第9話 敵は4歳

「すずめちゃんがね、怪我したの」


 俺は一瞬、息が止まった。


 放心状態で固まる俺に担任が「どうした?大丈夫か?」と声をかけてくるが、担任の問いかけは右から左に流れていった。


 母は「ちょっと喧嘩しちゃったみたい。相手の子のお母さんともちゃんと話して解決済みだから、早退とかしないでね」と淡々と言うが、そんな話をわざわざ学校に電話してまで伝えてくるなんてどうかしている。


 俺の心が荒れ狂うと分かっていて言ってるんだ、きっと。


「じゃ、残りの授業もがんばってね」

 心配させるだけさせて、母はあっさり電話を切った。


 電話は切れているのに固まって動かない俺に「おい、そんなに大変な話だったのか?早退するか?」と担任が心配そうな声で提案するが、意識がだんだんと戻ってきた俺は「大丈夫です」とだけ言って職員室を去った。



 すずが怪我……?

 怪我ってどんな……?

 喧嘩したって、普段大人しいすずがなぜ?


 すぐに俺はすずの怪我のことで、頭がいっぱいになった。

 幼稚園に通い始めてまだ数週間、他の子供達と上手くは行かなくても、まさか怪我をするような喧嘩をするなんて想像もしていなかった。


 そもそも本当に喧嘩なのか?

 口を開かないすずに勝手に腹を立てた相手の子供が、一方的にすずを攻撃したのかもしれない。

 事情は分からないのに、そう思ったらどうにも冷静でいられなくて苛立ちが止まらない。


 どんなに話しかけてきても心ここに在らずな俺に、疑問に思った航太が何があったのかと問いかけてくるが俺も大した説明ができず……


そして放課後になった。



 急いで帰宅し玄関の扉を開けるが、いつも俺を走って出迎えるすずがやって来ない。

 そんなに酷い怪我なのか、と慌てて靴を脱ぎ捨てリビングに行くと、机で静かに絵を描いていたすずがこちらを向いた。


 俺を見つけ、嬉しそうに笑うすず。

 よかった、大きな怪我は無さそうだ。


 安心するのも束の間、すずに駆け寄り怪我を確認すると掌に擦り傷があった。よく見ると両手にある。

 確かに大したことはないが、痛くて泣いたんじゃないだろうか。


「なんでこんな怪我したんだ?」

「…………」


 聞いてもすずは答えない。

 理由も分からずため息を吐けば、

「喧嘩したんだって、お友達と」

母が横から教えてくれた。


「すずに友達がいるのか!?」

 驚いて聞けば、母は俺がおかしな事を言ったみたいに笑った。そして面白そうに「同じ組なら、みんなお友達でしょ」と訳の分からないことを言っている。

 幼稚園ってそういうものなのか、知らなかった。


 聞けば、すずが1人で遊んでいるところに中島大智というクソガキが絡んできたらしい。

 そいつは無視されているにも関わらず、すずに声をかけ続け外に連れ出した。


「いっしょにあそぼう」と誘うが、すずが拒否して室内に戻ろうとしたところをそのガキが引っ張って転び、ガキは謝ったがすずが怒ってしまったそう。

 そしたらそのガキも怒って、喧嘩になったとのこと。


 自分のせいですずが転んだのに、怒ったら逆ギレしたってことか?


「はぁ?なんてやつだ……」

 腹を立て呟くと、母は「子供の喧嘩なんてそんなもんよ」と平然として言う。

 相手の母親に謝罪されこの件は終わり、ということになったらしいが俺は許せない。

 そのクソガキに、一言言ってやらないと気が済まない。



 翌日の朝、俺は幼稚園にいた。

 毎朝登校前にすずを幼稚園まで連れて行くのが俺の役目だからだ。


 すずと手を繋いだまま近くにいた先生に耳打ちで「中島大智ってやつ、どいつですか」と聞く。

「大智くんならーー」と先生が指を指そうとしたその瞬間、1人の男児がすず目掛けて走ってきた。


「すずめ!あそぼ!」

 朝の挨拶すらしない礼儀知らず……恐らくこいつが大智だと瞬時に察した。

「…………」

 相変わらず無言のすずだが、気にするでもなく大智がすずの空いている方の手を引こうとするから

「おい」

と上から声をかける。


「?」

 何も悪くないと思っているような純粋な表情に、余計に苛立ちを覚える。


 大智の目線に合わせ、

「……お前が大智か?」

と確認すれば「うん、そうだよ」と偉そうに返事をする。


 返事を聞いて「やっぱりな」と思った俺は、子供でも分かるようになるべく笑顔で伝えようと心に決めた。


「……次すずに怪我させたら許さないからな、大智」


黒い感情を隠すことなく、だがしかし笑顔で伝えてやると大智の表情が固まったのが分かった。



少しして、小さく

「ごめんなしゃい……」

と言ったから、今回だけは許してやることにした。

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