第53話 帽子と手袋

 今日の昼食は神崎さんたちと実験の打ち合わせで集まることになった。

 集まれば神崎さんはハンバーグカレーを選んでいる。ということは何かいいことがあったか、言いたいことがあるのか、そんなところだ。僕の頼んだ日替わりは魚のフライ定食だから、単に神崎さんはそれを避けただけかもしれない。

「修二くん、出張の準備はどう?」

「うん、できてるサンプルについては計画通り測定はすすんでいるよ」

「クエンチの影響は?」

「なんとかなる範囲だと思う」

「よかった」

 そんな会話をしていたら、緒方さんが明を連れてやってきた。

「ヤッホー」

「ヤッホー」

 緒方さんは挨拶一つでみんなを明るくする力を持っている。

「のぞみ、修二くんは順調にすすんでいるって」

「うん、よかった」


 実験関係が順調なことを確認した神崎さんは、話題を変えた。

「実験後のキャンプだけどね、カサドンの話だと、服装結構しっかりしないといけないらしい」

 明が反応した。

「あー確かに。昨日の夜、望遠鏡出してたんだけど、寒くて足先とかヤバかった」

 神崎さんは、

「そう、上はダウンとかでもいいんだけど、下半身が大事らしい。防寒のズボンとか、防寒靴とか」

と続けた。僕は困った。

「そうか、買いに行かなきゃいけないか。僕、そんな時間あるかな?」

 出張への準備は順調とはいっても、基本的にはかなり忙しい。細かいトラブルは実験にはつきものだが、それはすべて帰宅時間を遅らせて対処しているのが実情だ。先日のクエンチのときも榊原先生は中々帰宅しようとせず、僕が「奥さん大丈夫ですか」と言ったらあわてて帰っていったほどだ。

 神崎さんは、

「わかった、私、お店の下見しとく。大体の見込みがついてれば、サイズ合わせで済むでしょ」

と言ってくれるが、そんなに甘えるわけには行かない。

「それはありがたいけど、神崎さんも忙しいんじゃない?」

「忙しくないわけじゃないけど、実験の人に比べて時間の融通が利くから」

 お願いしようかなと考えていると、明が、

「じゃ、俺も下見付き合うか」

 などという。こいつはバカだ。緒方さんの顔色を見てほしい。

 神崎さんも同じ考えだったのか、

「いや、いいよ。予約とかやってもらったし」

と断っていた。


 翌日の昼食も、昨日と同じメンバーでとった。実は昨日から泊まりの実験だったから眠い。それでも朝、着替えとシャワーに一回家に帰った。神崎さんに嫌われたくない一心での行動だったが、目に入った布団の誘惑を振り切るのが辛かった。

 

「昨日ね、これ買った」

 神崎さんが昨日買ったという帽子を被ってみせてくれていた。かなり気に入ったのだろう、ニコニコである。それを見て明が、

「単体で見ると実用本位だけど、女子がかぶると可愛いな、イテッ」

言って、机の下で緒方さんに蹴られた。つづけて神崎さんがその帽子を緒方さんに被らせた。

「のぞみ、うん、可愛い。ね、明くん」

 明は、

「うん、悪いけど聖女様より、似合うな」

 内容的に納得はできないが、危機が回避されよかった。


「これ、僕も欲しいな。耳がかくれるのがいいね」

と神崎さんに言ってみた。すると明が、

「おう、俺も欲しい。みんなでお揃いにするか」

と言った。ペアルックはできないらしい。

 神崎さんが話を続ける。

「あとね、昨日お父さんに相談したんだけど、靴だけはいいのにしろって」

「なら、作業着屋さんよりもアウトドアショップにしたほうがいいかな」

「みんなで揃っていきたいところだけど、実験の人は時間があるときに行くしかないよね」

 明がそう言う。

「明くん、それは違うよ。のぞみの都合がいいときに、明くんが一緒に行けばいいんだよ」

「そ、そうか、そうする」

 それはいいアイデアだが、僕には時間が確保できそうにない

「僕もそうしたいけど、出張がね」

 すると神崎さんは、

「じゃあね、私でも買えるものは、買っとくよ。何が要る?」

と言ってくれた。

「帽子、手袋はお願いしてもいいかな。春、軍手はきつかった。あとでお金は払うから」

「え、よ、予算は」

「うん、任せるよ。神崎さんと同じのでいいから」

「聖女様、手、痛いんですけど」

 緒方さんの手を神崎さんが強く握ってしまったらしい。

「あ、だけど、サイズ大丈夫かな?」

 神崎さんに聞いてみる。

「帽子は、これ被ってみてよ」

 僕が帽子を被ってみると、

「ゆるくない?」

と顔を覗き込まれた。気恥ずかしいが、実際のところちょうどいいサイズだ。小さい帽子では頭が痛くなってしまうだろう。

「うん、大丈夫」

「手は?」

 神崎さんは手を、手のひらを上にして伸ばしてきた。その上に手を重ねる。ちょっと緊張する。

「「おんなじくらいだね」」

 手に汗をかきそうで、ちょっとで手を離してしまった。

 

 翌日登校して居室で実験の準備をしていると、神崎さんがやってきた。

「これ、昨日頼まれてたもの。じゃ」

と、きれいにリボンがかけられた包をおしけられた。押し付けておいて神崎さんは走って行ってしまった。

 包を慎重に開くと、お願いしていた帽子と手袋である。帽子は神崎さんと同じベージュ、手袋は薄手のものと厚手のもので、厚い方は指がくっついているいわゆるミトン型だ。ミトン部分がめくれるようになっていて、指先を出して細かい作業ができるようになっている。うすい手袋とミトンを重ねてつけるのだろう。

 行き届いた気配りに、感謝しかない。

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