第48話 作業着

 お盆がおわったので、研究室もいつものメンバーが揃った。自動的にいつもの仕事モードに戻るから、昨日までのように網浜研と池田研に入り浸るわけにはいかない。

 それでもスマホというのはいいもので、何か情報があるたびに神崎さんから連絡がくる。カサドンの恋の行方もスマホで教えてもらった。

 

 数日後、今回もスマホで神崎さんから報告があった。

「SHELに行くことになった」

 SHELとは茨城県東海村にある、高エネルギー物理の実験施設である。国立の物理系研究所と原子力系研究機関が合同でつくられたものだ。そこには巨大な陽子線加速器があり、それで作られる中性子線は世界でもトップクラスの強度を誇っている。榊原先生もちょくちょく東海村の施設は利用している。

 ただ申し訳ないけど実験の出張で神崎さんが行くとは考えにくいから、初め僕はSHEL内の大規模計算機を利用するための出張かと思った。よくわからないので、池田研まで直接事情を聞きに行った。

「神崎さん、東海村出張だってね。よかったね」

「あ、修二くん、それが出張じゃないのよ」

 聞くと里帰りを兼ねてSHELの一般公開の手伝いをしてこいということらしい。一般公開の手伝いであれば、いわば内側の人間だからいろいろと機材について見学できるだろうと網浜先生が思いついたらしい。だから神崎さんと緒方さんの二人で行くそうだ。

 また里帰りを兼ねてというのがミソで、里帰りのついでに行くので出張じゃないから交通費・宿泊費が出ないそうだ。

 

 神崎さんと緒方さんはどうどうと大学を休んで里帰り、ついでに中性子実験施設の見学、だけど大学側は出費なしと、網浜先生はうまいこと考えたものだと思う。二人にはちょっと経済的な負担はかかるけど、お盆の帰省をしなかったのだからなんとかなるそうだ。

「私としては、久しぶりに扶桑にも顔が出せるし、SHELにも行けるから文句ないけどね」

「で、期間は?」

「それがね、聞いてよ。最初往復で二日、現地で三日の合計三日で予定組んだら池田先生にリジェクトされたのよ」

「厳しいね」

 僕が考えた厳しい日程は、一日目川崎泊、翌日東海村で一般公開に参加して現地泊、翌日公開終了後に札幌とんぼ返りして二泊三日だ。

「そうなのよ厳しいのよ。池田先生、十日の日程にしろって」

「はぁ?」

 逆だった。しっかり見学、里帰りしてこいということらしい。

「十日も札幌離れたら、勉強遅れちゃう」

 僕としては神崎さんの不在は淋しいが、そのへんのコメントはなかった。

「ま、向こうでも勉強自体はできるんじゃない」

と言うと、

「そうか、教科書と論文持っていけばいいだけか」

とあっけらかんとしていた。


「私達の実験で使うのってチョッパー分光器だったよね。修二くん見たことあるの?」

「うん、四年のとき実験の手伝いで一回だけ見た」

「そうなんだ、先を越せるかと思てた」

 神崎さんはいたずらっぽく笑う。

「で、性能はいいの」

「うん、線源が新しくて強度があるし、運用しながら常にアップデートしてるから、トップクラスだよ」

「そうか、それ見れるんだ」

 本当に嬉しそうだ。

「わたし、生データの処理方法、教えてもらおうっと」

「それがいいだろうね。アカウントも作ってもらいなよ」

「うん」

 うんのあとにハートマークがついている勢いだ。


 榊原研にもどると神崎さん・緒方さんの旅行日程を榊原先生から教えられた。榊原先生はSHELとつながりがあるから、多分グルだ。

 

 僕の気持ちを知ってか知らずか神崎さんは忙しそうにしており、気がついたら九月に入っていた。

 

 完全に秋を感じるある日、居室についてメールのチェックなどしているとノックの音がして神崎さんが入ってきた。

「神崎さん、おはよう。今朝は?」

 SHELの機材の質問でもあるのだろう。

 ただ、なんだか今朝は手を後ろにしてモジモジしている。

「?」

 疑問に思っていると、神崎さんが紙袋を僕に押し付けてきた。

「あ、あのね、作業服買った。よかったら着て」

 そして走って去っていった。

 

 ダッシュで逃げるとはこのことだろう。

 

 袋をあけると神崎さんの言葉通り、作業着が入っていた。黒のデニム地で、ふつうに考える作業着と異なりかなりかっこいい。おしゃれなバイク屋さんあたりが着ていそうである。

 さっそく袖を通してみる。

 ぴったりだ。

 ありがたく今日から着させてもらうことにする。

 

 研究室でそれを着ていたら、けっこう話題にされた。

「それ、どこで買ったの」

という質問には、入っていた紙袋の店の名前を言って切り抜けられた。

「いくらした?」

 これは答えられないから適当な値段を言っておいた。

「それにしてもかっこいいな」

 これは自慢してごまかす。

「実は聖女様に買ってもらったんじゃないの」

「そ、そんなわけないでしょう」

 真相を言い当てたのはなんと榊原先生だった。

 

 九月の前半は神崎さんからもらった嬉しさ半分、出張中の寂しさを予期して半分、そんな感じで浮ついた気持ちのまま過ごしてしまった。

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