第60話 プロセス
昼食を終えると、僕は今日も昼寝に宿舎にもどる。不規則な生活時間や不調な実験の疲れであっという間に寝てしまった。
ピピピピピピピ。
目を覚ますと、今日もすでに暗い。頭の芯はまだ重い。
借り物の自転車で暗い道を実験し施設に向かう。道路は大きいが人口が多いわけではないので街灯は多くなく、自転車など自動車からはあまり見えないだろう。だから安全第一で、特に交差点を通過するときは気を使う。
実験施設に入ると、ここはいつもどおり明るい。とくに制御室は中性子ビームが出ている間は消灯されることはないので、ここに足を踏み入れた瞬間に時間間隔がおかしくなりそうな気がする。時間を示すものは時計と、実験者たちの様子だけだ。
今は夕方で、なんだかまったりとした雰囲気が流れていた。この感じだと、各グループとも大きな問題は起きていないだろう。
「ああ唐沢くん、きたか」
「はい、しっかり休ませてもらいました」
「うん、それはよかった」
「みなさん、実験はどうですか?」
「うーん、マイナーなトラブルはいつもどおりあるけど、基本的には順調だよ。君たち札幌税だけが苦労してるな」
「そうですか」
「それでね、榊原先生にビデオ見してもらったんだけど、僕も特に問題を感じなかったよ」
ビデオというのは、今朝終了した実験装置をバラした際収録したものだ。
「あとね、データも見たけど、なんか相当厳しいね」
「先生、もし、もしですよ。あのデータが本当にあのサンプルの物性をそのまま表しているとしたら、どういうことでしょうか」
「あんまり考えたくないけど、サンプルがいろんな物質がごちゃまぜになっているとしかいいようがないじゃないか」
「でも先生、あれはシングルということは札幌で確認済みですよ」
シングルというのは、単結晶ということで、サンプル全体で原子が規則正しく並んでいることを言っている。
「そうだけど、敢えて言えば場所ごとに組成が変化していることもありうるからね」
「それを調べるとすると、ディフラクションですか?」
ディフラクションというのは、サンプルを粉末化し、X線とか中性子線とかにあてる実験だ。結晶構造がわかる。
「うーん、それだとここでもわかるけど、不純物についてはなんともいえない。質量分析器にかけるとか、化学屋さんにたのむことになるかな」
そうなると時間もかかるし、そもそもサンプルのかなりの量を切ったり粉にしなければならない。手塩にかけて作った緒方さんの気持ちを考えてしまう。
「ま、とりあえずは今回のマシンタイムをしっかりこなして、札幌帰ってから慎重に考えるしか無いと思うよ」
「はい」
「あ、榊原先生来たよ」
榊原先生が制御室に入ってきた。
「先生、外出されてたんですか?」
「うん、こんなものをね」
有名な神社の御札だった。
「先生、いくら茨城県内とはいえ、遠くなかったですか?」
「ああ、遠かった。昼食後すぐここ出て、いま帰ってきたとこだよ」
なんか努力の方向性が違う気がするけど、それくらい先生も悩んでいるということだ。
「榊原先生、この御札、どこに貼るの?」
当然な新発田先生の質問に対し、榊原先生の返答は、
「あ、考えてなかった」
だった。
少し急いで夕食をとり、サンプルを冷凍機にセットして測定の準備を始めるため、実験ホールに入る。今夜は新発田先生も一緒に来て何か問題がないか一緒に見てくれるという。もちろんビデオも撮る。
チョッパー分光器の上にあがると、昼前に組んだ僕たちの冷凍機はそのままあった。分光器自体には別の実験グループの冷凍機が入っていて、絶賛測定中だ。先程測定中のデータを見せてもらったが、順調にデータがとれつつあった。
サンプルを冷凍機に入れ、冷却を開始する。装置の甲高い音が周囲に響く。
榊原先生はもらってきた御札を出して、どこに貼ろうかウロウロしている。冷凍機断熱層の外側に御札を貼ろうとして、
「榊原先生、そこビーム当たるよ。ていうか分光器の中に入る部分はだめだよ」
と新発田先生に注意されていた。
結局榊原先生は、御札をチョッパー分光器の側面に御札を貼り付けた。
実験が始まった。榊原先生も新発田先生も居残りしようかと言ってくれたが、丁重にお断りした。データが荒れ始めたところで何か対策が打てるわけではないからだ。両先生は昼間も仕事をしていたが僕は昼寝してある。昼寝からの徹夜実験が二晩目だから体もそれに慣れてきている。
十五分ごとに、データをチェックする。今夜こそは良いデータが取れそうな気がしてきた。
しかしそれは午前3時を過ぎた頃起こった。少し見えてきていたサンプルからの特徴的な信号が、ノイズの山に埋もれ始めたのだ。
ほぼ打つ手はない。まずないはずだが、コンピュータの異常も一応疑い、いろいろ調べてみる。現状動いているプロセスの一覧を見てみた。なにか変なプロセスが走っているとか、ゾンビ化しているプロセスが無いかとか調べるためである。
ドバッと並ぶプロセスをみて、少し気なることがあった。普通深夜ならログインしているユーザーは自分ひとりだけだと思うのだが、別の人がプロセスを走らせている気がする。もしかしてその人がコンピュータに負担をかけていて、なにか問題が起きているのだろうか。
しかし、その別ユーザによるプロセスはそれほどCPUに負担を掛けているようにも見えない。しばらくしたらそのプロセスは消えてしまった。
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