第57話 昼寝
「だいたいさ、唐沢くん、君の着てるその作業着、神崎さんのと色違いでしょう」
新発田先生に指摘されてしまった。続いて榊原先生にもきかれてしまう。
「やっぱそうかぁ。そんな気がしてたんだよなぁ。お揃いで買ったの?」
「いや、僕は買ってませんよ」
反射的に答えてから、しまったと思った。
榊原先生が変な笑顔できいてくる。
「ほほう、ということはプレゼント?」
「もう勘弁してくださいよぉ。それより、今夜の実験どうするんですか?」
「そうか、そこを考えなきゃだめだな」
そこから真面目な話に戻り、新発田先生も含め三人で今後の実験計画の検討をした。結論は、とりあえず今夜は計画通り別のサンプルの測定をすることになった。もし今夜の実験でなにも問題がなければ、昨日の実験はやり直せばいい。昨夜同様データが大荒れの場合は、冷凍機を変えてみるなど、対策を考える。
「僕、今夜一応こっちに詰めますよ」
徹夜して実験の様子をモニターするということだ。榊原先生の反応は、
「うん、そうしてもらえると助かるね。そうしたら、昼間、寝れるときに寝といたほうがいいよ」
というものだった。
「わかりました。午後、昼寝させてもらいます」
「先は長いから、気楽にね」
「ありがとうございます」
そんな話をしていると、新発田先生は「ちょっと待ってて」といって中座した。
「新発田先生、忙しいんだねぇ」
榊原先生がのんびりと言う。
「やっぱり中性子実験施設の施設長は激務なんですか?」
「うん、中性子のグループ全体が結構ハードだけど、新発田先生はその中でも特にね」
「そうですか」
「ま、まともに学問やってたらハードでない領域なんてないけどね」
「そりゃそうですよね」
「だけどねぇ、新発田先生無理しちゃうから、ちょっと心配」
「はぁ」
「中性子をつくばでやってたころはさ、もう死人が出るレベルだったからね」
「そうなんですか」
「ある方なんてね、五十歳くらいで脳梗塞とか、激務からだと言われてるよ」
なんか聞いてはいけない話を聞いた気がして、相槌すら打ちかねた。
そんなところに新発田先生が帰ってきた。
「唐沢くん、これ、読んどいてよ」
渡されたのは「大学院大学」の封筒に入れられたパンフレット類だった。神奈川県は葉山に本部があり、日本中の研究所に院生を送り込んでいる大学院だけが設置されている大学だ。
「ここね、大学院大学の研究拠点なんだ。博士課程進むんだったら、ぜひ」
榊原先生が慌てて口を挟む。
「おい、いい加減にしてよ。引き抜きやめて」
「いやいや、ビジターの学生、院生、みんなに渡してるから」
本当かなと思ったら、近くで作業していた田口さんは顔をしかめて首を振っている。
「それはそうと、なんでパンフレット2部あるんですか?」
「あ、神崎さんにも渡しといてね」
返事は保留した。
昼食まではデータを見直したり、同じ分光器を使う他の実験者の手伝いをしたりした。もちろん神崎さんにも実験の様子をメールで連絡する。他の実験者の手伝いをしていると、自然その実験内容の話になるからとても勉強になる。午前中手伝っていたグループは、低次元反強磁性体について調べていた。彼らの調べている物質は、直線上に磁性を担う原子が並んでいて、その一次元性が特有の性質を示すのだと言う。中性子を使えば、磁気的な相関を直接測定できるので、面白い結果が得られそうだと話していた。わざわざ九州から来て実験していると言う。
実験屋の生活は、実験中心にまわる。とくにSHELのような共同利用施設ではマシンタイムが貴重だから、食事一つにしても実験機材の時間的都合を優先してとることになる。その関係で今日の昼食は早めに取ることになった。その分食堂が空いているのは助かる。
食事を食べ終わって、まだ食べている人がいる。僕は食べるのが早すぎるのだろうか。ふと思いついて神崎さんに電話を入れてみた。呼び出し音が何回かしたが、中々出ない。磯貝市のかもしれない。またあとでかけ直そう。
と、思っていたら神崎さんからかけ返してくれた。すぐに出る。今一番聞きたい声が聞こえてくる。
「ごめん、ちょっと出れなかった」
「やっぱり食事中だった? ごめんね」
「ううん、連絡くれてありがと」
「でね、データなんだけど、こっちでもちょっと困ってるんだ」
「そうなんだ、私の処理の仕方がおかしいかと思ったんだけど」
「こちらとしては、なんらかの機材の問題かもしれないと思って、調べてるよ」
「わかった。ところでそっちはどう?」
「うん、あったかい。Tシャツの上に、神崎さんにもらった作業着でちょうどいいくらい」
そう答えたら、ちょっとだけ間があった。
「ちゃんと睡眠とれてる?」
「うん、僕の担当が深夜から未明だから、このあと夕方まで宿舎で寝る予定」
「無理しないでね」
「ありがとう。まだこれからだからね」
「食事は?」
「ああ、ご飯が多いね」
「やっぱり。でも美味しいでしょ」
「うん。太っちゃうかもしれない」
「ははは、洗濯とかしてる時間ある?」
「工夫すれば大丈夫だよ」
しばらく話して電話を切ったら、メンバーみんなが僕を注視していた。
「あ、まずかったですか? すみません」
と僕が謝ったら、新発田先生に言われた。
「今の神崎さんだろ。実験の様子を連絡してると言うより、なんか家族の会話っていう感じだったね。やっぱり博士課程は二人でうちに来てよ」
榊原先生は渋い顔をしている。
昼食後にみんなと別れ、自転車で宿泊施設に向かう。札幌のみんなは今頃コーヒーでも飲んでいる時間だろうか。
ベッドに入っても、なかなか眠気が襲ってこない。むしろ今夜の実験が気になって目が冴えてしまう。窓には遮光カーテンが下がって入るが、わずかな隙間から見える光すら気になってしまう。
いいことを思いついた。午前中に話を聞いた低次元反強磁性体の論文を読むことにした。手始めにコピーをもらった古い理論の論文を出してみる。集中して読むと寝れなくなるのは間違いないから、ざっと眼を通すようにする。
ピピピというスマホのアラームで目が覚めた。研究している人たちには大変失礼だが、目論見通りよく眠れた。繰り返し読んでいくことで、少しずつでも頭に入ってくるだろう。とりあえず今は自分の実験に集中だ。
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