第38話 潰れたショートケーキ

 お母さんは、私の誕生日に事故に遭って亡くなったの……?


 山口さんの本当かどうかも分からない話を聞き私が頭を真っ白にして動けずにいると、隣で話を聞いていた朱里が険しい顔をして「貴女が誰か知りませんけど、そんな話信じる訳ないじゃないですか」と山口さんに噛み付いた。


 朱里は、私が家族と血の繋がりがないということを知らない。

 私のハルへの態度がただのブラコンだと思われていた方がいい気がして、朱里には話せないでいたせいだ。


 きっと、私の青ざめた顔を見て純粋に心配してくれたんだろう。私だって山口さんの言葉を簡単に信じた訳じゃない。

 だけどどうしてか、否定ができない。


 お母さんは私を捨てたんだ!


 ずっとそう思っていたのに、今だってそう言い返したいのに、自分が何年経ってもお母さんを憎めないことがずっと不思議だった。


 山口さんの言ったことがもし本当なら、私はどんなに最低な娘だろうか。

 最後まで私の好きなケーキを買いに行くぐらい私を愛してくれていたお母さんを、突然私を置いて出て行った酷い母親だと思って今まで生きていたなんて、お母さんはどんなに悲しかったろうか。


 思い出さなきゃ、お母さんのことを。


 そう思い、幼い私が封じてしまった記憶の扉を一生懸命こじ開けようとするのに、鍵が何重にも掛かっていてなかなか開けられない。


 いつまでも顔色が青いままの私に、朱里が「すずめ、大丈夫……?」と心配する声を掛けてくるが、今の私にその声は届かなかった。


「昔、ハルくんが柳に話してるの聞いたから本当だよ。疑うならハルくんに聞いてみたら?」


 朱里の声は届かないのに、悪魔のように笑う女の人の声は耳によく響いた。



 その後、山口さんは満足したのか去っていき、すぐに私も隣に立つ朱里に「……先に帰るね」と断って自宅へ急いだ。

 山口さんの言ったことが、嘘であって欲しいと願いながら。


 家の扉を勢いよく開け中に入ると、タイミング良くハルが来ていた。

 リビングのソファで寛ぎながら携帯を見ていたハルは、私が汗だくで帰宅したことに気付き「何かあったのか……?」と言って立ち上がると、私に近付くためか足を踏み出した。


 明らかに様子のおかしい私に、台所で作業していたお母さんも「なに?どうしたの?」と心配そうに近付いてくる。


「……私のお母さん……」


 私が口火を切ると、今まで母親のことを意識的に口にしてこなかったせいか、二人は一気に顔を強張らせ立ち止まった。


「……私の本当のお母さんは、もう死んでるの……?」


 私の突然の問いかけに、ハルは動揺を隠せていない顔をした。

 台所の方を見ると、いつも陽気なお母さんも口を噤んだまま眉を下げている。


「私の誕生日にケーキを買って死んじゃったって本当なの!?」

 答えを焦ってつい声を荒らげて聞くと、途端にハルが「なんでそのこと知って……!」と漏らした。


 ハルのその言葉で、確信した。


「…………本当……なの?」


 小さく問い掛けると、ハルは私から目を逸らし、お母さんは言い辛そうに口を開いた。


「……すずめちゃん、どこでそれを聞いたの?」


 お母さんの顔はいつになく真剣で、私が素直に「……山口さんから」と答えると、ハルは「またアイツか……」と眉間に皺を寄せ呟いた。


「そう……その人が誰だか分からないけど、確かにすずめちゃんの本当のお母さんは、すずめちゃんの誕生日にケーキを買った帰りに車の事故に巻き込まれて亡くなったわ」


 正直に答えたお母さんに、ハルは「母さん……!」と制止の声を上げた。だけど、私を真っ直ぐ見るお母さんは「いつかは話さなきゃいけなかったことよ」と堂々としている。


「でもねすずめちゃん、これだけは分かってほしいの。あなたのお母さんが亡くなったのは、誰のせいでもないってこと」


 優しく諭すように言うお母さんの言葉は、衝撃を受けた私の脳裏に強くは残らなかった。



 私は、物心ついた時から母親に捨てられたと思っていて、母親のことを忘れようと努めてきた。

 私を捨てた人のことなんか忘れて今の家族を大事にしよう、と。


 でもそれは間違いだった。

 お母さんは私のことを愛していたのに、私の大好きなショートケーキをわざわざ買いに行って死んでしまったのに、今はもうその人のことを全て忘れてしまった。

 顔も、声も、名前も、思い出も、何もかも。

 昔は確かに覚えていたはずなのに。

 お母さんの面影を、必死に探していたはずなのに。


 私は、忘れてしまったんだ。


 事実を知り、愕然として体を崩れさせると咄嗟にハルが私を受け止めた。


「すず……!」


 ハルは地面に力なく崩れ落ちる私を受け止めると、私を強く抱き締め辛そうな声で「ごめん……ごめんな……」と謝った。


「昔……すずが記憶違いをしてるって気付いたのに……俺がその時言わなかったから……!!」


「本当にごめん……!!」と、ハルは何も悪くないのに何故か必死に謝り続けていた。


「すず……お前は悪くない……絶対に悪くないから……」

 ハルは何度も何度も繰り返し、私を慰めた。



 ハル、ちがうよ。

 私酷いんだ。


 愛してくれたお母さんのことを、憎みはしなくともまるで悪者のように思ってた。


 私すっごく悪いんだよ、ハル。



 ハルの慰めの言葉は心には届かず、私はただ最低な自分を否定し続けた。

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