第43話 母の過去
眼鏡の女の人は“工藤睦美(くどうむつみ)”と名乗った。
亡くなった私の母とは、高校時代とても仲が良かったらしい。
この辺りに家族と住んでいて、私達が近所の人に手当り次第母について聞き回っているのを知り、急いで駆けつけたと工藤さんは言っていた。
朱里はやっと見つかった手掛かりに、大きな声で「すずめ!!やったね!!」と嬉しそうな声を上げた。
途端に、私の携帯を勝手に操作し「お兄さんに『まだ帰れません』って送っといた!」と報告され、なんだか私よりも興奮しているなぁ、と思いながら私は「落ち着いて」と言った。
工藤さんは、高校生が夜に出歩いていたら危ない、と言って私達を近くのファミリーレストランに連れて行った。
保護者に迎えを頼むよう工藤さんに言われ、店員さんに飲み物を頼みながら私がハルに現在地の住所を送って迎えをお願いしていると、朱里は分かりやすく嫌そうな顔をした。
せっかくゆっくり話を聞ける機会なのに、と言いたそうだ。
「お迎えが来るまで、あなたの質問に何でも答えるわ」
まるで懐かしいものを見るかのように、工藤さんは微笑んで言う。
そんな彼女に、私は朱里と考えていた質問を並べた。
「……私の母、神崎陽子さんについて教えて下さい。なぜ私が産まれたのか、なぜ私と二人だけで生きていたのか……どんな人だったのか、知っている事だけでいいんです。教えて下さい」
工藤さんは真剣な私の顔を見ると、「見た目は陽子なのに、性格は陽子よりしっかりしてそうね」と楽しそうに呟いた。
届いた紅茶を一口飲み、工藤さんは懐かしそうに母のことを教えてくれた。
母と工藤さんは通っていた女子校で出会い、いつも陽気な母はクラスの中心で誰とでも分け隔てなく接し、大人しかった工藤さんともすぐに仲良くなったそう。
友達の多い母だったが、工藤さんは誰よりも母と仲が良かったと言う。
「陽子は常に陽気で、前向きで、毎日楽しそうに生きていた。この世の不条理も知らない、悩みなんて何もない、そんな顔をして毎日幸せそうだった」
夢で何度も見た、お母さんの雰囲気と一致する。
本当に明るい人だったんだな、と私は笑い声が漏れる。
「……だけど、悩みがない人なんて存在しない。あの頃、陽子は私にだけ悩みを話してくれた」
それまで懐かしそうに微笑んでいた工藤さんは、眉間に少し皺を寄せ、小さく言った。
「家族が私を見てくれない……って」
母は、家族に愛されなかったらしい。
工藤さんは静かにその理由を話してくれた。
「陽子の家は結構裕福で、お父さんは医者、お母さんは弁護士だった。弟も一人いたんだけど、親は陽子より弟の方が大事だったみたいで、陽子は家族にいない物として扱われていたの」
何か理由があった訳じゃない、ただ娘より息子の方が愛しかっただけ。
その言葉を聞き、私の胸は酷く痛んだ。
理由もなく、子供を愛さない親がいる。
きっと母は人一倍愛に飢えていただろう。
そんな母を、娘である私が酷い親だと思っていたなんて、やっぱり私は最低だ。
朱里に発破を掛けられ忘れかけていた、自分を責める気持ちが蘇る。
「だけど陽子は、いつだって笑顔だった。家では寂しいけど学校にいると寂しくない、ってよく言ってたわ」
暗い顔をした私を見て、工藤さんはまた笑顔になり話を続けた。
「ある時、陽子は恋をしたの。相手は、陽子が休みの日に通っていた図書館の司書だった」
突然の母の恋愛話に、私は朱里と二人で「えっ」と声を出す。
そんな私達の反応に、工藤さんは「驚くわよね」と笑い声を上げて言った。
当時高校生の母が通っていた図書館の司書ということは、未成年と社会人ということだ。
「私も最初は否定したわ、やめとけって。だけど、陽子は『好きになったものは仕方ない!』って何故か堂々としてた」
きっと私の知らないところで悩んでたんだろうな、と呟く工藤さんの声には、後悔の感情が籠っているような気がした。
「未成年と大人が恋愛なんて、上手くいくわけないって思ってた」
工藤さんのその言葉は、まるで私に告げられているように感じる。
お母さんも私みたいな恋愛をしたんだ。
そう思うと、今の私の気持ちと当時の母の気持ちが重なったように思った。
私はそこに“兄妹”という禁断ワードも含んでしまうけど。
「でも、意外と上手くいったのよね。高校を卒業したらすぐに結婚しちゃったの」
あっさりと成就したことを言われ私が驚いていると、朱里が隣で「すご!」と声を出し目を輝かせていた。
恋バナじゃないんだぞ、とそんな朱里を少し睨むと、朱里は気まずそうに目を逸らした。
「でも、陽子の家族はやっぱり歓迎してくれなくて、高校を卒業してすぐに結婚した陽子を『恥知らずだ』って言って、勘当しちゃったの。それから陽子は、旦那さんと街を出て行った」
それは、ドラマや漫画でよく見る“駆け落ち”というものだとすぐに理解した。
なぜ、母は家族にそこまで邪険に扱われなければならなかったのだろうか。
お母さんが何をしたの?
そう疑問を持つと、何だか胸がモヤモヤした。
「……でも、陽子は街を出ていくとき、見送りに来た私に言ったの。『今、すごく幸せだ』って」
工藤さんの言葉で想像したお母さんの顔は、本当に幸せそうで……愛に飢えたお母さんを愛してくれる人がいてよかったと、私はそう思えた。
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