第68話 データ処理
楽しかったキャンプから帰り、再び研究生活が始まった。神崎さんの実験データの処理もしなければならないが、東海村へ行く前にでききれなかった各種実験、緒方さんが新たに作ったサンプルの各種測定もあり多忙を極めた。だから神崎さんの実験データの処理は中々進まない。正直なところ、僕以外の誰かがあの事実に気づいてデータを救い出してくれれば良いと思う。
そう言えばキャンプで飲んでいる時強引に告白させられたが、神崎さんはまったく覚えていないらしい。明は緒方さんのつくる朝食を毎日食べたいと言っていたが、その効果か昼食時は明と緒方さんがかならず並んで座るようになった。僕はなるべく神崎さんの正面に座るようにしていた。
今日の昼食もキャンプメンバーで集まり、明は宇宙論の話をぶちかましていた。
「明くん、私は今、超伝導の実験で悩んでんの。宇宙の話は関係ないの」
神崎さんはそう言って嫌そうにしているが、僕はこれが明なりの神崎さんへの応援だと知っている。緒方さんもそうだろう。眼がうるうるしていた。
最近神崎さんは、宇宙に出て銀河をつかまえる夢をよく見るらしい。
「だからさ、深夜までデータを検討するでしょ。煮詰まるでしょ。頭きて宇宙の膨張なんて止まってしまえと思うと、これまたすぐ寝れるのよ。で、夢の中で実験のグラフを宇宙を飛んでいってね、遠くの銀河を捕まえるのよ」
そう説明していた。明のバカ話とデータ処理の悩みがそのまんまシンクロしているみたいだ。緒方さん、恩田さんが大喜びしているのでぼくも笑ってしまいそうになる。神崎さんがウケている女子に向ける視線を考えると、僕は無理やりしかめっ面をして耐えるしか無い。
すこし日が経ってしまったので、僕は実験計画をむりやりやりくりして土曜日を一日デスクワークにあてることにした。平日デスクワークをしていると他の実験の手伝いもやらされるし、パソコンのモニター上のデータを他人にみられたくない。運が悪ければ、神崎さんが実験用のコンピュータにログインしたのが原因でデータに悪影響がでたのが露見してしまう。日曜日にしなかったのは、日曜日は人が少なすぎ、僕の作業がかえって目立ってしまうだろうからだ。
土曜日午前十時、居室のデスク上には、神崎さんの実験とは関係ない論文をダミーとして何部か配置した。パソコンの画面は複数のデスクトップを用意して、一瞬で別の作業をしているようにみせかけるようにした。研究室にはまだだれも来ていないが、全員ではないものの、何人かはそのうち顔を出すだろう。昼頃には神崎さんたちが昼食を誘いにくるだろう。
SHELからはすでに実験データのバックアップをダウンロードしてある。時間で細かくファイルが分かれているため、データ量は膨大だ。作業を始める前にそのデータを別のハードディスクにコピーして、バックアップのバックアップを作成する。すでにSHELにはこのバックアップはないそうなので、操作ミス等でデータが失われるのを防ぐためだ。
次に神崎さんのログイン記録をまとめ、実験のバックアップデータとの時間的関連を整理する。
このへんまで作業したところで、研究室の織田先輩がやってきた。
「唐澤くん、悪いんだけどさ、ヘリウムのトランスファ、手伝ってくれない?」
トランスファとは、要するに冷凍機に液体ヘリウムを入れることだ。織田先輩はこの土日、液体ヘリウム温度での実験をやるつもりらしい。ということで、
「はい、すぐ行きます」
「いやあ、ほんとありがと」
織田先輩の手伝いが終わったところで、もう昼食時は終わっていた。売店でおにぎりを買い居室にもどる。 これから一気にデータの処理をすることにする。ただし例の「効果」の排除だけを目的とし、こまかい仕上げ的な作業はしないことにする。
実験第1日のデータの処理をする。SHELからもらったバックアップデータの、神崎さんがログインしていない時間帯のデータをつなぐ。つながったデータをグラフ化したら、あっさりと実験以前の神崎さんの予想のようなデータが表示された。
どっと力が抜けた。こうもあっさりとデータ処理ができるとは思わなかった。しばらく呆然とディスプレー上のグラフを眺めていた。
もう外は暗くなり始めた。
急いで残りの実験データの処理をする。
問題は、この処理結果をどう神崎さんに伝えるかだ。
夏に緒方さんの試料づくりを手伝っていたときのことだ。なにかで明が席を外したときだ。
「修二くん、聖女様が実験をあきらめた理由、聞きたい?」
いつも愉快な緒方さんが、いつになく真剣な顔で聞いてきた。
「え、いや、聞きたいような聞きたくないような」
「ま、そうだよね。修二くん、あんた聖女様と真剣に付き合っていく気ある?」
それに関しては即答できた。
「ある」
「じゃあさ、細かいことは言わないけど、聖女様は本当に実験物理学やりたかった。でもどうしてもできなかった。だから大学やめようとしたんだよ。先生たちが説得してさ、なんとか理論に踏みとどまったんだ」
「うん」
「修二くん、私はね、あんたが聖女様の手になってくれればいいと思う。実験する手に」
「僕もそのつもり」
「そう、修二くん、杏をよろしくね」
あれほど真剣な緒方さんを見たことは、あとにも先にも無い。
今回の実験データに関して僕がやったことは、結局のところ例の「効果」の実在を証明したようなものだ。どう神崎さんに伝えるか。なかなかいいアイデアは思いつかなかった。
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