第41話 嫌いな場所

 亡くなったお母さんのことを知る為、私と朱里は週末、私が昔いた児童養護施設に行くことにした。


 当日、今のお母さんにそのことを言うと、

「いいじゃない!気をつけて行ってらっしゃい」

とお母さんは喜んで私を送り出した。


 ハルも私が朱里のおかげで前を向き出したことを嬉しく思ったのか、家まで私を迎えに来た朱里を出迎え「ありがとな」とお礼を言っていた。


 お礼を言われた朱里は「イケメンに礼言われた……」と、女の子らしく顔を真っ赤にして心臓を押さえていた。


 私はというと、失恋したというのにハルが女の子にいい顔をするのがやっぱりちょっと嫌だった。

 これからは気持ちを殺して、兄としてハルを見なければならないというのに。


「俺も行こうか」

 私と朱里が歩き出すと、ハルが後ろから言った。


「ハルさん、それは野暮ですよ」

 ハルの言葉に私が返事をする前に、朱里が先に返事をして続けた。


「全部終わったら、すずめが自分から話しますよ」


 朱里が私の気持ちを勝手に代弁すると、それを聞いたハルは何だか嬉しそうに「……それもそうだな」と微笑んでいた。


      *


 児童養護施設、ひいらぎ園は今私が住んでいる街からは少し遠く、電車で数十分程の距離だった。


 朱里と二人で施設に向かって歩いているが、通り過ぎる街並みにはあまり覚えがない。

 昔の私は施設があったすぐ近くで暮らしていたのかと思っていたけど、そういう訳ではないのだろうか。


 家を出る前、お母さんは私に一つだけ情報をくれた。

“神崎陽子”

 実のお母さんの名前だ。


 その名前を頼りに、今日は朱里と徹底的に調べようと計画を立てた。


 この名前一つで、果たして何か得られるだろうか。

 少しの期待感と共に、何も見つからなかったら、という不安感も拭えない。


 施設に辿り着くと、事前にお母さんから連絡を受けていた園長先生が私達を出迎えた。

 白髪の、少しお年を召した女性だった。


「こんにちは、すずめちゃん」

 当時のこともあなたのことも覚えてるわ、と言う園長先生の顔も、やはり私には覚えがなかった。


 申し訳ないと思いながらもそれを伝えると、園長先生は「無理もないわ。ほんの数ヶ月しか一緒に過ごしていないもの」と微笑んだ。


 園長先生に案内され施設の中に入ると、途端に懐かしい気持ちが蘇る。


 悲しくて、怖くて、辛くて……きっと、昔の私はここが嫌いだった。

 大好きな人に置いて行かれて連れて来られた、この場所が。

 何故か当時の自身の気持ちだけを思い出し、私の心は少し鬱々とした。


 事務室のような所へ案内され、用意されていた席に着くと園長先生は一枚の紙を差し出した。

 私の昔の住所が載っている、戸籍に関して書かれている紙だった。


 紙を手に取り見てみると、朱里が隣から覗いて「お母さんの名前もあるね」と言った。

 朱里の言葉を聞き探してみると、確かに“母”の欄に名前がある。


「時間が経っても、子供たちの情報はきちんと取っておいてるの」


 そう話す園長先生の瞳は、まるで愛しいものを見つめるように優しかった。


「大きくなったわね、本当に……」と泣きそうな顔で微笑む園長先生に、朱里が「すずめと仲良かったんですか?」と聞く。


 朱里の質問に、園長先生はフフッと声を漏らしたかと思うと、

「全然よ。すずめちゃん、全く話してくれなかったもの」

と明るく笑いながら言った。


「えっ」と朱里が驚いた声を出すと、園長先生は懐かしそうに昔のことを語ってくれた。


「ここにいた時のすずめちゃんはね、意思表示をほとんどしない、何を考えているかよく分からない子だったのよ。当時の職員は皆、すずめちゃんとの接し方が分からなくてよく困っていたわ」


 今の私からは想像も出来ない、と思っているような顔をしている朱里に園長先生は続ける。


「嫌な事ははっきりと『いや!』って言うのに、お喋りにも楽しいことにも、食事をすることだって興味がないみたいだった」


 何となく覚えている、幼い自分が酷く心を塞いでいたということを。


 お母さん以外がどうでもよくて、お母さんにただ会いたくて、でもお母さんは私を置いてどこかへ行ってしまって……あの頃の私は、暗闇の中で常に一人でいるような、そんな気分で日々を過ごしていた。


「だけどある日、春樹くんが来てからすずめちゃんは変わった」


 園長先生が私を真っ直ぐ見て、優しく微笑んだ。


 そうだ、私とハルはここで出会った。


「あの時、私は別の部屋で仕事をしていたんだけど、それまで泣いたことなんてなかったすずめちゃんの大きな泣き声が私のいる部屋にまで聞こえてきて、何事かと思って急いで見に行ったのよ。そうしたら、中学生だった春樹くんに一生懸命しがみついて泣いているすずめちゃんがいたの」


 楽しそうに話す園長先生は、本当に子供が好きなんだと私に思わせた。

 朱里もそう思ったのか、私よりも嬉しそうな顔をして真剣に話を聞いている。


「井上さん達が帰ってから、当時の職員の子が慌てて『すずめちゃんが泣きました!』って報告してきて、皆で拍手したのよ。すずめちゃんは、春樹くんが帰っちゃって酷い泣きようだったけど」


 あの頃の私は心を塞いでいて気付けなかったけど、嬉しそうに話す園長先生を見ていると、ここでも私は愛されていたんだと思えた。

 いつも私は、肝心なことに気付くのが遅い。


「本当に、こんなに大きくなって、友達も出来て……よかったわ」

 園長先生の優しい声に、私も自然と笑みが溢れた。


 朱里と静かに話を聞いていると、園長先生は先程まで楽しそうな表情をしていたのに、突然悲しげに笑って、

「……酷い事故だったから、私達みんな、すずめちゃんには幸せになってほしかったの」

と言った。


 その言葉に、私より早く朱里が「どういうことですか?」と反応する。


 園長先生は少し黙って、言い辛そうに重い口を開けた。


「……すずめちゃんのお母さん……神崎さんが亡くなった事故は、暫くこの辺りでも噂されてたの。酷い事故だったって……」


 園長先生の表情で分かる、お母さんが悲しい亡くなり方をしたのだと。


 施設に向かう電車で、朱里が携帯で母の名前を入力し検索すると、朱里は途端に険しい顔をして私に「すずめは見ない方がいいよ」と言っていたから、きっとネットには色々と載っているんだろう。


 事故現場の写真なんかも上がっているのかな、なんて思うと、私にそんな物を見る勇気はなかった。


「子供の誕生日にケーキを買って帰る途中で、車の事故に巻き込まれて亡くなったなんて……私含めて、子供がいる親はみんな悲しんでたわ。だから、すずめちゃんには養子先で幸せになって欲しかったの」


 そう言う園長先生の顔は本当に私の幸せを望んでいるかのような顔で、きっと本心なんだろうと感じた。


 園長先生の言葉を聞き、私はついに本題を切り出す。


「……お母さんに身寄りがいなかった理由を、何か聞いていませんか?」


「私がここに連れて来られた理由を、知りたいんです」

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