第23話 忘れていたこと
「記念日何したん?」
夏休みが明け登校し、まだ蒸し暑い空気に耐えられず廊下の窓辺に立ち涼んでいると、航太がさり気なく聞いた。
その言葉を聞き、俺は忘れてはならないことを忘れていたと思い出し、一気に青ざめ俯いた。
様子のおかしい俺に気付いたのか、
「……ハル?」
と航太が俺の顔を覗き込む。
俺の顔色を見て、急に航太が真剣な顔をして「また何かやらかしたか」と呟いた。
その通りだ。俺はやらかした。
よりにもよって恋人同士が一番重要視している、付き合った一年記念日……そしてもう一つ、彼女の誕生日をすっかり忘れてしまっていた。
そういえば、すずと海に行く約束をしたからと前日に華から来た誘いを断ってしまった、と思い出したら最後、罪悪感と申し訳なさで頭がおかしくなりそうだった。
とにかくすぐに謝りに行こう、と華の教室へ行こうと動き出すと「ハル」と航太が俺を呼んだ。
航太を見ると、いつものバカっぽさはなく真剣な顔をしている。
「ただの優しさで人と付き合うな」
珍しく俺を叱るような口振りで言った。
いつもなら、何を偉そうなことをと思うところだが、何故だか強く胸に刺さる。
「お前のそれは、優しさじゃないからな」
図星を突かれたような感覚が胸を襲い、俺は禄に返事も出来ず逃げるように華の教室へ走った。
航太はそれ以上何も言わず、走る俺をただ見ていた。
教室まで行くと、友達と談笑していた華が俺に気付いた。
いつものように笑い「ハルくん!どうしたの?」と明るく駆け寄ってくるから呆気に取られる。
「……ごめん」
その明るさに、より罪悪感が増し突発的に謝ると、華は何のことかと聞いてきた。
俺が何を仕出かしたのか、きっと分かっているだろうに。
「……記念日と、誕生日……忘れてごめん」
後ろめたさから目を逸らし、素直に謝れば華は「いいんだよ」とそのままの声色で返した。
普通なら怒ったり泣いたりするだろうと思っていたが、違うのだろうか。
そう思い華を見ると、困ったみたいに眉を下げて笑っていた。
あっさりと許されてしまった俺は、安心した一方で何処か不安感が残っていた。
華の笑顔をそのまま信じていいのだろうか、と。
だが華は、そんな俺の気持ちを忘れさせるように今まで通り接した。
華の心の内は、俺には分からないままだった。
*
紅葉が舞う秋、修学旅行の季節が来た。
二年生の生徒たちは修学旅行の話題で持ち切りで、皆楽しそうに計画を立てている。
そんな秋の昼休み、食堂で俺と華も修学旅行の話をしながら食事をしていた。
「自由時間は一緒に回ろう」と俺が今までのミスを償うつもりで提案すると、華は嬉しそうに笑った。
中学の修学旅行では、幼かったすずが泣いて母が電話をかけて来たりしたが、今回はきっとそんな事は無いだろう。
勝手に仮定し、修学旅行は絶対に失敗しないと決意する。
これ以上華を傷つけないよう気を付けなければ。
「えー!俺は?俺は一人?」
俺と華の会話を聞いて、隣に座っていた航太が横槍を入れる。
「お前は別のヤツと回れ」と冷たく返せば、航太は「俺ぼっちじゃん!」と大袈裟に声を上げた。
夏休み明けに俺を諫めた航太は、あれ以降またいつものふざけた態度に戻っていた。
俺に気まずさを感じさせないよう、気を使っているのだろうか。
いや、航太に限ってそれはないか。
修学旅行当日、荷物を持って家を出ようとすると「はる、どっか行っちゃうの?」とすずが寂しそうに声を掛けてくる。
そんな顔をされたらまた罪悪感が湧くじゃないか、と思いながら「すぐ帰ってくる」とすずの頭を撫でた。
修学旅行先は京都で、一日目はクラスで予め決めてあったグループで観光地を回る。
女を嫌がる俺の為に航太が配慮したらしく、俺のグループは男だけだ。
その中に航太も含まれているのが納得いかないが。
華も仲のいい友達とグループを作り、楽しく回っているようだった。
二日目も同様で、三日目になり漸く自由行動を許された。
航太を含む同じグループだった奴らと別れ、華と合流し府内を巡る。
事前に華が行きたいと言っていた観光地を調べ、慣れないながらも練ったプランで華を連れ歩く。
「なんだか今日張り切ってるね」
俺の珍しい行動を不思議に思ったのか、華が言った。
正直に“罪滅ぼしだ”とは言えず口籠っていると、小さく華が「本当に分かり易いんだから……」と呟いた気がした。
人気の観光地である伏見稲荷大社に来た俺達は、人混みの中長く続く鳥居の下をゆっくり歩きながら他愛もない話をしていた。
「すずめちゃん、元気にしてる?」
そう俺に問いかける華は、受験の為かこの夏から塾に通い始め、一年の頃はあんなに会っていたすずともあまり顔を合わせずにいた。
「元気だよ。どんどん我儘になってて」と最近のすずは子供らしさ全開だという話をすると、華は何故だか眉を下げて笑った。
あぁ、この笑い方だ。
華のこの笑顔を見ると胸が痛む。
何もかも見透かされているようで、それでいて何かを諦めているようでーー。
「ハルくん」
俺がぼんやり華を見ていると、何処を見ているのか、華はまっすぐ前を見たまま俺の名前を呼んだ。
「……ハルくん、私のこと好き?」
思いもしなかった問いかけに、俺は驚き立ち止まってしまう。
立ち止まった俺に気付いた華も、俺の少し前で足を止め返事を待った。
質問の意味も意図も分かるのに、ただ「好きだよ」と言えばいいのに。
俺は何も言えなかった。
少しして、華は振り向き「ごめん、意地悪しちゃったね」と笑った。
あの眉を下げた笑顔で。
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