第39話 夢の中のあの人は
私の実のお母さんが既に亡くなっていて、原因が私の誕生日にケーキを買いに行き交通事故に遭ったせいだと知り、私は食事も取らずに部屋に籠った。
失恋したとはいえ大好きなハルも来ているのに、暗い部屋で独り蹲(うずくま)り静かに涙を流していた。
忘れちゃってごめんね、悪者みたいに思っててごめんね、酷い娘でごめんね。
母への懺悔は溢れるほど出てきて、涙もとどまる所を知らずに零れ続けた。
そうしていると、部屋の扉が開きハルが入ってきた。
「泊まるから、今日は一緒に寝よう」
いつからか拒否されていたハルとの添い寝なのに心は暗いままで、昔のようにハルの部屋で、まるで恋人のように抱き合って床に就いたのに、一睡もしないまま気付けば朝になっていた。
暖かいハルの体に反し、私の心は酷く冷え切っていた。
*
目の下に酷い隈を付けたまま登校すると、昨日の件を間近で見ていた朱里が廊下で私を見つけ駆け寄ってきた。
「すずめ!大丈ーー」
大丈夫か、と聞こうとしたところで朱里は私の顔を見ると、続きを言うのをやめたようだった。
「……あの人が言ってたことって、本当だったの?」
聞き辛そうに朱里が問い掛ける。恐らく、昨日私が一人で帰ってからずっと気になっていたんだろう。
「……うん、本当らしいよ」
全部本当だった、と目を合わせずに答えれば、朱里は小さく「なにそれ……」と怒ったような声で呟いた。
「あの人、頭おかしいんじゃないの?他人(ひと)ん家の事情にズケズケと踏み込んで……」
私の代わりに怒ってくれている朱里には申し訳ないが、山口さんのことはもうどうでもいい。
今はただ、最低な自分が一番憎いから。
私の後に登校してきた大ちゃんも、私達の様子が気になったのかすぐに声を掛けてきた。
大ちゃんは私の顔を見ると、慌てたように「すずめ!?お前泣いたのか!?」と大きな声で言うから、朱里は咄嗟に大ちゃんに手を出していた。
拳で強めに殴り、ゴツンという鈍い音が鳴ると「いってー!!」と大ちゃんは声を上げる。
「ちょっとは察しろ!!」と朱里が怒鳴ると、大ちゃんは涙目で「だからって殴るなよ!!」と反論したので喧嘩になりそうだ。
そんな二人の言い合いを止める気力もなくて、私は静かにその場から離れて自分の席に着いた。
二人がデリカシーがどうのと言い合っている中、私はずっと亡くなったお母さんのことを考えていた。
その日も、帰宅するとハルがいた。
「……山口は来なかったか?」
私が一人でいるとまた山口さんがやって来て何か言われるかもしれない、と心配なんだろう。
「来てないよ」
私らしくもなく静かに答えると、ハルは「そうか……」と返事をして私を抱き寄せた。
「……また来たら教えてくれ」
俺が守るから、といつもなら嬉しいはずのドラマみたいな台詞を吐くハルの声すら、あまり胸に残らない。
ハルは私を心配してか、しばらく実家に泊まり通勤すると言った。
そして毎晩ハルは私を抱き締めて眠り、私はそんなハルの暖かな体に包まれ、少しずつだけど眠れるようになった。
そんなある夜、またあの夢を見た。
楽しそうに笑う女の人が、優しい声で幼い私の名前を呼ぶ。
「すず」
ハルもこの人も、なんで私を“すず”って呼ぶんだろう。私の名前は“すずめ”なのに。
「すず」
私を抱き上げ、相変わらず顔がボヤけている女の人は、それでも優しい笑顔をしていると分かる声で続ける。
「雀っていう鳥はね、すごく小さいんだよ。ママはすずが産まれた瞬間『赤ちゃんちっさ!!』って驚いたから、“すずめ”って名前を付けたの」
なにそれ、変な理由。
頭ではそう思うのに、夢の中の幼い私はニコニコと笑って嬉しそう。
この女の人のことが好きで好きで堪らないと思っているような、幸せそうな顔。
あぁ、そうか。
この人が、私のお母さんだったんだね。
夢から覚めて目を開けると、私の頬を一粒の雫が伝っていた。
私は、何度も夢に出てきた人がお母さんだと気付くと、余計に自分を責めた。
お母さんは夢の中でさえ私をあんなに愛してくれたのに、一度たりとも母だと思わなかった自分が無情過ぎて腹が立つ。
私の夢に出てきたお母さんは、私に何を伝えたかったのかな。
ずっと楽しそうに笑っていたお母さんは、私が忘れてしまったこと、悲しくなかったのかな。
考え出したらキリがないのに、考えることを辞められない。
*
お母さんの事実を知って暫く経ったが、心配性なハルは未だに一人暮らしをしているアパートには帰らず、実家の自室のベッドで私を抱き締めて眠る日々を送っていた。
そんなハルのおかげか漸くまともに眠れるようになった私だったけど、お母さんの夢を見る度に涙が溢れた。
深夜にそうして涙している私にハルも気付き、いつからか私が夢を見て泣いているとハルはその涙を拭って、小さく「すず、大丈夫……大丈夫だ……」と囁くようになった。
目を開けるといつもハルが辛そうな顔をして私の頬を撫でているから、それが別の意味で罪悪感を抱かせた。
ハルは妹として私を愛してくれているのに、私はこんなに汚い感情でハルを見てしまって、ごめんね。
頭の中で何度も謝った。
学校に行けば、朱里と大ちゃんは相変わらず喧嘩をしながら私を心配してくれた。
「もう大丈夫だよ」
二人にこれ以上心配をかけたくなくて嘘を吐くと、朱里が少し機嫌が悪くなった気がした。
そして、私が毎日を後悔しながら過ごしていたある日の帰り道、一緒に帰っていた朱里が
「あー!!もう!!」
と突然声を荒らげた。
私がなんの脈絡もなく声を荒らげた朱里に驚いていると、朱里は人目も憚らず声量を上げて言った。
「確かにすずめのショックは分かるけど!!いつまでも一人でウジウジすんな!!」
朱里の素直な気持ちの吐露に、「私とは違う境遇の朱里には、私の気持ちなんて分からないでしょ」と若干の苛立ちを覚えつつも、私は我慢して続きの言葉を待った。
「一人で悩んで、勝手に自分を責めて暗くなって、あたしはすずめの何なの!?」
朱里の怒りの意味が分からず納得の出来ない顔をしていると、
「友達でしょ!?もっと頼れよ!!」
と朱里は真剣な顔で言った。
その真剣な朱里の言葉に、私は漸く朱里が怒った意味を知った。
「あたしは、すずめを助けたいよ!!」
朱里の強い気持ちが込められた言葉は、誰の言葉も刺さらなかった最近の私の胸に、初めて強く突き刺さった。
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