第44話 陽気な陽子
工藤さんからお母さんが駆け落ちしたことを聞き、私が夢の中で出会ったお母さんのことを想っていると、朱里が「じゃあ……その司書だった旦那さんが、すずめのお父さんってこと?」と質問した。
朱里の質問に工藤さんは笑顔で頷くと、
「気の弱そうな見た目の、優しい旦那さんだったわ」
と教えてくれた。
お父さん、か。
お母さんのことばかり考えていて気付かなかったけど、私にはお父さんもいたのか。
そう思うと、胸に温かい何かが染みたような感覚がした。
「確か……ユウジさん、だったかな?」
旦那さんとはあまり会ったことがないの、ごめんねと工藤さんは謝ったけど、私にはそれだけで充分だ。
「体が弱い人だったみたいで、陽子が妊娠してすぐに彼が病気で亡くなって、陽子はまた街に帰ってきたの。小さなすずめちゃんを抱いて」
先程ひいらぎ園で、お父さんも既に亡くなっていると聞いてから、そんな予感はしていた。
お母さんとの思い出も今の私には無いけれど、お父さんのことは思いつきもしないほど記憶に無かったから。
「帰ってきてからも、陽子は高校時代と変わらず明るかった。家には頼ることが出来ないからってボロボロの安いアパートで暮らして、一生懸命すずめちゃんを育ててた」
あのアパートのことだ。
私が何故かあそこを好きだと思ったのは、やはりお母さんとの思い出が眠る場所だったからだ。
あのボロいアパートで、お母さんは私を目いっぱい愛し、育ててくれた。
それを思い出すことが出来ないのが、私を酷く苦しめる。
「私、何度かすずめちゃんに会ったことがあるのよ?」
「……え?」
お母さんのことを思い出そうとしていると、正面に座る工藤さんが少し前のめりになって言った。
「すずめちゃんはまだ小さかったから覚えてないだろうけど、私はよく覚えてる。すずめちゃんが砂場で穴を掘っては綺麗に埋めているのを見て、つい陽子に『この子は何をしているの?』って聞いちゃったの」
陽子も『分かんない』って笑ってた、と聞いて、本当に私と会ったことがあるんだとすぐに信じた。
だって、私は確かに砂遊びが好きだったから。
大きく空いた穴を綺麗に直して、それをまた掘って、何度も繰り返してはハルに「何が楽しいんだ」と言われていたとハルからも聞いた。
『変な子』と笑ってくれるのが、嬉しかった。
あれ……誰に、笑って欲しかったの?
何か映像が浮かびそうなのに、あと一歩のところで出て来ない。
「……陽子は、ユウジさんが居なくなっても毎日楽しそうにあなたと暮らしてた。私に二人で撮った写真を送ってきて『かわいいでしょ?』ってよく自慢するくらい、あなたの事が好きだったのよ」
お母さんは、私のことを好きだった。
工藤さんから語られるお母さんの人生に、私はまた罪悪感を募らせた。
家族に愛されず、唯一愛してくれた人を失ってしまった母に残された、たった一人の娘。
そんな娘に“子供を捨てた親だ”と思われていたなんて、やっぱりお母さんは悲しんでいるだろう。
もっと早く、お母さんを知ろうとすればよかった。もっと早く、夢に出てくる人がお母さんだと気付けばよかった。もっと早く……お母さんの声を聞こうとすればよかった。
お母さんを知れば知るほど、後悔と、自分への恨みが増していく。
「……お母さんは……全部忘れてしまった私を、恨んでいますよね……」
私が唇を噛み締めながら言うと、工藤さんは首を横に振って「陽子は……」と口を開いた。
「……陽子は、こんなに大きくなったすずめちゃんを見て、きっと喜んでるよ」
「だってあの子、馬鹿みたいに前向きなんだもの」
工藤さんの伸ばした手が私の頬を撫でると、私の目からは大粒の涙がぽろぽろと溢れ出した。
*
話し終えると、丁度私達を迎えに来たハルが店内に入ってきた。
ハルは一緒にいてくれた工藤さんにお礼を言って頭を下げると、私の顔を見て「……すず、泣いたのか?」と問い掛けた。
その声を聞いた工藤さんは、
「あなたも“すず”って呼ぶのね。陽子みたい」
と笑った。
ハルは頭の上にはてなマークを浮かべながら「あ、はい」と答え、それを見た私は漸く気が付いた。
夢の中の母も私をそう呼んでいた、と。
幼い頃、何故かハルにだけ懐いてしまったのは、お母さんと呼び方が同じだったから?
そう思ったら、幼い私はなんて単純だったんだろうと笑みが溢れた。
工藤さんに別れを告げ、朱里と共にハルの運転する車に乗り込もうとすると、
「すずめちゃん」
と工藤さんが私を呼び止めた。
車に乗り込むのを止め工藤さんを見ると、彼女は「これ、私よりすずめちゃんが持っていた方がいいと思うの」と、薄い何かが束になっている物を手渡した。
それは、母が小さな私を抱いて、楽しそうに笑っている写真の束だった。
「陽子が事故に遭って亡くなった時、いつかすずめちゃんが会いに来るかもしれないと思って、陽子から何度も携帯に送られてきてた写真を現像しておいたの」
何枚もある写真を一枚一枚丁寧に見ていくと、そこに写る母は全部幸せそうな笑顔を浮かべていた。
まるで、この世で一番幸せに思っているような、そんな……笑顔。
夢ではいつもボヤけていた、お母さんの顔が写った写真の束を強く抱いて
「……私を……恨んでないの?」
と誰にも聞こえない声で呟くと、何処からか、
「恨んでるわけないでしょ」
そう声が、聞こえた気がした。
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