第77話 二兎

 両家の挨拶の東京行きは一泊二日ですぐ終わった。杏に東海村へ行くことを告げた日を含め、研究が三日も止まってしまっている。大急ぎで札幌に帰らなければならない。

 新千歳に着くと、恩田さんとカサドンが出迎えてくれた。二人で仲良く手を振っている。

 こんなふうに出迎えが来てくれるのは、やっぱり杏の人徳だろう。

「真美ちゃん、ごめんね。ありがと。助かるわ」

「迎えに来れば、一番に情報が聞けるからね」

 恩田さんはいたずらっぽい笑顔で言う。

「カサドンも、一応ありがと」

「一応って、なんすか?」

「真美ちゃんと一緒にいたいだけでしょ」

「そうすけどね、真美先輩の前で言わなくていいじゃないですか」

「真美ちゃんも、カサドンと一緒で楽しいでしょ」

「そういうホントのことは言わんでいい」


 新千歳から大学まで、恩田さんの車で送ってもらう。

「車ちいさくて、ごめんね」

 恩田さんはそう謝るが、僕たちにとっては感謝しかない。

「真美ちゃん、一回おごるから」

 カサドンが助手席、その後ろに僕、杏はもちろん僕のとなりだ。高速に乗ったあたりで杏の手が僕の手をつかんだ。そして杏は寝てしまった。

「あれ、聖女様、寝ちゃった?」

 恩田さんが聞いてきた。

「うん、昨日はそれぞれの実家に泊まったんだけど、それなりに気疲れしたんじゃないかな」

「ふーん、で、お見合いどうだったの?」

「あれお見合いっていうのかな?」

「じゃ、結納?」

「結婚前提だから、そうなるのかな。ま、僕は神崎さんのご両親には会ったことあったし、無事終わったよ」

「緊張しなかった?」

「しなかったわけじゃないけど、ま、なんとかなった。杏のほうが僕の両親に会ったことは無かったから緊張してたんじゃないかな」

「ま、よかったね」

「うん、そうだね」

「それにしても聖女様、よく寝てるね」

 確かにすうすうと寝息を立ててよく寝ている。

「で、聖女様、何かやらかさなかった」

「へ?」

「飲み過ぎとか」

「あ~、うちの両親に記憶なくす癖ばれてね、そこで一気飲みしようとしたから僕がとめた」

「ははは、さすが修二くん」

 僕たちが笑っていたからか、杏が眼を覚ました。

「なんか私の悪口言ってない?」

「「「言ってな~い!」」」

「うそだ、絶対言ってる!」

 カサドンが無理やり話題を変えた。

「そんなことより唐沢先輩、むこうのご実家に挨拶する際、気をつけたことってなんですか?」

「う~ん、もともと僕は面識あったしね、話は通ってたから身だしなみくらい?」

「全然参考にならないっすよ~」

「ていうかカサドン、恩田さんとこ、ご挨拶に行くの?」

「え~カサドン、私をお嫁さんにしてくれるの~?」

「ハハハハハ」


 大学正門前で僕たち二人は恩田さんの来るから降ろされた。

「聖女様、修二くん、私達ちょっと大事な話があるから、今日、このまま大学休む。先生たちによろしく」


 走り去る恩田さんの車を見送って、構内を理学部棟まで杏と並んで歩く。

「ねぇ、ここ、最初は夏だったね」

「そうだったね。季節はすごく良かったけど、けっこう不安だったのを覚えてるよ」

「院試だもんね」

 そう、初めて札幌国立大学に来たのは大学院入試のときだった。進学先と杏の二つをいっぺんに狙っていたのだ。

「今わかったんだけど、僕そのとき二兎を追っていたんだね」

「ウサギの一匹は私?」

「はずかしいけど、そう」

「二兎を得られたね」

「うん、よかった」


「私、ほんと札幌来てよかった」

 どんよりとした初冬の曇り空の下の景色を見ながら杏が言う。

「僕もよかった。でも、来年はあんまりこっちいられないな」

「そうね、残念ね」


 理学部棟に入るとまず、恩田さんの長谷川研に寄り、神崎さんが声をかけた。

「長谷川先生、失礼しま~す」

「お、聖女様、唐沢くん、おかえり。どうだった?」

「おかげさまで、なんとかなりました」

「あ、そう、おめでとう。で、何か用?」

「はい、すみません、真美ちゃんなんですが、なんか大事な急用ができたそうで……」

「ああ笠井くんだろう、しょうがないな」

「すみません……」

「あ、いや、失礼。若い人には大事なことだよな……」

 長谷川先生は遠い目をした。

 

 僕の榊原研は二階、杏の池田研は三階なのでとりあえず榊原研に行く。するとちょうど織田先輩が出てきた。

「よ、お帰り。榊原先生、池田研にいるよ」


 池田研では、池田先生と榊原先生が待ち構えていた。あいさつも簡単に済ませ応接セットに通される。ソファに座った途端、池田先生が聞いてきた。

「で、どうなった?」

 僕は杏と目を合わせ、僕が説明することにする。

「とりあえず今回は、両家の顔合わせだけでした」

「両家のご公認は得たと。で、式は?」

「は?」

「だってこないだ結婚約束してたろう。で、いつ?」

「あの、先生、僕たち博士はおろか修士もまだとってないんですよ。そんな話はまだです」

「え、神崎さん、それでいいの?」

「修二くん、いつにしようか?」

「あのさ、入籍だっていつにするか決めてないじゃん」

「今する? 証人ちょうど二人いるよ?」

「届けの用紙も無いよ」

「あれ、ダウンロードできる」

 それを聞いた池田先生が立ちそうになった。さすがに榊原先生が止める。

「池田先生、そんなに聖女様煽っちゃだめですよ。そんなに学生結婚させたいんですか」

「そういうわけじゃ」

「教授会、もめますよ」

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