第36話 知られたくなかったこと
窓の外から、見たこともない形相で山口さんを睨むハル。
ハルのここまで怒った顔は、大ちゃんにすら見せたことがないはずだ。
山口さんはハルに気付くと「え、ハルくん!?」と立ち上がり頬を染めた。
明らかに何か期待をしている、とほぼ初めて会ったはずの私でも分かってしまう。
ハルが窓を叩いた音と私達の反応から、店内が何事かとざわつき出し、店員さんも「どうされましたか!?」と小走りで駆けつけてきた。
私が「い、いえ、なんでもありません」と心配する店員さんに答えもう一度窓を見ると、ハルはもうそこにはいなかった。
何処に行ったのかと思っていると、背後から「お客様っ!?」と慌てる店員さんの声がした。
声の方を見ると、相変わらず鬼の形相をしたハルが私達の席に向かって凄い勢いで歩いて来ている。
やがて席に辿り着くと、ハルは山口さんには目もくれずすぐに私の腕を掴み、また歩き出した。
勢いよく腕を引かれ、私は転びそうになりながらも、足早で歩くハルの速度に合わせて歩いた。
振り向き山口さんを見ると、彼女は未だに頬を染めたままハルの後ろ姿を見つめていた。
カフェを出て、まるで私を山口さんから引き離すように歩き続けるハルに声を掛ける。
「ハル!」
少し強めに名前を呼ぶが、反応はない。
ハルの姿をよく見てみると、スーツ姿だ。今日は平日の夕方だから、恐らく仕事で外に出ていたんだろう。
「仕事は平気なの?」
気になって問い掛けても、ハルは返事もしなければ足も止めない。
それどころか、振り返らず私のことを一切見ない。
久々に会ったのに、どうしてこうなったの?
もしかして、私が何か悪い事をしたのだろうか。
ハルを怒らせるようなことを私がしてしまったの?
だから口を聞いてくれないの?だから会いに来てくれなくなったの?
連絡をしてくれなくなったのも……私のせい?
黙ったまま強く手を引かれ続け、悪い方にばかり考えてしまい段々と目頭が熱くなってくると、
「ハル!痛い!」
と途端に大きな声が出た。
自分でも驚く程の声に、さすがにハルも立ち止まった。
そしてハルはゆっくりと手を離し、少しして「……ごめん」と小さく謝った。
しばらく会っていなかったせいか、ハルとどういう風に接していいか分からず私が口を閉ざしていると、最初に口を開いたのはハルだった。
「……あの女に、何か聞いたのか」
「……山口さんのこと?」
ハルが何の事を気にしているのか、何となく分かる気がした。きっと、ここで何も知らないフリをするのが良い女なんだろう。
だけど、私はきちんとハルの口から聞きたい。
「……聞いたよ。ハルの女遊びが激しいって」
私が山口さんから聞いた事を素直に白状すると、「そうか……」と呟いたハルの肩が小さく震えたように見えた。
ふと、背を向けたままのハルの手を見ると、拳を固く握り締めている。
それは、不名誉な噂を私に伝えた山口さんへの怒りなのか、それとも私に事実を知られてしまった悔しさなのか。
ハルが教えてくれないと、私には分からないよ。
小さく震えるハルの背中を眺め、静かにハルの言葉を待っていると、後ろから「ハルくん!」と声がした。
山口さんだ。
カフェからハルを追い掛けて来たのか、走る山口さんは私を通り越してハルの前で立ち止まった。
「ハルくん、お願い聞いて!私、中学生の頃ハルくんに酷いことしたよね。だけど、本当に辛かったの、ハルくんが変わっちゃったことが」
ハルは何も言っていないのに、山口さんは気にすることなく話を続ける。
「ハルくんも私も大人になったんだし、あの頃の事は忘れて、これからはまた仲良くしない?もちろん恋人になるっていう道もあるけど、今はまだそこまで考えなくてもーー」
「うるせぇ……」
怒涛の勢いでハルに迫る山口さんの話は、私が今までに聞いたこともないハルの苛立ちを含んだ声によって遮られた。
「なんなんだよ、お前。昔からやる事が汚いんだよ。よりにもよって今更すずに近付くとか、タチ悪すぎるだろ……」
苛立ちからか、ハルは荒々しく髪をかきあげ俯いた。後ろからだと表情が見えない。
ハルの苛立ちを隠せない様子に、山口さんも焦ったように「あのねハルくん!」と弁明の言葉を続けようとした。
だけど、ハルによってそれは防がれた。
「そもそもお前と付き合ったことなんか一度もないし、俺は最初から苦手だったんだよ、お前の事が。勝手に勘違いして勝手に自滅しただけなのに、俺の変な噂ばっかり流して優越感に浸って……今日まで俺がお前の事を覚えていたのは、あれ以降お前の事が死ぬほど嫌いだからだよ」
いつも口数の少ないハルから滅多に聞かない長文の言葉に私は驚き、同時にどんな顔をしているのか気になり山口さんを見ると、彼女はやはり衝撃を受けたような顔をしていた。
「ハルくん、ひどい……なんでそんなこと……言うの……?」
山口さんは震える声で言ったかと思えば、目から大粒の涙をポタポタと溢れさせた。
自身の手で涙を拭いながら「私はただ……もう一度ハルくんと仲良くなりたかっただけなのに……!」と訴える山口さんに、俯いていたハルは顔を上げ言った。
「仲が良かったことなんて、一度も無かっただろ」
それが事実だったのか、涙を流していた山口さんはキッとハルを睨んで「……もういい」と去っていった。
被害妄想が激しい人なのかな、と私は山口さんの去っていく後ろ姿をただ眺めていた。
漸くハルとゆっくり話が出来る、と思いハルを見ると、ハルは山口さんの相手で相当疲れたのか突然地面にしゃがみ込んだ。
「……ハル?」
心配になって声を掛け近付くと、ハルは小さく「……ごめん」と謝った。
何に対する謝罪なんだろう。
しゃがみ込んで動かないハルの正面に立ち私も腰を落とすと、ハルは私の手首にそっと触れた。
まるで壊れ物を扱うかのように優しく撫で、「……強く握ってごめん」と弱々しく謝るハルは、何だかハルじゃないみたい。
「……いいよ、そんなこと」
それよりも聞きたいことがあるの、と私が言葉を続けると、ハルは声を震わせながら「……ちゃんと話すよ」と口にした。
私はハルの言葉を信じ、話せるようになるまでただ静かに待つことにした。
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