第62話 里帰り

 SHELをあとにした僕は、どうしても一回母校の帝大に立ち寄りたかった。神崎さんが9月にSHELに出張したときは、彼女の母校扶桑女子大オリジナルグッズをお土産にした。僕だけにクマのぬいぐるみもくれた。対抗上僕もなんかしら神崎さんのお土産を用意したい。徹夜の実験の最中、時間つぶしに帝大の売店のホームページをチェックしていたら、いいのがあったのだ。

 

 久しぶりに母校の門を通る。札幌のイチョウはもうとっくに色づいていたが、東京のそれはまだまだ青い。そして母校は校章にイチョウをデザインしている。イチョウは漢字で書けば銀杏。彼女の名前の漢字を含んでいる。そう考えると、一本一本の木を見るたびに彼女を思い出す。

 

 売店にたどりつき、目当ての物を探す。幸いすぐ見つかった。紺色のタオルハンカチだ。お土産というのは消耗品に限る。お菓子とかが最も無難だ。でもハンカチなら日々使うものだからもらっても困らないだろう。

 一つ手に取りレジに向かう。

「贈り物ですか?」

ときかれたので、包んでもらう。


 会計をして一旦売店を出たところで、つい考えてしまった。ハンカチは消耗品だ。一つだけだと、あんまり長持ちしないかもしれない。大して高いものでもないので売店に引き返し、もう六個買った。さすがにラッピングはしてもらわなかった。

 

 大学から自宅までは一時間もかからない。通っている頃は当たり前に混雑した電車に乗っていたのだが、結構辛い。荷物が大きいのもあるだろうが、歩いて十分もかからないような快適な札幌生活に慣れてしまったのがいけないのだろう。

 駅から古い商店街を通る。物心ついた頃からよく来ているし、中学校以降はほぼ毎日通った道だ。たこ焼き、たいやき、コロッケ、焼き鳥といった、小銭で買える食べ物が匂いで攻撃してくる。荷物が多いから我慢できたが、そうでなかったら幾つか買い食いしてしまっただろう。

 買い食いは一人でも楽しいが、友人とでも楽しい。いつか、いやなるべく近いうちに神崎さんをここに連れて来たい。

 

 自宅にたどり着いた。久しぶりの我が家を少し外からみてしまう。とくに変わった点は無いように思うが、少し鉢植えが増えているかもしれない。チャイムを押す。

 

 玄関のドアが開き、母が出迎えてくれた。

「修二、おかえり」

「ただいま」

「お父さんは、まだ仕事」

「そうか、大変だね」

「ま、忙しいというのはいいことだけどね」

 この会話は、一体何回繰り返しただろうか。帰ってきた実感が僕をつつんだ。

 

 洗濯を断り、二回の自室に荷物を置きに行く。中は札幌に書籍を少し持っていっただけなのであまり変わっていなかった。去年上高地でとった六人の集合写真が写真立てにかざってあった。これも以前のままだ。

 

「母さん、部屋、前のままだね」

「ああ、あんたがいつ帰ってきてもいいようにね」

「いつになるかわかんないけどね」

「それよりさ、神崎さん、どうなの?」

「どうって、いい仲間だよ。今回の実験も、基本は彼女のアイデアだよ」

「そうじゃなくって、お嫁さんとか?」

「いや、それはまだ」


 父が帰ってきた。

「お父さん、修二帰ってきてるわよ」

「おう、修二、おかえり」

「ああ、ただいまって、今は父さんが帰ってきたんだけどね」

「はは、修二、夕食は食べたか?」

「いや、父さん待ってた」

「ああ、悪いな」


 夕食はカレーだった。

「何にするか悩んだんだけどね、魚は北海道のほうがおいしいだろうし、一人だとあまり食べられないものがいいかなって思ってね」

そう母が説明してくれた。なるほど、一人ではカレーは作るのが億劫だし、学食にしろお店にしろ、家庭の味のカレーは無い。食べ慣れたカレーが、とても美味しく感じられた。

「で、修二、どうなんだ?」

「ああ、研究は面白いよ。やっぱり博士まではとりたい」

「そっちの話じゃないよ、ほら、あの人」

「え?」

「ほら、なんだっけ、あ、神崎さん」

「ああ、神崎さんね、やっぱりすごい人だよ。物理に対する情熱は、だれにも負けないね」

「それはいいから、おつきあいとか」

「うーん、悪い感じじゃないと思うんだけどね」

「なんだ、煮え切らないな」

 母さんが口を挟んできた。

「あんた、ちゃんと自分の気持ち伝えてるの?」

「いや、それは」

「しっかりしてよ」

「いや、あのね、下手なこと言うと、そのあと気まずいじゃない」

「だけどね、大学院、もう半分近く終わっちゃってるのよ」

「うーん、タイミング考えないと。今彼女、多分超伝導しかみてない」

「とにかくさ、あんた札幌受ける時大見えきったんだからね、ちゃんとしてよね」

「はい」


「そうだ修二、神崎さんに電話してみろ」

 突然父が言いだした。

「へ、なんで?」

「まあ、いいから」

 仕方なく、電話をしてみる。すぐに神崎さんが出た。

「もしもし?」

「ああ、神崎さん、夜にごめんね。父と母が、神崎さんとお話したいっていうんだ」

「え、は、はい」

 母がぼくのスマホをひったくった。

「杏さん、修二の母です。いつも修二がお世話になっております」

 神崎さんの応答はわからない。

「つぎにこっちにいらっしゃることがあったら、ぜひうちに寄ってください」

 母はスマホを父に渡した。

「杏さんですか、父です。ほんと、一度、来てくださいね」

 両親はちょっと押し過ぎではなかろうか。スマホを返してもらう。

「神崎さん、急にごめんね。また明日ね」

「うん、明日ね」

 電話は切れた。

 

「修二、神崎さん、うち来てくれるってよ!」

「いや、社交辞令かもよ」

「いいんだよ、言質はとった。絶対来てもらえ」

「わかったよ」

 何故か僕は、商店街で飼い食いする神崎さんを思い浮かべてしまった。

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