第55話 実験開始
中性子実験施設の大きな建物に入り、PCがズラッと並ぶ制御室に入る。すでに中性子ビームがでているので、沢山の研究グループが居て、多くの人がモニターを見つめている。榊原先生が柴田先生を見つけ、そちらへ二人で移動する。
「どうも、おせわになります」
改めて挨拶すると、今回使用するチョッパー分光器のメンバーがみな立ち上がった。
「紹介しよう、こちらが仙台の金山先生と柏屋くん、あと京都の田口くんだ。今田口くんのサンプルの測定中だよ」
柴田先生が紹介してくれる。
「榊原先生の実験は24時からだよね。だから夕食後に冷凍機をセットして、田口くんの測定がおわったら、分光器に入っている冷凍機を入れ替えよう。それまではのんびりしていてだいじょうぶだよ」
これに対して榊原先生は、
「そうだね、僕はちょっと将来計画のことで大芝先生と話があるから出ちゃうけど、唐沢くんどうする?」
大柴先生は、中性子だけでなく、SHELLの物性研究全体を統括する大先生だ。
「せっかくなので、田口さんの実験のお手伝いでもさせてもらって、実験環境に早くなれたほうがいいかなと思うんですが」
「あーそれいいな、田口くん、お願いしていいかな」
「ああ、大歓迎ですよ。唐沢くん、よろしくね」
榊原先生が制御室から出ていくと、田口さんが言ってくれた。
「僕の実験はあと2時間位このまま自動測定だから、中に行ってみる?」
「ありがとうございます」
「あんまり堅苦しくしないでいいよ、僕D1だし」
「いや、僕M1なんで、先輩じゃないですか」
「あははー」
放射線管理区画である、実験ホールに入る。久しぶりに見る実験ホールは相変わらず所狭しと大型の実験機材が置かれ、真空ポンプなどの作動音で満たされている。制御室ではPCの画面を見ているばかりなので今ひとつ実験中である実感が少ないが、ここで冷凍機のリズミカルな騒音が実験中であることを教えてくれる。
これからの期待で、心拍数が上がる。
「上に上がってみようか」
田口さんの案内で、チョッパー分光器の上に昇る。狭い一人暮らしのアパート位の広さだろうか。分光器に実験中の田口さんの冷凍機がセットされている。
「君たちの実験の冷凍機はこれだよ。僕が今使っているのと同じ」
アングル材で組まれた台の上に冷凍機が載っていた。
「サンプルをセットする時、手伝ってあげるよ。早めに冷やし始めれば、24時の実験開始時に最低温度になってるんじゃない?」
「そうですね、助かります」
初対面の田口さんは、とても親切だ。同じ物理を、中性子実験をやっていく仲間として認識してくれているのだろう。
「僕の実験も24時ぎりぎりまでやらせてもらうけど、あらかじめ冷やしてあれば冷凍機入れ替えればすぐ測定始められるから」
「そうですね。なにか用意しておくものはありますか?」
「サンプルだけあればいいよ。工具類はぜんぶここにあるし」
田口さんは近くにある引き出し式の工具箱を手で示した。
一通り実験ホールを案内され制御室に戻ると、榊原先生が戻ってきていた。
「夕食行くか?」
チョッパー分光器のメンバーみんなで車に乗って近所の定食屋に移動した。
「ここはね、魚がうまい。刺し身、フライ、天ぷら、なんでもうまいぞ」
僕はなぜだか神崎さんを思い出した。生魚が苦手な神崎さんは、魚が美味しいこの街で不自由したのではなかろうか。いない人を心配しても仕方がないので、とにかくぼくは天ぷら定食にした。
白身魚おそらくキスの天ぷらは美味しかった。天つゆでもいいが、塩で食べるほうが僕は気に入った。
定食屋を出れば真っ暗で、実験開始が近づいてくることがわかる。SHELにもどり、さっそくサンプルを田口さんに手伝ってもらいながら冷凍機にセットした。24時まで最低温度に下がっているだろう。神埼さんにもうすぐ実験を始める旨SNSで連絡した。しばらくして「がんばってね」との返信がある。今一度気合が入る。
24時少し前、田口さんは制御室のPCから実験終了のコマンドを出した。すぐに実験ホールに入る。
田口さんの冷凍機をクレーンで吊り上げる。そこに空いた直径70センチメートルほどの穴に、僕たちの冷凍機をセットする。温度計は最低温度をしめしている。急いで制御室に戻り、実験開始のコマンドを送る。これで中性子線が僕たちのサンプルに当たり始めるはずだ。
少し待って計測中の中性子線のデータを見てみる。今のところ測定できたデータが少なく、優位な結果は見えない。
「うん、こんなもんだろ。念の為小一時間様子を見て、問題なければ寝よう」
それからしばらくモニター上で測定の様子を監視したが、問題ないようなので僕たちは宿舎へ寝に行った。
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