第56話 ハルの想い人
ひたすらに前だけを見て走り続けていると、いつの間にかいつもの通学路に来ていた。
疲れからか、全速力だった足は段々と速度を落とし、私は見覚えのある公園の前で遂に立ち止まった。
荒くなった息を整えながら、後ろを確認してみる。やっぱりハルは来ていない。
「ハルのバカ……」とまた小さく呟くと、一瞬止まっていた涙がぽたぽたと地面に落ちる。
本当は、こんな風にハルから逃げるつもりなんてなかった。
告白をしたら、ハルが困ったように笑って「俺はお前を妹としてしか見れないよ」と頭を撫でてくれるんじゃないか。
優しく拒否をしたら、ハルはすぐに普通に戻って、また兄妹になれるんじゃないか。
その時は、私も漸く妹として踏ん切りを付けられるんじゃないか。
そう、期待をしてしまっていた。
あくまでも兄として私の気持ちを拒否してくれるだろう、と。
それが何故、こんなことになったのか。
告白をした後のハルはどう考えても普通じゃなくて、私よりも苦しそうな顔をして私の気持ちを否定した。
『気の迷いだ』
『俺達は兄妹なんだ』
『俺はすずの兄貴だ』
『妹とは、恋愛はしない』
ハルの言った言葉は、全てハルの私に対する気持ちではなかった。
私達が兄妹でさえなければ自由に恋愛ができたのに、とも受け取れる。
ハルの言葉をそう解釈するのは無理があると理解しているのに、そんな曖昧な言葉じゃ受け入れられない。
願わくば、ハルには私の真剣な気持ちに真剣な想いを返して欲しかった。
ハルの心の内を、私に見せて欲しかった。
「うぅ……」
涙が止まらなくて、私は道の真ん中で蹲り一人で泣いた。
こうして泣いていたら、ハルが後ろから「探したぞ」なんて心配そうな顔をしてやって来るんじゃないか。
懲りずに淡い期待をして、どんなに待ってもやっぱりハルは来てくれなくて、次第に涙も止まってしまった。
結局立ち上がり、トボトボと歩いていると我が家に辿り着いてしまった。
ぐしゃぐしゃの顔を袖で拭き、ハルがいるかもしれない、と思いながら恐る恐る玄関の扉を開けると「おばさん!ハルだけ海とかズルくない!?」と懐かしい元気な声が聞こえた。
声のするリビングに入ると、
「おっ、すずめちゃん!久しぶりだなー!」
と私に気付いた笑顔一杯の航太くんが、我が物顔でソファに腰掛けていた。
「航太くん……なんでいるの……?」
突然我が家に現れた航太くんに疑問を抱き問い掛けると、航太くんは愚痴を言うみたいに話し出した。
「昼間、ハルに飯行かないかって誘ったら『今、すずとその友達と海にいるから無理』って言われてさぁ!そんな楽しい行事あるなら、なんで俺を誘わないんだよー!って思って文句言いに来たんだけど、アイツまだ帰って来ないんだよ!」
すずめちゃん一緒じゃないの?と聞かれ、「ハルはちょっと用事があるみたい」と適当に返事をしたら、航太くんはぶつくさ言いつつも納得していた。
航太くんの勢いのある説明で事情は察したが、なんてタイミングで来るんだ、と今日ばかりは空気の読めない航太くんに苛立ちを覚える。
航太くんはハルが帰るまで待つつもりなのか、未だソファから動こうとしない。
お母さんと楽しそうに談笑していて、とうとう今一番聞きたくない話を切り出した。
「そういえば、ハルって最近は彼女いないんだって?」
私に向かって軽い口調で問い掛ける航太くんは、今の私には悪魔のように映った。
「……いないんじゃない?」と少し無愛想に返すも、航太くんは気にもせず「うわっ!マジなんだ!」と話を続けた。
「ハルのやつ、なんか知んないけど真山と別れてから突然誰彼構わず付き合うようになって、いつか刺されるんじゃないかって心配してたんだよ〜。やっと辞めたみたいで安心したわ」
私が、はなちゃんとハルが昔恋人関係で、その後いろんな女の子とハルが付き合っていたと知っているのがさも当たり前のように、次々と語る航太くん。知ったのはつい最近なんだけどな。
そもそもお母さんの前でする話じゃないでしょ、と思っていると「俺はさぁ」と航太くんがまた続ける。
「ハルは、誰のことも好きになれないんじゃないかと思うんだよなぁ。だってアイツ、すずめちゃん一筋だし」
航太くんの何の気なしに発せられた言葉に、さっき振られたばかりだと言うのに、私は何故だか耳を傾けてしまう。
「一回、ハルに『そんなに大事なら、すずめちゃんと付き合えば?』って冗談で言ってみたことがあってさ、そしたらアイツすげー真面目な顔して『それが出来たら苦労してない』って言うから、マジですずめちゃんのこと好きなんじゃないかって思ったんだよな」
……え?
