第56話 セット
スマホのアラーム音で眼を覚ます。六時間弱しか寝ていないので、結構眠い。しかし今実験中であることを思い出すと、六時間放置した実験装置が気になって、一気に目が覚めた。榊原先生には先に行く旨SNSで連絡して、自転車でSHELに向かった。
途中のコンビニでおにぎりを買う。制御室でモニターを見ながら食べよう。
まだ朝八時ににもなっていない制御室は無人だった。いや、置きている人はだれもいなかった。他の研究グループの人がソファーで寝ているのが見える。人は少ないが実験は行われていて、その証拠に制御室のすべてのPCモニターは、それぞれの分光器の現在の状況を表示している。
僕たちのチョッパー分光器のデータも、予定通り室温付近まで温度が上がってきていた。昨日の感じからすると、各温度ごとに測定はちゃんとできているだろう。おにぎりを片手で頬張りながら測定されたデータをグラフ化してモニター上に出す。
おもわず米粒を吹き出してしまった。
実験開始直後とか、実験終了付近のデータは問題なかった。しかしちょうど超伝導転移温度付近のデータがおかしい。荒れまくっているのである。ノイズだらけでまともにセンサーが作動していると思えないデータだった。
そうは言っても今更温度を下げ直して測定する時間的余裕は無い。しばらくしたら他のグループにチョッパー分光器を明け渡さなければならない。すでに次のグループはサンプルの温度を下げきり、僕たちの測定が終わるのを待っている。次のグループが測定している間に僕たちが次のサンプルを冷凍機にセットして、測定開始までに温度を下げておく。そういう作戦だった。こうすれば冷却中の時間を無駄にすることがない。温度を下げている間、中性子線を使わないのはもったいなさすぎる。
榊原先生がやってきた。
「唐沢くん、様子はどう?」
「ええとですね……」
僕が説明を始めると、榊原先生の顔つきがみるみる険しくなっていく。
実験グループ交代の時間が来た。もたもたしていると他のグループに迷惑をかけてしまうので、急いで冷凍機を引き上げる。次のグループの冷凍機のセットを手伝う。僕たちの冷凍機からサンプルを取り除き、放射線の検査に回せるように準備する。
やらなければならないことは細かく決まっているから、実験の不調について考える余裕もなく、手だけが動いていく。
一通りの作業が終わったところで、榊原先生とこの朝にとれたデータの検討に入った。
PCのモニターを見ながら、解析用のソフトウェアのパラメータをいろいろいじっていくが、ほぼ意味がない。
「困ったね」
「困りましたね」
「昨日、帰る直前は問題なかったよな」
「はい」
「さっき冷凍機引き上げたときも、なにか変なところはなかったよな」
「はい」
僕の頭には、少し前からある言葉が浮かんでは消えていた。いや、消えるたびに次にその言葉が強く脳裏に浮かんでしまう。
だけど僕は科学者を目指している。そんなオカルトみたいなものを信じるわけにはいかない。
榊原先生がつぶやく。
「神崎くんは元気かな」
「元気なんじゃないですか」
そうは答えたものの、僕は榊原先生が考えていることがわかってしまった。不本意ながら指摘する。
「神崎さんには、実験中こっちのコンピュータにはログインしないよう言っときましたよ」
「うーん、でもさあ、神崎さんじゃなくても、実験中のデータは見たいものだろ」
「そうですが、そもそも、その効果自体、オカルトみたいなものじゃないですか」
「そうだよね。だいたい、唐沢くんの言うことなら神崎さん、聞くか」
新発田先生も議論に参加してきた。
「あー聖女様ね、僕も一般公開のとき手伝ってもらったけど、スーパーボール全然できなくて気の毒だったなぁ」
「でも、神崎さんはなかなか優秀だったでしょう」
「なかなかじゃないよ。とんでもなく優秀だよ。SHEL来てくんないかな」
「新発田先生、うちの大事な院生、引き抜かないでくださいよ」
榊原先生が抗議する。新発田先生はかまわず話を続ける。
「なんだかうちの娘も懐いちゃってさぁ、娘が研究者なりたいとか言い出したんだよ。いままでは、パパいつもお家に居なくて嫌いとか言ってたのが、急に変わったんだ」
「そうなの? うちの娘も難しい年頃だから、神崎さんに会わせてみるか」
「いいと思うよ。それに札幌には緒方さんもいるでしょう」
「うん、あとね、もう一人女子で恩田さんっていうのがいてね、この三人が仲いいんだ。だからそう簡単にSHELにはあげないよ」
「そうか、神崎さんを呼ぶには別の手を考えなきゃだめか。そうだ、唐沢くん、うち来ない?」
「新発田先生、そりゃないでしょう。札幌から二人も引き抜くんですか?」
「うん、理論、実験、若手補充できて最高だよ」
「ちょっと待ってください、僕と神崎さん、セットになってないですか?」
「「ちがうの?」」
榊原先生、新発田先生二人に真顔で聞かれてしまった。
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