第二話 霊能者とタール池
「一ノ瀬さん。好きです。俺と付き合って下さい」
クラス一の有望株である
別に聞きたくて聞いたわけじゃないし、通りすがりに聞こえただけだし。だいたい四月に他人の告白なんか聞いたところで「あーそういう季節ですねー」としか思わない。
…とクールに言い切りたいところだが、それはこの身に
だいぶ下世話な話だが、生物的にみれば私も今年で十六歳。始まるものはもうとっくに始まっている年頃のオンナなわけで…普通に五十嵐君にもときめくし、なんなら結構昂奮してしまう。
つまりそうした"小腹の満たせる純度の高いもの"とあらば、他人の告白だろうが何だろうが、独奏会を実施するときのためにストックしておいて損はないと思っている。――ええ、誰も興味ないと思いますが相当肉食系ですよ。私は。
「俺、一ノ瀬さんを絶対幸せにしてみせるから」
はー、根拠もないのに言い切るねぇー。――でも、その矛盾した感じがすごくいい。不安定な頼もしさがとてもそそる。まったくこれだからいい男の告白は格別なんですよー。と、盗み聞き大好物の私は扉の陰にさっと身を隠し、彼の山吹色に染まった言葉を、さも自分に向けられた言葉であるかのようにじっくりと堪能した。
ところが告白を受けた舞茸は、さっそく挙式の算段でもしているのか何秒経っても黙ったまま。あまりに勿体振るので私は「え? これってそういうプレイなの?」と思い、後退りするようにしてその場を立ち去ってしまった。それに五十嵐君は良くても、私と舞茸は本質的にそりが合わない。だから彼の『好きです』さえ聞ければ、あとに続く舞茸のアンサーなど正直どうでもよかったのである。
しかし帰りの電車でつり革に掴まりながら前後左右へ揺さぶられるうち、私の心はリュックの中で振られ尽くした炭酸飲料のボトルのように、
ところがシャッフルを切り忘れて流れてきたのは、皮肉にもマズルカ二十三番*¹だった。
好きです。付き合って下さい。
それは「ありがとうございます」や「よろしくお願いします」などと同じ、告白という儀式に際してしきりに引用される、或る種の無駄のない
故にこの装飾のない
ただ自分がどれだけ自信作だと思っていても、その作品に買い手が付かないことには愛の需給関係は成立しない。だからこそ、この言葉はアートのようにいつの時代も魅力的かつ悪魔的で、美男美女が発するととんでもないことになるのだと、私は思う。
「…好きです。付き合って下さい」
つまり私のような非モテ女が、誰もいない放課後の教室でそう呟いてみたところで、それはもはや額縁の大量在庫を抱え経営が立ち行かなくなった零細企業の社長の
「…姫ちゃんって、霊感強いの?」
「ぅうわっ!! なんだよ舞茸かぁー」
「姫ちゃん、もういい加減舞茸って言うのやめてくれる? せめて一ノ瀬さんとか舞彩さんにして?」
おいおい。「舞茸ありがとー♪」とか言って散々喜んでたくせに、なんだ三日坊主かよ。
「またお前は、そうやってすぐお嬢様感出しやがって。だったらお前も姫ちゃんじゃなく姫嶋さんて呼べよ」
「いいじゃない、姫ちゃんは姫ちゃんで。それより一ノ瀬さんって呼んでよ」
こいつ、まじで強情だな。
「舞茸が嫌なら、お前で十分だろ」
「姫ちゃん。そうやって不良ぶってると、いつまで経ってもモテないよ?」
「あぁ? やっぱお前、周りにおだてられて天狗になってんじゃねぇのか?」
「なによー、天狗になんかなってないでしょっ」
「…言っとくけど、昨日五十嵐君に告白されたの、ばっちし聞いてたかんな」
なんだよ。小突いただけでもう耳の先まで真っ赤じゃねぇか。ちょろいな。
「――いや、振ったから///」
「はっ!? ふ、振った?」
「いや…」
「いやいや言ってる場合かお前、一学期のどあたまにあの五十嵐君を振るって、あたしからすればお前何してくれとんじゃって感じだぞ」
「私、ああいう誰にでもいい顔する人って、あんまり好きじゃないんだよね…」
「いーやそら
「食うとかやめてっ」
「なら逆算して考えてみろよ。幸せな家庭にはまず子供がいるだろ? その次に良い父親、しかもお前の両親に引けを取らないくらいの金持ちで肩書きもあって、顔も性格もいい父親な。そんなチートみたいなやつ、どう考えても五十嵐君しかいねぇだろって」
「ちょっと姫ちゃん、根暗のファッション不良のくせに将来設計とかやめてよっ」
「お、おまっ、口悪っっる!」
「だって、このくらい言わないと、姫ちゃんに言い負かされちゃうでしょ?」
「――フッ、お嬢様キャラぶち壊しだな」
「いいもん。私、別に姫ちゃんの意見なんか気にしてないし」
「じゃあその割にしょっちゅう話しかけてくんのは何なんだよ」
「――見たらわかるでしょ。友達いないからだよ」
ふーん。一応気にしてはいんのか。
「ほんっと、お嬢様はすぐ贅沢言うよな。友達いないってのはあたしみたいなやつのことを言うんだよ。お前の場合は親友が何十人出来るかできないかレベルの話だろ? そんな客寄せパンダみたいなやつと、
「…」
「な、何」
「…ねぇ、ふと思ったんだけど」
「ん?」
「姫ちゃんって、私のこと好き?」
「まぁ当然好きではないな。むしろ相性に関しては最悪だと思う」
「ひどい…私姫ちゃんのこと頼もしくて、物取るときとか掲示物貼るときとか黒板消すときとか、そこそこ重宝すると思ってたのに…」
「だからその言い方な言い方、あたしお前の
「でも、それを差し置いても、私は姫ちゃんのことが気に入ってるんだけど」
「へー」
一度男に告白されたやつが、その告白を突っぱねた挙句、身長もバストも身分も対極の位置にいる非モテ女にすり寄る。そんな
つるんとした顔して、腹の中はタール池みてぇにドロドロじゃねぇか…ゲスい、お前やっぱりゲスいぞ舞茸…
「なんでめんどくさそうなの、姫ちゃん」
「おぉ、舞茸にしては察しが良いな」
「ねえお願い姫ちゃん。友達になってよ」
「なぁ、話聞いてたか」
なおその後、私は結局この強情女に根負けして、連絡先の交換を先延ばしにするかわりに、明日の放課後から舞茸と勉強会をすることになってしまった。
*¹ショパン:『マズルカ第二十三番』 Op.33-2 ニ長調。
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