第52話 クエンチ
「月末、キャンプ行く話があるんだけど、修二くん行く?」
実験作業の切りの良いところで一息ついていると、SNSで神崎さんから連絡が来ていることに気づいた。
月末ならば東海村の実験よりあとだから、スケジュールの調整は容易だろう。とりあえず詳細を聞きに池田研に行ってみることにした。
「神崎さん、いますか~?」
「はい! はい! はい! います!」
やけに大きな声で返事があった。神崎さんは廊下に出てきてくれた。
「修二くん、どうしたの?」
「どうって、さっきのSNS、キャンプ。詳しく聞かせてよ」
「あのね、明くん、天体望遠鏡買ったの知ってる?」
「ああ、そうらしいね」
「それでね、明くん宇宙見て感動したらしいのよ」
「おお」
「しかもね、それをのぞみに見せたいんだって」
驚いた。明の緒方さんに対する気持ちはなんとなく理解していたが、これで本物であると確信できた。これは協力しなくてはならない。
「修二くんもぜひ、来てくれないかな。きっと星、きれいだと思う」
「うん、行けると思う。スケジュール確認して、連絡する」
神崎さんはそれだけで僕を開放してはくれなかった。
「東海村、いよいよ来週だね」
「うん、緒方さんのサンプルはぎりぎりには間に合うそうだから、計画通り実験できると思う」
「がんばってね」
「うん、がんばる」
ちょっと神崎さんはなにか考えて、話を続けた。
「修二くん」
「ん、何」
「私、千歳まで送って行ってもいいかな」
「え、時間取られちゃうよ、いいよ」
僕は本当は嬉しかったが、遠慮した。
神崎さんは困ったように黙っている。ちょっと悲しそうでもある。
僕は判断を間違えたらしい。
「うん、見送りに来てくれたら、僕はうれしいよ」
「ありがとう、行く」
「お礼を言うのは僕の方なんだけどね」
キャンプが楽しみになってきた。
その日の午後、僕は榊原先生の実験の手伝いをすることになっていた。超電導磁石の中にサンプルを吊るし、振動させることにより磁化率を測定するものだ。今榊原研にある最も強力な超電導磁石を使うので、僕は楽しみにしていた。他にも磁化率を測る装置はあり、しかもそちらは全自動で測定できるのだが、この磁石ほどの磁場をかけることができない。今日やり方をマスターすれば、あとは僕一人でもできるだろう。
実験室では、午前中に液体ヘリウムで冷やした実験装置が僕たちを待っていた。サンプルもすでにセットされていて、温度計はすでに液体ヘリウム温度(4。2K Kは絶対温度の単位)を示している。榊原先生と今一度チェック作業をして、実験を開始する。
「とりあえず、20テスラまでかけてみよう」
20テスラとは、要するに磁場の強さだ。正確には磁束密度という。
「4。2Kで20テスラまでスキャンですね」
「うむ」
パソコンで指令を出すと、装置は少しずつ超電導磁石に流す電流を増やし、磁場を強くしていく。同時に試料がそのときそのときの磁場に応じての応答が記録されている。
装置の様子を見ながら、パソコンに映されるグラフを見る。磁場が増えるにつれ曲線が描かれていく。
特に問題もなく、液体ヘリウム温度でのスキャンは終わった。
「先生、次はどうしますか」
僕は次の測定温度を聞いたのだが、返事がない。
どうしたものかと思っていると、
「なんか面白くないな」
「はぁ」
「唐沢くん、このグラフさ、もうちょっと磁場上げたら、もっと上に曲がりそうにない?」
言われてみると、そう見えなくもない。
「でも、この磁石、20テスラまでですよね」
「そうなんだけどね、安全率ってあるじゃない」
工業製品の性能は、本当はカタログ通りではない。カタログ値よりもうちょっと性能は高くしてあるのが普通だ。カタログに新品でギリギリの性能を記入してしまうと、劣化とか、製品のばらつきとか、他の何らかの要因があったときにその性能が出ない場合がありうる。だからメーカーは少なめの数値を言ってくるのだ。この辺の事情を先生は安全率という一言で表現しているのだ。
「まあそうですけど、大丈夫ですかね」
「やってみないとわかんないんだよね」
「先生、もし失敗すると、マグネットにダメージ出ることないですか」
「うーむ」
