第10話 過ぎて行く日々

 大智に釘を指したことで、怪我の件は収束した。

 あれから大智は俺のことが怖いのか、毎朝遠目で俺がいなくなるのを待ってからすずに話しかけているようだ。


 俺としてはこれ以上あのガキと関わって欲しくないのだが、意外にもすずはあの一件以降大智と話すようになったみたいだ。

 といっても、先生曰く大智の遊びの誘いを断る言葉しか発していないらしいが。

 嫌なことは言わないと伝わらない、とすずなりに学んだんだろう。



 すずが幼稚園に通い始めてしばらく経ち、修学旅行の季節がやってきた。

 3日間も俺がいないなんてすずに耐えられるわけがないと自惚れていたが、当日の朝平気な顔で送り出されてなんだか釈然としなかった。


 航太とはクラスが違ったから当然行動も別だったが、事ある毎に俺の班にやって来ては朝のことをネタに「すずめちゃんに飽きられてやんの〜」と俺を悪い意味で刺激して去っていく。

 そのせいで俺はずっと不機嫌で、同じ班の奴らに気を使われていた。


 すずにはもう俺は必要ないのかもしれない、と夜ベッドで感傷に浸っていると突然電話が鳴った。母からだ。

 同室の奴に断りを入れ電話に出ると、大きく泣き叫ぶ声と共に母が喋り出した。


「すずめちゃんが泣き止まないの!なんか喋って!」

 いつもお気楽な母にしては珍しく参っているのか、説明も無しに早口で言ってきた。


 事情を察し「すず?」と名前を呼べば「ほら!すずめちゃん!お兄ちゃんだよ!」と母の一生懸命な声が聞こえる。

 もう一度名前を呼べば、あれだけ大きく泣いていた声が落ち着いた。


 僅かに嗚咽しながら「……はる?」と涙声で名前を呼ぶすず。

「……あぁ、俺だよ」

 返事をするとすずの笑う声が微かに聞こえ、愛しい気持ちに満たされる。

 同時に、落ち込んでいた俺の自尊心は完全に回復した。


 すずは「どこにいるの?」「なにしてるの?」「もうすぐかえってくる?」「はるとねたいよ」と言いたいことを言い、俺が返事を答えているうちに泣き疲れて眠ったようだった。


 母から感謝の言葉を聞き電話を切ると、声を聞いたからか俺の方がすずに会いたくなった。

 明日も電話がかかってくるかな、なんて夢を見ていると、翌日本当にかかってきた。


 3日目の夜、帰宅すると父と母は疲弊した姿で俺を出迎え、すずは何度も泣いたのか目を真っ赤に腫らして俺に抱きついてきた。

 すずがこんなに泣くなら修学旅行なんて行かなければよかった、と少しの後悔と罪悪感が残る。


      *


 受験もあってか、日々が目まぐるしく過ぎていった。


「ハル……去年のすずめちゃんの誕生日のお礼、今更だけど貰おうと思うんだが」

 秋のある日、航太が突然1年も昔のことを持ち出してきた。


「いや、今更っていうか……あれは結局、お前に礼なんてするほどじゃないって言った気がするんだけど」


 そう言うと航太は「こればかりは譲れない。ちゃんと借りは返せ」と、いつになく真剣な顔で言うものだから、そんなにその“礼”が必要なのかと仕方なしに受け入れる。

 あまりにも恩着せがましいが。


 俺が受け入れて安心したのか、航太は漸く本題を口に出した。

「俺の受験勉強を見てくれ!」


 そんなつまらないことの為にあんなに真剣な顔をしたのか、と俺は心底呆れた。


 航太の志望校は偶然か、俺の志望校と同じだった。偏差値は普通の学校だが、航太の成績では落ちる可能性も視野に入れるべきだと担任に言われたんだそう。

 それで焦ってこんな頼みをしてきたのかと腑に落ちる。


「勉強のことじゃなくて、聞きたいことがあるんだけどさ」


 図書室で勉強を見てやっていると、集中していないのか航太が声をかけてくる。

 誰の為にわざわざ勉強を見てやってると思ってるんだ、と不快を顔に出せば「ごめんごめん」といつもの軽い謝罪の言葉を吐いた。


「いやさ、ハルって成績も悪くないし、勉強すればもっと良いところ行けるだろ?なんでわざわざあんな普通の高校志望するのかなって気になったわけ」


 その普通の高校の受験にすら必死になっているくせに何を言ってるんだ、と思いながら「家から近いから」と返事をすれば航太は目と口を大きく開けて驚いている。


「え!?それだけ!?」

 突然大きな声を出すから、図書委員の女に睨まれた。

 「うるさい」とその女の代わりに注意すれば航太はすぐに声量を落とし、また続けて聞いてくる。


「なんで?ハルって勉強面は結構真面目だと思ってたんだけど」

 変なことを言うものだから、普段から真面目な方だろとツッコミを入れ質問に答えてやる。


「学校が遠いと、すずの迎え行けないだろ」


 来年から、専業主婦だった母はパートの仕事をすると決めたらしく、それなら俺がすずの送迎をすると母に伝えた。その方が母の負担が減るかと思ったからだ。


 そこで、すずの通う幼稚園に1番近い高校を志望校に選んだ。

 もちろん母はそんなことまでする必要はない、と言ったが「俺がしたいんだよ」と言えば渋々受け入れた。


 俺の回答を聞いた航太の口がまた大きく開き、これはでかい声が出るぞ、と覚悟すれば案の定

「ハル!!お前すげーな!!いっそ尊敬するわ!!」

と想像よりも遥かに大きな声を出し、とうとう俺たちは司書から図書室を追い出された。


 航太の言葉の意味はよく分からなかったが、なんだかバカにされた気がしたのは気のせいではないと思う。




ーー桜が舞い散る春、俺が勉強を見てやったからか航太は無事志望校に合格し、晴れて俺たちは高校生になった。

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