第31話 昔の自分

 ハルの部屋に明かりが灯ったのを確認して、しばらく経った。

 私は相変わらずアパートの前に立っていた。


 こんなところに立っていても仕方がない、と漸く動き出し、近くにあった公園のブランコに腰掛けると、体に力が抜けたせいか一気に色々な感情が溢れ出す。


 あの女の人は誰?

 ハルとどういう関係?

 今日、私に会いに来なかったのはあの人と会うため?

 ハルは私に嘘を吐いていたの?

……どうして?


 たくさんの疑問が頭に浮かび、気付けば頬を雫が伝っていた。

 それは、気付いてしまうとたくさん目から溢れて来て、止まらなくなった。


 私は何が悲しいんだろう。

 ハルに嘘を吐かれたこと?

 私の事を一番に好きなハルが、一番を別の人に変えてしまったこと?


 ちがう。

 私が悲しいのはーー


ハルの隣に立つのが、自分じゃなかったこと。



 ハルの隣はいつも私のもので、ハルも私にしか渡さなかった。

 どんなに女の人が声を掛けようと、ハルは冷たく返して私にだけ優しい顔を見せてくれる。

 私はそれに優越感を感じていた。


 いつも私がしたいことをさせてくれて、私が言ったことは全部肯定してくれて、馬鹿な私に勉強も教えてくれて、1問解ける度に「すごいな」と撫でてくれる。


 きっとそれは兄としての優しさだったんだろうけど、私はそんなハルに段々と我儘になってしまい、そして勝手に思っていた。


 私のために恋人を作らないんだ、と。


 あの女の人にキスをしていたハルが、一体どんな顔をしていたのかは見えなかった。

 だけどきっと、それは妹である私が見たことのない顔だろう。


 誰も見たことのないはずのハルの優しい笑顔は、いつの間にか私だけのものではなくなっていたのかな。


 止まらない涙を拭い続け、服の袖は涙が染みて湿っている。

 溢れ出る感情と涙に、きっと顔はとんでもないことになっているだろう。


 独り声を殺して泣いていると、スカートのポケットに入れた携帯が小さく音を鳴らした。見てみると、ハルだった。


『やっぱり明日、会いに行く』


 素っ気ないのに私を愛して止まないハルの文面に、ボロボロの私は漸く想いを口に出した。



「……私……ハルが好きなんだ……」



      *


 お父さんに連絡すれば迎えに来てくれただろうけど、誰かと楽しく話す気分じゃなくて徒歩で帰宅すると、お母さんが「危ないじゃない!」と怒っていた。


「……春樹に会えたの?」

 ボロボロだった自分を整えて帰ってきたはずだったが、お母さんは私の目が赤いことに気付いたようだ。


「ううん、会えなかった。あんまりにも遅いから連絡してみたら、まだ仕事中だって」

 嘘を含んだ言葉を吐き、出来る限りの笑顔で返すとお母さんは「そう……」と納得していないような顔で言った。

 きっと、嘘だとバレている。


「今日のこと、ハルには言わないで」

 心配するから、とそのままの笑顔で言い2階の自室に入った。

 

 暗い部屋の中、ベッドに転がりまた泣いた。


 自分の気持ちを自覚したところで、兄妹である私にはハルに想いを告げることすら許されない。


 ハルはいつか、私じゃない誰かと結婚して子供を作り、幸せに暮らすんだろう。

 そうしたら、ハルは家族の中に“私”という部外者がいることに気付いてしまうかもしれない。

 独り占めしていたハルの愛情は、私には一切与えられなくなる。


 “妹”として一緒にいることすら、叶わなくなる?


ーーちがう。私はもうハルの妹にはなれないんだ。

 こんな感情を抱いてしまった時点で。


 このどうしようもない想いをいつか割り切って“妹”を演じられる日が来たとしても、もう本当の“妹”には戻れない。

 それなら、たとえ上辺だけでもハルの妹でいたい。

 ハルが私を部外者だと気付くまでは、ハルの愛を独占していたい。


 その為には、自分の中にあるこの汚い感情は誰にも知られてはいけない。

 家族や友達に知られないよう、想いを殺して生きよう。


 決意すると、不思議と涙は止まった。

 ベッドから起き上がり鏡に映る自分を見ると、夢で何度も見た幼い自分のようだった。


 泣きも笑いもしない、全てを諦めたように我慢する、幼い私。

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