわけで…普通に五十嵐君にもときめくし、なんなら結構昂奮してしまう。

 つまりそうした"小腹の満たせる純度の高いもの"とあらば、他人の告白だろうが何だろうが、独奏会を実施するときのためにストックしておいて損はないと思っている。――ええ、誰も興味ないと思いますが相当肉食系ですよ。私は。


「俺、一ノ瀬さんを絶対幸せにしてみせるから」


 はー、根拠もないのに言い切るねぇー。――でも、その矛盾した感じがすごくいい。不安定な頼もしさがとてもそそる。まったくこれだからいい男の告白は格別なんですよー。と、盗み聞き大好物の私は扉の陰にさっと身を隠し、彼の山吹色に染まった言葉を、さも自分に向けられた言葉であるかのようにじっくりと堪能した。

 ところが告白を受けた舞茸は、さっそく挙式の算段でもしているのか何秒経っても黙ったまま。あまりに勿体振るので私は「え? これってそういうプレイなの?」と思い、後退りするようにしてその場を立ち去ってしまった。それに五十嵐君は良くても、私と舞茸は本質的にそりが合わない。だから彼の『好きです』さえ聞ければ、あとに続く舞茸のアンサーなど正直どうでもよかったのである。


 しかし帰りの電車でつり革に掴まりながら前後左右へ揺さぶられるうち、私の心はリュックの中で振られ尽くした炭酸飲料のボトルのように、たちまち二人に対する嫉妬のガスでいっぱいになった。そして私の女々しい脳味噌もまた、五十嵐君という最上級のぜんを食らわんとする舞茸の小憎たらしい笑顔ですっかり満杯になっていた。

 橋梁きょうりょうの繋ぎ目で、いつもの揺れが来る。舞茸に肩を押されたみたいな気がして、まじで気分が悪い。降りる駅が近づき、目の前の座席は空いていくにも拘らず、あの二人はお互い文武両道で美男美女で金持ち同士だという最悪の共通項だけが、あたかもふるいの目に詰まった薄力粉のように、私の頭の片隅にダマとなってしつこく残る。そんな上級カップルに一つたりとも勝ち目のない劣等感まみれの私は、やはり帰りもやすらぎをもとめ、桜色のイヤホンを慌ただしく兩耳へと突っ込む。

 ところがシャッフルを切り忘れて流れてきたのは、皮肉にもマズルカ二十三番*¹だった。


 好きです。付き合って下さい。


 それは「ありがとうございます」や「よろしくお願いします」などと同じ、告白という儀式に際してしきりに引用される、或る種の無駄のない常套句じょうとうくのようなもの。

 故にこの装飾のない額縁がくぶちのような言葉を用いる際は、あらかじめ"自分"という名の一枚の自信作をその中へ収めておく必要がある。まあ言ってしまえば、五十嵐君のような人はこの自信作に絶対的な"自信"があるというわけだ。

 ただ自分がどれだけ自信作だと思っていても、その作品に買い手が付かないことには愛の需給関係は成立しない。だからこそ、この言葉はアートのようにいつの時代も魅力的かつ悪魔的で、美男美女が発するととんでもないことになるのだと、私は思う。


「…好きです。付き合って下さい」


 つまり私のような非モテ女が、誰もいない放課後の教室でそう呟いてみたところで、それはもはや額縁の大量在庫を抱え経営が立ち行かなくなった零細企業の社長の嘆息たんそくみたいなものなのだ。


