第80話 二人の年末

 杏の買ったクリスマスツリーは、僕の家の窓辺を飾った。クリスマスまでは杏は時々ツリーを見に来たし、クリスマス当日はそのツリーを見ながら二人で過ごした。二十六日朝、杏はツリーを片付けながら、

「これ、私持って帰る。来年は私の家に飾るんだ」

「うん、一年後、僕たちどうしてるんだろうね」

「うーん、一緒にいたい。私冬休み中は東海村いようかな?」

「いや、むしろ実験が片付いたら僕が北海道にいたいな」

「どうなんだろうね、SHELの年間予定見ないとわかんないね」

「そういえば、何年か前、クリスマスも実験で、実験施設でクリスマスケーキ食べたって話聞いたよ」

「なにそれ?」

「なんでも、かえって悲惨な気持ちになってお通夜みたいだったって」

「じゃあさ、来年は私がサンタの格好してケーキ届けてあげるよ」

「あ、あの、別の意味で断られるんじゃないかと」

「?」

「あ、あの、例の効果」

「そっか」

 しばらく杏は落ち込んでいたが、

「なんか腹たってきた。絶対行ってやる」

と怒り出した。僕は下手なことを言うとどうなるかわからず、

「ま、来年は来年だよ」

と、ごまかしておいた。


「それにしてもさ修二くん、今年の年末はハードなことになっちゃったね」

「ま、今回の騒動で結構実験とまっちゃったしね。あと緒方さんが新たなサンプル作っちゃったし」

「それに関してはのぞみをうらむ。言えないけど」

「それ緒方さんが聞いたらおどろくだろうね、杏が新しいサンプルをうらむとか」

「だろうね」

「とにかくもう、MPMSが空いてるのが年末しかないんだからしょうがないよ」

 MPMSは磁化測定装置で、全自動で測定してくれるのでみな重宝しているのだ。だから急に測定を割り込ませようとしてもなかなかむずかしい。だから僕の測定は年末から元旦の未明まで行って、元旦の始発の飛行機で羽田に向かう予定だ。

 

「修二くん、私大学行く前に一回家戻ってツリー置いてくるわ」

「一緒に行くよ」

「いいよ、遠いよ」

「杏といっしょにいたいんだよ」

「ありがと」


 外に出ると、今朝も雪だ。

「ね、修二くん、腕組みたい」

 そう言えば手を繋いだことはあったが腕を組んだことはなかった。僕もそう言われたことが嬉しくて左腕を出すと、残念ながらうまく行かなかった。着ぶくれである。杏はしかたなく肘の下辺りにつかまっている。

「これだと手をつないだほうがいいか」

「春までお預けかな」

「いや、正月がある!」

 元旦だけは二人で日帰りで東京へ行って、両方の実家にあいさつするつもりだ。


 僕の家から杏の家、それから大学と結構な距離を歩いたはずだが、僕としてはむしろこの道がずっと続いてほしいくらいだった。

 

 十二月も三十日になると、さすがに大学に人はほとんどいなくなる。日頃激務に励む先生方もしっかり休むので、それでも大学にいるのは僕のように切羽詰まっている人だけだ。

 居室で今日の実験の準備をしていると、杏が顔を出した。

「ゼミ室貸してもらうね」

「ああ、鍵あける」

 杏は自分の居室に上着を置いて、パソコンと勉強道具を持ってきていた。

「杏だけ先に川崎帰ってても良かったのに」

「またその話? 私は修二くんと一緒にいるほうが大事なの!」

「はいはい、今日もよろしくお願いします」

「うん、実験の邪魔はしないから」

 杏は早速ゼミ室のテーブルに自分の道具を広げている。

「じゃ、僕サンプルのセットしてくるよ」

「行ってらっしゃい。お昼までにもどってきてね」

「あのさ、全自動で測定だから、サンプルセットだけで二十分もかからずもどるよ」

「そうなの? じゃ、測定中なにするの?」

「一緒に勉強しようよ」

「やった!」


 サンプルをセットしてゼミ室に戻ると、杏はなにか計算に没頭していた。のぞいてみるとクリスマス明けの日曜日に二人で勉強した非線形波動の続きを勉強している。

「熱心だね」

「うん、面白い」

「僕としては、それをどう実験するかに興味があるんだけど」

「例えば?」

「そうだね、反強磁性体での磁気励起が、実空間でソリトンのようなものにならないかとかね……」

「相互作用の強い系であればありそうね。だけどそれをどう測定するか……」

「中性子だと、普通見にくいと思う。だけど低次元性の強い物質なら……」

「そうか、そうだよね。となるとそういう物質としてどういうのがあるかだね」


 それから二人で先行研究がないか検索していると、あっという間にお昼になった。

「修二くん、私お弁当作ってきた」

「やっぱり? 正直期待してた」

「前と同じようなメニューだけどね」

「あんときゃ明たちに結構食われたからね」

「のぞみのサンドイッチも美味しかったけどね」

 そんな会話をしながら僕はコーヒーを淹れ、杏は勉強道具を片付けてお弁当をひろげた。

 

 食べ始めて少しすると、杏のスマホに着信があった。

「のぞみだ。ビデオ通話にするね」

「ヤッホー」

 緒方さんの陽気な声がする。画面には緒方さんに明、そして健太に木下さんも見える。

「おー健太久しぶり! 木下さん大事にしてるか?」

 僕が健太に言うと、

「修二やったな! 聖女様と結婚するんだって?」

 結婚そのものは当分先になるだろうが、僕は虚勢を張って返事する。

「おう、僕の妻に失礼のないようにな」

「修二くん、今のもう一回言って」

とは、杏の言である。


 午後もサンプルをセットして測定、測定の合間に勉強を繰り返した。二人で議論するときも楽しいが、それぞれの勉強に集中しているときに顔をあげると、杏が計算にのめりこんでいるのを見るのも楽しい。だから時間はどんどん経っていってしまって、外はもう真っ暗になってしまった。

「修二くん、私なにか夕食買ってくるよ。何食べたい?」

と杏が言うのを、僕はおもわず強く断ってしまった。

「駄目だ、もう暗い」

「大丈夫だよ」

「駄目、こんな雪の中、杏を一人で暗い道を歩かせられるか。夕食はどっか外で食べて、それから家まで送るよ」

「修二くん、まだ実験あるでしょ」

「あるけど、僕の妻になる人になんかあったらそのほうが困る」

 強めに言ってしまったので、「僕の妻」という言葉をわざと混ぜる。その効果はあったようで、杏は納得してくれた。

「わかった、でも帰る途中で修二くんの家寄って」

「なんで?」

「洗濯物、持って帰っていっしょに洗ったげる。妻だから」

 なんかもう幸せで、実験はどうでもいい気がしてきた。

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