第51話 決断

 東海村への出張が近づき、僕は多忙を極めていた。持っていくサンプルは着々と網浜研からやってくる。東海村で中性子線を浴びせると、強く放射化してしまい、持って帰れなくなる可能性がある。だからこちらでできる測定は、可能な限りやっておく必要がある。

 電気抵抗、帯磁率、比熱については最低限やっておきたい。ゼロ磁場での測定のみならず、超電導磁石を使っての実験もやりたい。緒方さんの作るサンプルは単結晶だから、磁場の方向を変えての測定となると、測定回数は限りなく増えていく。

 

 測定結果が出るたび、僕は神崎さんにデータは見せるようにしていた。直接渡したいのはやまやまだが、僕の不規則なスケジュールに神崎さんを煩わせるのも気が引けて、生データに加えてグラフ化したものもメールで送っていた。

 

 そんな中、僕は気になることがあった。

 今回の実験、とくに中性子散乱実験については春の学会で僕が登壇して発表する予定だ。たしかに直接東海村で測定作業をするのは僕や榊原先生が中心になる。しかし先日の測定順の問題でもそうだったが、実験全体のコーディネートは神崎さんがやっている。極論すれば僕は神崎さんの手足になって測定しているに過ぎない。

 さらに、実験後の理論との比較はもう、僕の手には負えない。神崎さんなら学会までにかなり突っ込んだ議論をしてしまうだろう。

 だから僕は、この学会発表は神崎さんが登壇するべきではないかと思うのだ。

 まあ一院生に過ぎない僕が決められることでもないので、榊原先生に相談することにした。

 

 昼食後のコーヒーの席で、僕は榊原先生に切り出した。

「先生、春の学会発表ですけど、登壇者神崎さんにできないですかね」

「ん、もしかして唐沢くん、自信ない?」

「いえ自信はあります。本当は僕も早く学会デビューしたいので、やりたい気持ちはあるんですが、フェアじゃないと思います」

「どういうことだい」

「今度の東海村の実験は、実質的に神崎さんがコーディネートしています。物理的内容、機材の特性、良く勉強して計画をたてています」

「それは同意する」

「実験が終わってから学会まで五ヶ月ちかくあります。神崎さんは結果をもとにして理論とのすり合わせを必ずやります。僕が発表すると、責任持って言えるのは実験結果プラスアルファになってしまいますが、神崎さんならもっと深いところまで発表すると思います」


 榊原先生は、じっと考え込んだ。

「君、研究者としてくやしくないかね、発表のチャンスとられるんだぞ」

「悔しいです。ですが僕の力不足です」

「神崎さんは秋にやってもらう手もあるぞ」

「だめです。だって研究は競争じゃないですか。純粋に学問的に考えて、今回は神崎さんに発表するべきです」

「理屈はわかった。池田先生、網浜先生にも相談してみる。たださ、君、それでいいのかね」

「繰り返しですが、僕の力不足です。今の実力では、まだ神崎さんの横にならべていません」

「そこまで考えなくても……」

「いえ、僕は学者として、神崎さんの横に並べるように必ずなります。今回はだめでしたが」

「わかった。とにかく即答はできないが、悪いようにはしないよ」

「ありがとうございます」


 榊原先生はゼミ室を出ていった。

 

 ゼミ室にため息が溢れた。そういえば食後のコーヒーを研究室みんなで楽しんでいたところだ。今のやりとりは全部聞かれていたわけで、急に恥ずかしくなってきた。

「唐沢くん、なんかかっこいいな」

 織田先輩だった。

「いえ、そんなことないですよ。まだまだですよ」

「ま、がんばれ。理論の神崎、実験の唐沢で超伝導引っ張って行ってくれよ」

 織田先輩は肩をたたきながら励ましてくれた。

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