第32話 嘘吐き

 私がハルへの想いを自覚した次の日、ハルは連絡してきた通り私に会いに帰ってきた。


 泣いたことをハルに悟られないか不安だったけど、寝て起きたら少し浮腫んでいたくらいで、それを見たハルも特に何も言わなかった。


 それよりも、昨日の連絡に私が返事を返さなかったことの方が、ハルは気になっていたらしい。

「昨日は早く寝たのか?」なんて聞かれて、見当違いな質問に落胆しつつ肯定した。


 ハルに異変を気付かれないということが、今の私の胸には強く突き刺さる。


「本当に彼女いないの?」

 いつも通りを装って聞くと、ハルは微笑んで「最近よく聞くな、それ」と私の目を見た。

 同時に私の頭を優しく撫で、

「いない」

 と答えた。


 私の目を真っ直ぐ見て答えるハルの瞳は、何だか光が無くて、嘘を吐いているとよく分かった。

 少し前の私ならきっと気付かなかった、ハルの嘘。


 私は、昨日のあの人は誰?なんて聞ける訳もなく、平気で嘘を吐くハルに「そっか」とただ返事をするだけだった。


      *


「すずめ、何かあった?」

 週明け、いち早く私の異変に気付いたのは、大ちゃんだった。


 喧嘩をしてからしばらく口を聞いていなかったのに、私の様子が変だと気付いてそれまでの気まずさを乗り越えたみたいだ。

 クラスメイトから集めた古文の課題を職員室に持って行こうと廊下に出たところで、声を掛けられた。


「ハルさんと何かあったんだろ」

 なぜハルとのことだと分かったのか、神妙な面持ちで言う大ちゃん。

 いつものように笑えていたはずなのにな、と大ちゃんの目ざとさに疑問を抱く。


 大ちゃんは昔から、私の事によく気付く。


 小学生の頃、友達に私と家族の顔が似てないことを指摘され落ち込んでいると、大ちゃんが「すずめの家は複雑なんだから、そういうこと言うな!」と教室中に響き渡るほどの声量で怒った。


 そのせいで、私がお父さんの不倫相手の子だとか、大ちゃんと私が付き合っているとかいう噂が流れたりした。

 それ自体は別にどうでもよかったけど、大ちゃんは我が家の事情を大声で言い放ったことを気にしていたのか、何度か謝ってきた。


 昔から、落ち込む私によく気付く、優しい大ちゃんが少し嫌いだった。

 ハルでも気付かないような小さな異変まで気付かれるから、隠し事が出来なくて、執拗いから言いたくないことも言うことになる、それが苦痛だった。


「昔のすずめみたいな顔して、どうしたんだよ」


 大ちゃんは、今の私が幼い頃の私と同じ顔をしていることに気付いたようだ。

 大ちゃんと出会った頃はもっとマシになってたはずなのに。


「…………」


 いくら何でも今回は言えない、と口を噤んでいると「あれ、仲直りしたんだ」と朱里の声がした。


 教室から朱里が出てきて、「長い喧嘩だったな〜」と笑い私の肩に手を置く。

「暇なら朱里も手伝ってよ」と大ちゃんの質問にも答えず言えば、朱里は仕方ないなぁと課題を半分持った。


 そのまま二人で歩き出し、大ちゃんを置いて職員室に向かった。

 感じの悪い私に、大ちゃんは何も言わなかった。



 放課後、朱里と帰ろうとすると「相沢」と珍しく大ちゃんが朱里に声を掛けた。

 突然話し掛けられた朱里が不審に思うような目で見るが、大ちゃんは気にせず言葉を続けた。


「すずめに話があるから、悪いけど一人で帰ってくんない?」


 まだ諦めていなかったらしい。恐らく私が何に悩んでいるのか聞きたいんだろうけど、大ちゃんに言えるわけない。

 兄に恋をしている、なんて。


 大ちゃんの言い方が良くなかったのか、朱里はすごく驚いたような顔をした後「おまっ、まだやめとけって!脈ないから!」と意味は分からないけど何か勘違いをしているのか大ちゃんを説得し始めた。


「ちげーよ!!」と大ちゃんが頬を赤らめてツッコミを入れる。


「てか何気に失礼だぞ!!」

「だって本当のことじゃん!!」


 楽しそうに会話する二人は、何だかとても仲良しみたいで羨ましい。


 そんな二人を眺めていると、相変わらず勘違いしたままの朱里が「どうなっても知らないからな!」と言い捨て教室を出て行った。


 まだ人が残る教室で、大ちゃんは「移動しようぜ」と言って私の手を取り教室を出た。

 そのまま屋上へ続く階段を上り始める。


 そういえば、昔もこんな風に大ちゃんに手を引かれて連れ回されたっけと思い出す。


 幼い頃の大ちゃんは強引に手を引くから私は手首が痛くてよく怒ってたのに、今は大きな手で優しく私の手首を包んで、私が転けないよう歩く速度も調整してくれている。


 もう小さな子供じゃない、高校生の男の子なんだと実感する。



 大ちゃんに手を引かれて屋上に辿り着くと、綺麗な夕焼け空が広がっていた。

 まるで明るくお節介な大ちゃんを照らすように、夕日は輝いている。


 夕日に照らされる大ちゃんが眩しくて目を細めると、私の手首を掴む大ちゃんの手の力が少し強まったのを感じた。


「……逃げるなよ、すずめ」


 私に背を向けたまま口を開いた大ちゃんの声は、少し震えていた。


 大ちゃんはゆっくりと私の手首を離し、振り向いた。

 夕日に照らされ輝いているように見えた大ちゃんは、何故だか私よりも辛そうな顔をしている。

 そんな大ちゃんを見ていると、自分の嫌なところが脳内に溢れてくる。


 どうして?

 私の方が辛いよ。

 恋をした人が、選りに選ってハルだなんて。

 絶対に叶わない恋なんて、大ちゃんは経験したことなんてないでしょ。


 私が酷いことを考えている間も、大ちゃんは真っ直ぐ私の目を見ていた。



 結局、我慢しきれず私はまた泣いてしまった。


 大ちゃんは、私が泣いているのをただ黙って見つめていた。

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