第45話 妹として

 ハルの運転で朱里を家まで送り届け、出てきた親御さんに「こんな時間まで連れ回してすみません」と私の代わりにハルが謝ると、朱里の母親は頬を赤らめていた。

 朱里に似てミーハーだな、と思いながら朱里に手を振り、私とハルも帰路に着いた。


 車内で二人きりになり信号で停止すると、ハルは「顔色、良くなったな」と安心したような顔で助手席に座る私の頬を撫でた。


「……うん」


 返事をして、ポツポツと工藤さんから聞いた母の話をすると、ハルは運転しながら黙って聞いていた。


 やがて家に着き、車を停め話も終わるとハルは体ごと私の方へ向けて「……すずの心は晴れたか?」と問い掛けた。


 きっと、たくさん心配していたんだろう。

 私が母への罪悪感で狂ってしまいそうだったのを、ずっと近くで見ていたから。


 真剣な表情のハルに、

「……晴れたよ、すっごく」

と笑顔で返すと、ハルは「……よかった」と呟いて私の頭を撫でた。


 その夜もハルに抱き締められながら眠り、またあの夢を見た。

 大好きな、お母さんの夢。


 いつも笑顔で私を愛してくれたお母さんが、突然私を置いていなくなり、悲しくて寂しくて、もう全部忘れようと泣くのを我慢していると、


「すず」


と後ろから私を呼ぶ声がする。


 いつもは誰なのか分からないまま夢から覚めるのに、この日は覚めなかった。


 その声の主が誰なのか、もう知っているから。


 ずっと会いたかったお母さんと同じ呼び方をする、暖かい黄色の色を纏ったーー


ハル。


 夢の中の幼い私は、嬉しそうに、幸せそうにハルに向かって走り出し、小さな体でハルに抱きつくと「ハル!!」と名前を呼んだ。


 優しいハルの手で頭を撫でられながら満面の笑みを溢す私を、ハルは愛しそうな目で見つめ、笑っている。


 目を開けると、こちらを向いて寝息を立てるハルの顔があった。


「……ハルは、ずっとお母さんの代わりをしてくれていたんだね」

 起こさないよう小さく呟くと、ハルの眉が一瞬動いた気がした。



 眠っているハルを部屋に残し、喉が乾き一階に降りるとリビングの電気がまだ付いていた。


 こんな深夜に起きているなんて誰だろう、と思いながらそろりと入ると、

「あら、まだ起きてたの?」

と言う声が聞こえ、見るとお母さんが台所に立っていた。


「お母さんこそ」

 そう言うと、「ちょっとね」とお母さんは洗い物をする手を止めた。


「丁度よかった。眠れないなら少し話さない?」


 お母さんはいつものように笑って言うと、ダイニングテーブルを指さした。

 私が席に着くと「お茶入れるね」と言ってすぐに準備をし、お母さんも正面の席に着いた。


 注いでくれたお茶を飲みながら、気まずい時間が流れる。


 お母さんと呼ぶ人が二人もいるというのは何だか変な感じだな、と私が考えていると、お母さんは突然「春樹ってね」とハルのことを語り出した。


「小さい頃は、弟がほしいってよく言ってたの」


 意外な情報に「そうなの?」と少し驚いて返事をすれば、お母さんも「意外でしょ?」と笑った。


「私がもう子供を産めないってお父さんが教えてから、言わなくなっちゃったんだけどね」


 少し悲しそうな顔で懐かしむお母さんの顔は、いつもの陽気な姿からは想像出来ないほど儚げだった。

 そんなお母さんをじっと見ていると、お母さんは私を見てまたパッと笑った。


「いつも冷静で物事を達観して見てる春樹だって、さすがに小さい頃は普通の男の子だったのよ。幼稚園で友達を突き飛ばしたり、公園で捕まえてきた虫を私の鞄に詰め込んで驚かせたり、寝てるお父さんの顔に落書きしたり……それはもう、やんちゃ坊主だった」


 私の知るハルではないような情報に困惑していると、お母さんは大口を開けて「それが突然あんな表情筋皆無人間になったのよ!」と笑った。


 なぜ突然そんなことを話すのか、と不思議に思いつつも私は「へぇ……」と相槌を打つ。


「何かに取り憑かれたのかと思った」と面白そうに笑うお母さんは段々と落ち着き、今度はとても優しい声で、

「そんな春樹が、すずめちゃんと出会って変わったの」

と口にした。


「春樹、小学生くらいから急に冷静沈着な性格になっちゃったんだけど、中学一年生の時に私とお父さんがすずめちゃんを引き取るって決めて会わせてみたら、それはもう溺愛がすごいのなんのって」


 笑いながら、そして若干呆れながら、お母さんは話を続けた。


「妹となんて仲良くできる自信ない、みたいな顔してたのに、すずめちゃんが春樹に懐いて離れなくなった途端『また会いに来るから……』なんて決め台詞吐いててもうおかしいったらなくて!!」


 あまりにもお母さんが面白そうに笑うから、ハルが聞いたら顔を赤くして「うるさい」って怒りそうだな、なんて考える。


 昔からハルは私に甘くて優しかったけど、出会ったその日からそんな感じだったとは、覚えていないことが何だか惜しい。


「あなたがお家に来てからも、春樹はずっと可愛がってた。お兄ちゃんというより、まるでお母さんみたいに」


 だから今日もすごく心配してたのよ、と微笑むお母さんの顔を見るが、お母さんが何を伝えたいのかよく分からない。


 私がキョトンとしていると、お母さんは「……春樹、すずめちゃんが元気になって本当に安心してた。お母さんとお父さんもそう」と優しい笑顔で言った。

 その笑顔は正しく母としての笑顔で、私はやっぱりこの人も私のお母さんなんだと感じた。


「ずっと伝えなきゃとは思ってたの、事故のこと……だけど、すずめちゃんを傷付けてしまうんじゃないかって思うと、ずっと言えなかった。ごめんね」


 謝るお母さんに、私は首を横に振り「本当のお母さんのことを知る機会になったから、いいの」と言うとお母さんは申し訳なさそうに笑ってお礼の言葉を言った。



 お母さんとまたハルの昔話を少しして、部屋に戻るとベッドで眠っているハルがいた。

 その腕は、何処か私を探しているように動いている。


 もう一度ベッドに入ると、その振動で目が覚めたのかハルは目を細く開け、

「……すず?」

と私を呼んだ。


「……おやすみ、ハル」

 横になって言うと、ハルは優しく笑って「……おやすみ」と囁いた。


 すぐに眠りに落ちたハルの寝顔を眺めながら、私は自分の気持ちに向き合い、そして強く決意した。


 お母さんのように振る舞い私の心を満たしてくれたハルを想うこの気持ちは、完全に消し去ろう、と。

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