「…姫ちゃんって、霊感強いの?」


「ぅうわっ!! なんだよ舞茸かぁー」


「姫ちゃん、もういい加減舞茸って言うのやめてくれる? せめて一ノ瀬さんとか舞彩さんにして?」


 おいおい。「舞茸ありがとー♪」とか言って散々喜んでたくせに、なんだ三日坊主かよ。


「またお前は、そうやってすぐお嬢様感出しやがって。だったらお前も姫ちゃんじゃなく姫嶋さんて呼べよ」


「いいじゃない、姫ちゃんは姫ちゃんで。それより一ノ瀬さんって呼んでよ」


 こいつ、まじで強情だな。


「舞茸が嫌なら、お前で十分だろ」


「姫ちゃん。そうやって不良ぶってると、いつまで経ってもモテないよ?」


「あぁ? やっぱお前、周りにおだてられて天狗になってんじゃねぇのか?」


「なによー、天狗になんかなってないでしょっ」


「…言っとくけど、昨日五十嵐君に告白されたの、ばっちし聞いてたかんな」


 なんだよ。小突いただけでもう耳の先まで真っ赤じゃねぇか。ちょろいな。


「――いや、振ったから///」


「はっ!? ふ、振った?」


「いや…」


「いやいや言ってる場合かお前、一学期のどあたまにあの五十嵐君を振るって、あたしからすればお前何してくれとんじゃって感じだぞ」


「私、ああいう誰にでもいい顔する人って、あんまり好きじゃないんだよね…」


「いーやそら同族嫌悪どうぞくけんおっつうかただの食わず嫌いだろ!」


「食うとかやめてっ」


「なら逆算して考えてみろよ。幸せな家庭にはまず子供がいるだろ? その次に良い父親、しかもお前の両親に引けを取らないくらいの金持ちで肩書きもあって、顔も性格もいい父親な。そんなチートみたいなやつ、どう考えても五十嵐君しかいねぇだろって」


「ちょっと姫ちゃん、根暗のファッション不良のくせに将来設計とかやめてよっ」


「お、おまっ、口悪っっる!」


「だって、このくらい言わないと、姫ちゃんに言い負かされちゃうでしょ?」


「――フッ、お嬢様キャラぶち壊しだな」


「いいもん。私、別に姫ちゃんの意見なんか気にしてないし」


「じゃあその割にしょっちゅう話しかけてくんのは何なんだよ」


「――見たらわかるでしょ。友達いないからだよ」


 ふーん。一応気にしてはいんのか。


「ほんっと、お嬢様はすぐ贅沢言うよな。友達いないってのはあたしみたいなやつのことを言うんだよ。お前の場合は親友が何十人出来るかできないかレベルの話だろ? そんな客寄せパンダみたいなやつと、おりの中に転がってる切株みたいなあたしを一括りにすんな」


「…」


「な、何」


「…ねぇ、ふと思ったんだけど」


「ん?」


「姫ちゃんって、私のこと好き?」


「まぁ当然好きではないな。むしろ相性に関しては最悪だと思う」


「ひどい…私姫ちゃんのこと頼もしくて、物取るときとか掲示物貼るときとか黒板消すときとか、そこそこ重宝すると思ってたのに…」


「だからその言い方な言い方、あたしお前の下女げじょじゃねぇから」


「でも、それを差し置いても、私は姫ちゃんのことが気に入ってるんだけど」


「へー」


 一度男に告白されたやつが、その告白を突っぱねた挙句、身長もバストも身分も対極の位置にいる非モテ女にすり寄る。そんな喜捨きしゃとも賑恤しんじゅつともつかない情けをこの私にかけて、一体何の得があるというのか。金持ち特有の余裕か、春の訪れとともに濫費らんぴの虫が目覚めたか。それとも自身のありあまる魅力を誇示したいがために、この私を五十嵐君の片手間で転がしてやろうという魂胆こんたんなのだろうか。

 つるんとした顔して、腹の中はタール池みてぇにドロドロじゃねぇか…ゲスい、お前やっぱりゲスいぞ舞茸…


「なんでめんどくさそうなの、姫ちゃん」


「おぉ、舞茸にしては察しが良いな」


「ねえお願い姫ちゃん。友達になってよ」


「なぁ、話聞いてたか」


 なおその後、私は結局この強情女に根負けして、連絡先の交換を先延ばしにするかわりに、明日の放課後から舞茸と勉強会をすることになってしまった。





*¹ショパン:『マズルカ第二十三番』 Op.33-2 ニ長調。

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