先生は苦悶の表情だ。僕は無理をしなくてもと思うのだが、榊原先生はもうちょっとという誘惑にゆれにゆれている。
「唐沢くん、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけやってみよう」
「わかりました。何テスラまでいきますか」
「20.5いや、21テスラまで行ってみよう。5パーセントくらい大丈夫だろう」
僕は気が進まなかったが、パソコンに数値をセットし、実験をスタートさせた。
パソコン上に、じわじわとグラフが描かれていく。
20テスラを超えた。ちょっとずつ、磁場が強くなっていく。
突然、装置の上部から白いものが猛烈な勢いで吹き出した。
「ヤバッ」
と榊原先生は言って、ありとあらゆるバルブを開放していく。
吹き出した白いものの周りに水滴状のものができ、機材の上に落ち、しばらく流れてまた消えて無くなっていく。
「こんなことしても、ほんとうは無駄なんだけどね」
榊原先生は言い訳をするように手を動かしている。
これがクエンチだった。
超電導磁石に限界以上の電流がむりやり流され、超伝導状態がこわれた。このとき猛烈な熱が発生し、それが液体ヘリウムを沸騰させた。
装置内の圧が上がってしまったので、液体ヘリウムが噴出し、空気中の水蒸気が冷やされて白い煙になる。ただそれだけでなく、空気そのものも冷やされて液体になってしまう。これが僕の見た水滴状のものの正体だ。
ひとしきり液体ヘリウムの噴出がつづいたが、しばらくしたら落ち着いてきた。装置内に強烈な圧がかかってしまったので、装置のチェックはしないといけない。つまり実験は失敗、中止だ。
榊原先生はうんざりした顔で、あと始末の作業を始めた。
しばらくして榊原先生は呟いたのを僕は聞き逃さなかった。
「近くに神崎さんいないよな」
僕の先生に対する尊敬は半減した。いくらなんでも自分の失敗を「聖女効果」にするのはひどすぎる。
榊原先生は、夕食でも醜態をさらした。
先生は普通、夕食はご自宅で摂る。しかし今日はよっぽどがっかりしたのか、学食に来た。ただ食事は取らず、コーヒーだけ飲んでいる。
研究室のボスがそんな雰囲気なので、僕たちの夕食はお通夜みたいになった。
神崎さんが学食に入ってきたのが見えた。僕は嫌な予感がして榊原先生の方を見ると、先生の視線は神崎さんをロックオンしている。
神崎さんが近づいてくると流石にロックオンはやめてくれた。
神崎さんは、
「失礼しまーす」
と言って近くの席に座った。
「先生、なんですか? なにか実験計画に不備でもありましたか?」
「いや、実験計画は大丈夫。ていうか、神崎さん、今日の午後どこにいた?」
これはいけない。僕は先生を止めようとした。
「先生、やめましょうよ。良くないですよ」
神崎さんはちょっとむっとした感じで答えてくる。
「午後はずっと居室で計算してました。一歩も外に出てません」
僕は小声で榊原先生に言う。
「ほら、そうじゃないですか」
榊原先生は、
「そうだよね、大丈夫だよね」
と言った。神崎さんは、
「なにかあったんですか?」
と聞いてくる。榊原先生が答えないのでしかたなく僕が答える。
「あのね、さっき超電導磁石がクエンチしてね、実験失敗した」
みるみるうちに神崎さんのほっぺたがふくらんでいく。榊原先生があの効果を疑っているのを察したのだろう。
「もう一回、実験やり直したらいいじゃないですか」
「そうなんだけどね、ちょっと磁場を欲張ったのがいけなかった」
そのあと榊原先生が、クエンチの様子を語った。
僕もその印象を神崎さんに伝える。
「僕ね、空気が目の前で液化するの、見ちゃった。液体ヘリウムが装置から垂直に吹き出てね、それで冷やされた空気が目の前でポタポタと液体になるんだよ。それがまた装置の上を流れて、しばらくするとまた消えちゃうんだ」
「修二くん、無事で良かったね」
榊原先生の無事は喜んでいないらしい。
榊原教授はまだ暗い。
「機材にダメージが出ているかもしれない。明日からバラしてチェックだ」
神崎さんは「知るか」という顔をしていた。
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