第54話 東海村へ

 いよいよ東海村へ出発する日が来た。神崎さんが空港まで送ってくれるので楽だ。その話を先日榊原先生にしたら、「僕も奥さんに送ってもらうよ。僕も」と「僕も」の「も」を強調された。そんなことを思い出しながら外に出る。外に出てから電話でお願いするつもりだったのでスマホを取り出そうとしていたら、聞き慣れたエンジン音が近づいてきた。もちろん神崎さんだった。

 

「おはよう、修二くん」

「ああ、おはよう。今朝はありがとう」

「ううん、私が行きたいだけ。本当は東海村までも行きたい」

 どういう意味なのか、ちょっと考えてしまう。

 

 荷物を後部座席に置かせてもらい、助手席に座る。

「よいしょっと」

 神崎さんはそう言いながらギアを入れ、スムーズに車をスタートさせた。

 

「そういえば修二くん、学会の登壇者、私を推してくれたんだってね」

「ああ、今回の実験は、神崎さんのアイデアだから」

「でも、実際に実験するのは修二くんじゃない」

「それを言い出したら、サンプル作ったのは緒方さんだよ」

「それもそうだけど」

「今回はさ、アイデアを出すだけじゃなくて、実験計画立てたり、いろいろやってくれたでしょ」

「まあ、自分の勉強のためではあるけれど」

「とにかく、神崎さんを中心としてまわっているんだよ。この実験は。大体、データ処理だって、神崎さんやるでしょう?」

「うん、やるね」

「ハハハハハ」


 僕は高速に乗ったところで試してみたいことがあった。

「神崎さん、ガム食べる?」

「うん、食べる」

 やっぱり口を開けて待っている。急いでガムの紙包みを剥いて、彼女の口にガムを押し込む。

 

 しばらく会話していると、

「ガム、終わった」

と神崎さんが言った。紙をひらいて神崎さんの口の前に持っていくと、ペッとガムを出した。


 神崎さんはいつもどおりだ。

 

 空港で神崎さんは駐車場に車を入れ、僕についてきた。最後まで見送るという。遠慮しても見送ると言って聞かない。

 空港のロビーで榊原先生と合流した。

「神崎さん、お見送りかい? 僕も奥さんの車で来たんだけど、すぐ帰っちゃった」

と諦めたような笑いを先生は浮かべていた。


 まだ少し時間があるので空いている椅子に座る。

「あの、先生、今回の実験ですが……」

 神崎さんが、物理の話を始めた。

「おお、さすが聖女様、いつもどおりだね」

といって榊原先生は神崎さんの相手を始めた。


 でも僕は知っている。神崎さんはいつもどおりじゃない。榊原先生と話している間、神崎さんは僕の上着のそでをぐっと握りしめていた。

 

 放送が入り、僕たちは出発ゲートへ向かう。いよいよお別れだ。

「修二くん、がんばってね」

「神崎さんもね」

「連絡してね」

「うん、ちょっと不規則になると思うけど」

「実験だからしかたないよ」

「うん、ごめん」


 なかなか僕たちが動こうとしないのを見た榊原先生は、しびれを切らしたのか僕たちの会話に割り込んだ。

「僕にはがんばって、と言ってくれないのかな」

「あ、センセイモガンバッテクダサイ。レンラクハシュウジクンカラアルノデイラナイデス」

 見事な棒読みだった。

 

 でもおかげで気持ちが楽になった。神崎さんもそうだろう。みんな笑顔で出発できる。

 

 ゲートへ入り振り返ると神崎さんが笑顔で手を振っている。僕も手を振る。

 

 飛行機に乗ると榊原先生は、僕を窓側に座らせた。

「神崎さん寂しそうだったよね。展望デッキで見送ってくれているかもよ。いいなぁいいなぁ」


 先日のクエンチ騒動以来、僕は榊原先生を一人の人間として見れるようになった気がする。

 

 茨城空港に着いた。本数は少ないが、安いし移動時間も短い。朝の早めに時間にわざわざ新千歳まで送ってくれた神埼さんにあらためて感謝する。茨城空港は航空自衛隊の基地だから、飛行機の窓から戦闘機が並んでいるのが見えた。

 使い慣れている新千歳とか羽田と異なり、こじんまりとしていて飛行機を降りるとあっさり外に出れた。便利である。

 JR石岡駅までバスで向かうため外に出ると、明らかに気温が札幌とちがった。上着を脱ぐ。

 

 東海駅に降り立つと迎えが来ていた。SHELの新発田先生だ。榊原先生は顔見知り、僕も去年実験のお手伝いをしたことがある。

「榊原先生、ようこそ」

「新発田先生、わざわざありがとう。こちらうちの唐沢くん」

「君去年、ここ来てるよね。榊原先生といっしょだったっけ?」

「いえ、去年は柏にいましたので小田先生と一緒でした」

「そうかそうか、で、今は札幌なんだね」

 去年もそうだったが、新発田先生は気さくで親切だ。

 

 新発田先生の車に乗せてもらい、榊原先生が話しかける。

「しかし新発田先生自らお出迎えとは、恐縮しちゃうね」

「うん、忙しいからさ、理由をつけて脱出してきた」

「たいへんそうだね」

「うーん、たいへんなんだけど、気にしないで一つづつできることをするようにしている」

「ふーん」


 SHELのユーザーズオフィスで手続きをする。去年一回来たことがあるので、手続きは早かった。新発田先生は車で先行し、僕と榊原先生は貸出の自転車で中性子実験施設へ移動する。神崎さんからもらった作業着を上着代わりに着込む。

「その作業着、やっぱりかっこいいね」

 榊原先生が褒めてくれた。

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