第64話 ペアルック

 札幌に帰った翌日午前十時半、榊原研ゼミ室に今回の関係者が集合した。神崎さんがデータを纏めたグラフを人数分プリントアウトしていて、みんなで検討に入る。

 実際は全員あらかじめコンピューター上で見ていはいるので、特段意見は無い。

 網浜教授が質問する。

「榊原先生、このノイズだけど、これは正常ですか」

「いえ、異常です」

「他の研究者の実験で、このようなノイズは乗りましたか」

「いえ、これだけです」

「冷凍機の異常は考えられますか?」

「同じ冷凍機を使いまわした他のスキャンでは異常は出ていないです」

「唐沢くん、君の方で何か気づいた点は無いかね。実験中、はりついていたんだろう」

「いえ、とくに何の前触れもなく、突然データが荒れだすんです。実験後クライオスタットをちぇっくしても、カドミウムシールドも異常ありませんでした」

 クライオスタットとは冷凍機のこと、カドミウムは中性子線を遮って、サンプル以外に中性子線をあてないようにするためのものである。


 いつも元気な神崎さんは、今日は何の発言もない。グラフをじっと睨む神崎さんを見て、みんな言葉を失ってしまい、あっという間に今日は解散となってしまった。

 

 時間が中途半端なので、居室で新着論文のチェックをしていたら、緒方さんがやってきた。明もいる。

「修二くん、みんなでお昼行こう!」

 この一言で、ああ、緒方さんは神崎さんの友達なんだな、と思った。

 

 緒方さんも合流し、池田研に行く。

「聖女様、お昼行くよ!」

「うん」

 ちょっと元気のない顔の神崎さんは、それでも笑顔を作る。

「カサドンも一緒に行こうよ」

 緒方さんが声をかける。

「はーい、行きます!」


 日替わりランチはミックスグリルであった。昨日のランチを思い出し、神崎さんの方を見ると目があった。神崎さんの眼が笑っている。なにか僕とだけ秘密を共有しているみたいで、なんか嬉しい。

 実験の話はさっきさんざんしたからだろう、神崎さんはキャンプの話を始めた。

「キャンプ寒いかな。お父さんの話だと、ふつうのカイロじゃなくてアルコールのやつがいいらしいよ」

「アルコール? 燃やすの?」

「ううん、なんかプラチナを触媒にするみたい」

「で買ったの?」

「忘れた」

 カサドンが言い出した。

「僕、M31がみたいです」

 M31とは別名アンドロメダ銀河とも言って、我々がすむ太陽系が属する銀河系のとなりの銀河だ。光の速さで二百万年くらいかかる距離にある。明が応じた。

「M31、いいね。でもね、カサドン、M31は局所銀河団と言って、銀河系と一緒のグループにいるんだ、遠方の銀河団は……」

 そのあと明は、宇宙論の話をまくし立てた。

 夏休み神崎さんのご両親がお帰りになった時、しょんぼりする神崎さんを慰めようと、明は必死に馬鹿話をしていた。今日も同じなのだろう。

 専門外ではあるが、ダークエネルギーという概念は興味深く、時間のあるときに勉強してみたいと思う。今の忙しさを考えると、いつになるかわからないが。

 

 札幌に戻ったのだから、次の実験の準備や研究室の他のメンバーの手伝いなど、居室のデスクに座る暇もない。自動的にSHELのバックアップデータを解析する時間が中々とれない。家に持って帰ってもやってみるが、気がつくと寝てしまっていた。

 

 そんなふうに、昼食の時だけ神崎さんたちと一緒にすごし、バタバタと日常業務に追いまくられる日が続いた。月末にはキャンプに行くのだから、それまでにはある程度の見通しはつけておきたい。

 

 そしてキャンプの日はやってきた。装備の買い出しなどは神崎さんに任せっぱなしになってしまった。帽子とか手袋とか、神崎さんは自分のと同じのを僕に用意してくれた。ペアルックみたいでうれしい。しかも神崎さんが家の下まで来るまで迎えに来てくれるそうだ。防寒具で膨れ上がったバッグを持って、下に降りると少しで神崎さんの車がやってきた。

 

 神崎さんは車を停め、わざわざ降りてきた。もこもこしたセーターがよく似合っている。

「修二くんおはよ」

「うん、おはよう。来てくれてありがとう」

「ううん、荷物はとりあえず後ろの席に載せて」

「わかった」

「そう言えば、帽子どう?」

「うん、あったかい。ていうか、今、汗かいてる」

「ははは!」

 このまま二人でキャンプに行ってしまいたい。

 

 助手席に乗り込んで、大学へ明の望遠鏡を取りに行く。

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