第69話 グラフ

 翌週大学に登校すると、門を入ったところで神崎さんを見つけた。いつもは朝早くから大学に出ているはずの神崎さんが背中を丸めて歩いている。もうこうなったらバカみたいに明るくいくしかない。

「聖女様、僕新発見をしたよ。今回の実験で」

「同じデータを共有しているはずよね。馬鹿にしてんの?」

「いやいやそんなことないよ。朝一でうちの研究室来てよ」

「わかった」

 おそろしく機嫌が悪かった。

 

 居室に行き、先週データ処理したものをプリントアウトする。ノートやらその他メモ書きなどをまとめゼミ室に行き、データを並べる。すると榊原先生がやってきた。

「唐沢くん、なにやってるの」

 榊原先生はコーヒーを淹れながら聞いてきた。

「ええ、こないだの実験で神崎さんと相談しようと思いまして」

 先生には処理後のデータはまだ見せられないから、気を付けてグラフを並べる。

「まぁがんばれよ」

「はい」

 状況を察知したのか、先生は僕と神崎さん用にコーヒーを2杯残し、自分のコーヒーを持ってゼミ室を出ていった。

 

 しばらくして神崎さんがやってきた。僕は覚悟をきめた。

「今回の実験、大成功だったよ。まあ、これを見てよ」

 僕は神崎さんに3枚のグラフを渡す。1枚目は実験初日の実験時間全体のグラフ。2枚目は神崎さんのログイン時間帯をのぞいたデータ、3枚めは神崎さんがログインしている間だけのデータだ。

「何が言いたいの?」

「タイムスタンプを見てよ」

 3枚のグラフには、それぞれデータをとった時間帯が書いてある。神崎さんの顔色が赤くなったり青くなったりするのがわかる。いろいろな感情が渦巻いているのだろう。ここで話の持って行き方を間違えると、神崎さんは物理をやめてしまうかもしれない。だから僕は、あえて神崎さんを怒らせる方向で勝負することにした。

「聖女効果ってさ、うわさだと思っていたんだよ。でもこれは、客観的データだよ」

「実験グループでも問題になっていたんだよ。なんでこんなに測定があれるのかってね」

「聖女様関連の実験以外は、すべてうまく行ってたんだ」

 とにかく明るくまくしたてる。さらにプリント18枚のグラフをテーブル上に追加する。7日の実験でそれぞれ3枚、合計21枚。

「僕もね、いくらなんでも酷いと思って、色々調べたんだよ」

「初日はさ、無人で実験して、翌朝見たら酷いデータで、実験は失敗だと思ったね」

「だから2日めは徹夜だよ。マシンに張り付いて、リアルタイムでモニターしていたんだ」

「最初はよかった。でも途中からデータが荒れだすんだよ」

「温度も含め、実験環境は何も異常がないんだ」

「でさ、三日目に気付いたんだよね。ログインしているユーザー数が2なんだよ。深夜3時台だよ」

「四日目はさ、ユーザー数もモニターしたよ」

「今度の学会でさ、発表しようよ」

 目論見通り、神崎さんの顔が険しくなってきた。ちょっと間があって、神崎さんは作り笑顔で僕に言った。

「これでしょ」

 データ処理後のきれいなグラフを指さしている。僕は必死に笑顔を浮かべ、

「いやいや、聖女効果。僕たちのグループの成果として」

と告げた。


 僕は今日、敢えて「聖女様」とか「聖女効果」とか口に出している。どちらも僕が日頃口にしない言葉だ。とくに「聖女効果」は嫌いだ。神崎さんの人生を狂わしているものだ。

 今回の実験は明らかに「聖女効果」の影響下にある。神崎さんが心血を注いだこの実験なのにだ。だから真剣に話をして、落ち込ませてはならない。

「実験データから当該時間帯のデータを切り離すの大変だったんだよ。システム開発の連中と相談してさ」

「システム開発にも、聖女効果が知られているの?」

「いや、実験上の失敗だと言い張った。聖女様に無断でやったら、激怒するだろう?」

「そりゃそうよ、私はサンプルになる承諾はしていない」

「でもさ、世紀の大発見だよ」

「とにかくヤダ」

「大学入学以来の謎が実証されたのに」

「だけど、PC上のデータって、実験中の信号をすべてあわせたものじゃないの」

「実はSHELのサーバー上に、バックアップを細かく取っているんだよ。普通はアクセス権がないんだけど、お願いしまくった」

「発表するんなら、あんたやんなさいよ」

「僕、今回の学会エントリーしてないよ」

「だから私達のグループで。被験者は私だし」

「登壇者は神崎さんだよ」

「第一、発表したとして、誰が信じるの」

「少なくとも、扶桑女子大関係者は信じるだろうね」

「榊原先生はなんて言っているの」

「榊原先生はまだ知らない」

「新発田先生は」

「新発田先生にもこれから」

「池田先生に言う勇気は、私にはないわよ」

「池田先生こわいもんなぁ」

「と・に・か・く、学会はこれで行くわよ」

 神崎さんはきれいなグラフ7枚だけをひっつかみ、足音を大きく立てながらゼミ室を出ていった。


 神崎さんは怒って出ていった。神崎さんが落ち込まないように、むしろ怒り出すようにわざと持っていった。その作戦は成功した。落ち着いたらきれいになったデータでうまく学会発表してくれるだろう。

 でも無神経に振る舞った僕を、神崎さんは許してくれるだろうか。いや、嫌いになってしまったかもしれない。嫌いになられたとしても、札幌にいる間は研究仲間ではいられるだろう。その先のことは考えたくない。

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