第44話 X線回析
今朝榊原研に行くと、M2の織田先輩が出ていた。
「悪いんだけどさ、あとでちょっと手伝ってくれないかな」
「わかりました。網浜研にいますので、SNSで呼んでください」
「ありがとう」
網浜研での今日の作業は、昨日封入した試料を電気炉にセットすることだ。電気炉の熱で石英管内の材料を化学反応させ、試料をつくるのだ。これ自体は大して時間はかからない。もうひとつ、今日使う電気炉にもともと入っている試料を取り出して、できているかどうかX線で調べる予定だ。その電気炉は昨日のうちに電気を切ってある。
今日は最初から網浜研実験室に集合だ。行くと今日も明は先に来ていた。あいつはこんなに勤勉だっただろうか。
「よし、始めようか?」
昨日封入した石英管をチェックしていた緒方さんは顔を上げて言った。
緒方さんがその石英管を手渡してくる。
「修二くんもチェックしてよ」
「うん」
僕がチェックしてもよくわからない。むしろ、石英管を封じた先のガラス部分を器用に曲げて針金を吊るす穴を作ってあるのに感心する。
とにかく僕の眼には問題箇所があるかわからない。
つづいて緒方さんが電気炉に向かう。
「室温になってるね」
温度計をチェックして、中に入っている石英管を慎重に引き上げていく。
緒方さんからその石英管を受け取り、作業台に持っていく。
それを三回繰り返した。
開いた電気炉に昨日作った石英管をつるす。
「のぞみん、この針金、普通の針金?」
「いや、タングステン」
明の疑問はもっともだ。普通の針金だと温度的に危ない。タングステンなら大丈夫だ。
恩田さんが温度コントローラーをセットしたところで、できた試料が並ぶ作業台へ行く。
明がSNSに気づいた。
「あのさ、聖女様のご両親、今日大学来るって」
僕もスマホをチェックすると、グループで送られてきている。お母様がお弁当を作って持ってきてくれること、午後学内を案内してほしいことが書いてある。
「修二くん、案内してあげなよ」
緒方さんが提案してくれた。
「私こっちいないとまずいし」
「俺、のぞみんといたいし」
それもそうかと考え、返事する。
「僕が案内するよ」
「ありがとう、のぞみに頼もうかと思ってたんだけど」
「緒方さんは多分手が離せないと思う。僕ならなんとかなるから」
「ごめんね」
「どういたしまして」
「ディフラクションメータにかける」
作業に戻った緒方さんはそう言った。X線を試料に浴びせ、散乱されるX線の方向から、結晶構造を調べるのだ。僕は一応聞いておく。
「この三本のサンプル、何がちがうの?」
「目標とする組成は同じなんだけど、温度管理がちがう。まだどう温度管理すればいいかわかってないんだ」
「なるほど」
僕はそういいながら、昨日と同じく乳鉢を三つ用意した。ディフラクションメータは、まず試料を粉末にしなければならない。
「乳鉢いるってよくわかったね」
緒方さんが感心したように言う。
「学生実験でやったしね」
明が答えた。
まず、封入している石英管から試料を取り出さなければならない。緒方さんは石英管を布でくるんで、ハンマーで割った。
「やってみる?」
と言うので、眼をキラキラさせた明がまず志願した。
なかなか割れない。
「思い切ってやらないと割れないよ」
緒方さんに励まされ、やっとサンプルを取り出すことができた。
続いてサンプルを粉末にする。学生実験ではこんな硬い試料を使わなかったから、緒方さんに倣って作業する。サンプルの一部を乳鉢に入れる。始めは乳棒を試料に落として、少しずつ割っていく。細かく割れてきたら今度は乳棒をゴリゴリと押し付け更に細かくする。最後はすり鉢のようにして粉末にする。
粉末は専用のケースに入れ、ディフラクションメータにセットする。スキャンにはそれなりに時間がかかるので、スキャン中に乳鉢の片付けをする。
続けて専用のカッターを使って、石英管から取り出したサンプルの一部を切り出していく。こちらもX線にかけるのだが、単結晶になっているか、またできていた場合、結晶の方向がどうなっているか調べるためだ。
ディフラクションメータにしろサンプルカッターにしろ、1回にサンプル1個しか処理できないので、計画的にやらないといくら時間が合っても足りない。こんなところにもサンプル作りの苦労があるのだと初めて分かる。
「緒方さん、サンプル作りって大変なんだね」
「そうなんだよ。とにかく時間かかる。だから修二くんと明くんに手伝ってもらってよかったよ」
「そう言われると嬉しいね」
最後の言葉は明だ。
もう昼近い。
「聖母様の手料理、楽しみだなぁ」
いつも気楽な明が言う。
ときどき明は馬鹿だなと思う。昨日のオムデミハンバーグなど、大事なところで素晴らしい気遣いができるのに、緒方さんの気持ちを推し量ることができないことがある。なにも考えていないだけかもしれないが。
「僕も楽しみだけど、緒方さんも料理上手なんだよね」
緒方さんの機嫌が悪くならないようそう言うと、
「のぞみんの手料理も食べたいなぁ」
と明は適切に反応してくれた。
そんな話をしていたら、僕たち三人のスマホが同時に反応した。神崎さんのお母様だった。
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