第37話 秘密

 ハルが話せるようになるまで待とう、と道の真ん中で二人してしゃがみ込んでいると、通り過ぎる人々が私達をチラチラと見ていることに気付いた。


 さすがに少し恥ずかしくなり、ハルに「ちょっと移動しない?」と声を掛けるとハルは静かに立ち上がった。


 何だか弱々しいハルの手を引いて、近くにあった公園のベンチに座らせ手を離そうとすると、ハルは私の手を握る力を強くして離さない。


 その光景に、今のハルは甘えん坊の小さな子供みたいだ、と思ったら段々と面白くなってきて「……んふふ」と笑い声を漏らすと、ハルがやっと私の顔を見た。


「……何笑ってんの」


 少し頬を染めている、ハルの顔が見えた。

 昔からずっと大人っぽく見えていた人は、実はこんなに幼い面もあったのか、と思うと笑いはどんどん堪えきれなくなる。


「プッ……あははっ!ハル……!かわいい……!!」

 結局、私は吹き出して大きな笑い声を上げてしまった。

 ハルはどうして私が笑っているのかさっぱり分からないようで、キョトンとしている。

 その顔も可愛く見えて、なかなか笑いは治まらない。


 私が笑い声を上げたことでハルの気持ちにも余裕が出来たのか、私が「ふぅ……」と落ち着くと漸くハルは静かに口を開いた。


「…………幻滅したか?」


 私の手を握るハルの手は、微かに震えている。


「……幻滅っていうか……意外っていうか」

 そもそも本当に女遊びが激しいの?とハルに問いかけると、ハルは「遊んだつもりはない」と即答した。

 それを聞いて少し安心した。


「好きにはなれなかったけど、ちゃんと付き合ってた」

 好きじゃないのに付き合ったんだ、と不思議に思いながらも「ふーん」と相槌を打つ。


「じゃあ、この間家の前でキスしてた女の人のことも、別に好きじゃないの?」


 意地悪のつもりで、私が見てしまったあの夜のことをハルに初めて言ってみると、ハルは「え」と目を見開いて私を見た。


「……見たのか?」

「見た」


 即答すると、私に見られたことが余程恥ずかしかったのか、ハルは俯いて「あぁぁ……」と後悔しているような声を漏らした。


「……そいつは……今の彼女……」

 言い辛そうに打ち明けるハル。


 とうとうハルの口から“彼女”という言葉を聞いたせいか、私の胸には小さく痛みが走った。


 思っていた通り、ハルは私の知らないところで私の見た事のない顔を、今まで付き合った人達に見せてきたんだ。

 妹である私が、一生見ることの出来ない顔を。


「……いいな」

 思わず小さく呟くと、ハルが私をチラッと見ていることに気付き、私はすぐさま「なんでもない」と言って誤魔化した。


 ハルは「……そいつの事も好きじゃない」と私が少し前にした質問に答えたかと思うと、

「ずっと、他に好きな人がいるから……」

と爆弾発言をした。


「……え?」

 思いもしなかったハルの言葉に驚き、声が漏れた。


 ハル、好きな人がいるの?と聞きたいのに、上手く口が開かない。


 ハルは私の目を真っ直ぐ見て「その人とは付き合えないから、忘れるために彼女を作ってた」と私がまだ驚いているのに暴露を続けている。


 ハルに好きな人がいたなんて、ずっと一緒にいたのに全然気付かなかった。

 忘れるためにたくさんの女性と付き合うなんて、それ程その人のことが好きなのか、と思うと私の胸はまるで何かに握り込まれたように苦しくなる。


 ハルが私に向けた優しい顔も、私の頭を優しく撫でた手も、愛おしそうに名前を呼ぶ声も、もしかしたら全て私に向けたものではなかったのだろうか。


 私を撫でながら、ハルはその人のことを想っていたのかな。


 愕然としつつハルを見るが、ハルはいつになく真剣な顔をしていて、あぁ、私は今失恋したのか、と今の一瞬で理解した。


「……ハルのこと、幻滅なんてしないよ」

 ハルが最初にした質問に今更ながら答え、私は言葉を続ける。


「……その人のこと、すごく好きなんだね」

 素敵だね、と思ってもいない言葉を吐いて笑ってみれば、何故かハルの方が辛そうな顔をした。



 その後、結局ハルは今の彼女に別れを告げ、もう恋人は作らないとわざわざ私に宣言した。

 ただの妹である私に、そんな宣言をする必要はないのに。


 きちんと話しが出来たからか、ハルはまた以前のように頻繁に私に会いに来るようになった。

 少しぎこちなく感じるところもあるが、何故だか私への過保護は少し増したように感じる。


 仕事中でもお構い無しに連絡をしてくるようになり、まるで私がハルの彼女みたいだ、と嬉しいんだか虚しいんだかよく分からない感情に苛まれた。


 そしてその事をたくさん相談に乗ってくれた大ちゃんに話すと、まるでハルのように心底嫌そうな顔をしていた。


      *


 あの一件からしばらく経ち、山口さんのことも忘れかけていた頃、


「すずめちゃん、こんにちは」


山口さんは再び私の前に現れた。


 わざわざ学校の近くで待ち伏せていたみたいだ。

「え、だれ?」と一緒に下校中だった朱里は思わず口に出している。


 朱里にはハルとのことは一切話していないから、当然山口さんのことも知らないので何やら困惑していた。


 またあの不安定な情緒を晒してくるのだろうか、と私が警戒していると、山口さんは「この間のことを謝りたくて……」としおらしく話し出した。


「ごめんねって、ハルくんに伝えておいてくれる?」


 最初に見た上品な印象の女性に戻っていた山口さんに、私は少し警戒心を解いた。

 目の奥が黒く染っていることにも気付かずに。


 私は何も答えていないのに、山口さんは気にもせず語り続けた。


「思えばあの頃、ハルくんだって大変だったはずだもんね。複雑な生い立ちのすずめちゃんを引き取って、一生懸命お世話してたんだもん」


 山口さんの言う“複雑な生い立ち”という言葉に、若干の違和感を感じる。

 確かに私は複雑な生い立ちかもしれないが、普通本人にそのことを言うだろうか。


「すずめちゃんが実のお母さんのことでトラウマを抱えているんじゃないかって、ハルくん毎日心配してた」


 トラウマ?

 実のお母さんが私を捨てたことを言っているなら、別にトラウマではない。今が幸せだからと割り切っている。


「すずめちゃんが、自分のせいでお母さんが亡くなったって自分を責めてしまうんじゃないかって、私もすごく心配してたんだよ?」


…………え?


「……もしかして、知らないの?」


 言葉の意味が分からず硬直していると、山口さんは私の反応が無いことにわざとらしく首を傾げた。

 そして私の顔で全てを悟ったのか、目を細めニヤリと笑い、言った。


「お母さん、すずめちゃんの誕生日に事故に遭って亡くなったんだよ」


「……すずめちゃんの大好きな、

ショートケーキを買って」



 その時初めて、彼女の顔が私の不幸を望む悪魔のように見えた。

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