まぁそれは無いだろうけど、と続けた航太くんの声は、私の耳には届かなかった。
『それが出来たら苦労してない』という言葉は、明らかにおかしい。そんなの、私のことは好きだけど兄妹だから付き合えない、という意味にしか聞こえない。
ハルが私を妹としてしか見ていないのなら、そんな言葉は出てこない気がする。
私が言葉の意味を考え込んでいると、
「あのキーホルダーもさ……」
と航太くんが呟いた。
「……キーホルダー?」と反応し航太くんを見ると、お風呂上がりのお父さんが廊下から話を聞いていたのか、リビングにやって来て「あぁ!あれだろ?あのクマの」と声を上げた。
お母さんも同じように「懐かしいわね〜」と反応している。
何の話か分からなくて皆の顔を見回していると、そんな私に気付いた航太くんが笑いながら話の続きをした。
「すずめちゃんがあげた、クマのキーホルダー!ハルのやつ、通勤鞄にも付けてるんだぜ!?」
だはは!と笑う航太くんに釣られるように、お父さんとお母さんも笑う。
私が、あげた……?
すっかり抜け落ちてしまった記憶にポカンとしていると、
「忘れちゃった?ハルの14歳の誕生日に、すずめちゃんが自分で選んでプレゼントしたのよ?」
とお母さんが教えてくれた。
ハルがずっと大事にしていたあのキーホルダーは、私があげた物だったの……?
幼い私があげた、既にボロボロになってしまったあのクマを、今でもハルは大事にしてくれているってこと?
それどころか、携帯のメッセージアプリであのキャラクターのスタンプを購入して使ってしまうくらい、気に入っていたの?
私なんか、あんな物をあげたことすらもう忘れてしまっていたのに。
「誰よりも優先したくて、誰よりも可愛く見えて、誰よりも大事な妹なんだなって、なんも言わないハルから伝わってくる」
そうこちらを見て言う航太くんの雰囲気が、さっきまでとは少し違う。
まるで、心底そう思っているような声。
「ハルにとって、すずめちゃんは恋人みたいなもんだと思うよ」
……ちがう。
ちがうよ、航太くん。
私は、さっきハルに振られたんだよ?
『妹と恋愛はしない』って。
ハルは私を、妹としてしか……
航太くんの言葉を必死に否定しようとすると、突然、私に向けたハルの微笑みが脳裏に浮かぶ。
私以外には決して見せない、あの優しくて暖かい笑顔。
『すず』
愛おしそうに、私を呼ぶ声。
ハルの好きな人って……私……?
そう思い至った瞬間、ふとお父さんがテレビを付けた。
報道番組が流れ出し、交通事故情報が流れてくる。近所で車の事故があったらしい。
『横断歩道を渡っていた20代の男性が事故に巻き込まれ、現在病院でーー』というニュースキャスターの声が聞こえる。
……ハル?
まさかハルが事故に?と思いつつも、すぐに頭の中で否定する。
いや、そんな訳ない。だってハルは車だし……
何だか怖くて落ち着かなくて、急いで外へ出てみると、駐車場にハルが乗っていた車が止まっている。帰って来た時には無かったのに。
もしかして、私を探しに行ったの……?
気付くと、私はまた走っていた。
後ろの方でお母さん達の声が聞こえたけど、そんな声で立ち止まれる程の余裕なんてなかった。
私は、ハルの気持ちを聞かなきゃいけないの!!
星が光る夜空から、
『走れ!!』
と私の背中を押す誰かの声が、はっきりと聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます