第43話 オムハンバーグカレー
「聖女様、お昼行こ」
緒方さんが池田研の居室に首を突っ込んで声をかけた。僕も明も顔を見せる。
「うん、ちょっと待って」
神崎さんはバタバタと教科書やらプリントやらを片付けて立ち上がった。
「そんなにあわてなくてもいいのにね」
緒方さんが僕に向かって小声で言った。
部屋に鍵をかけたところで、神崎さんが聞いてきた。
「おまたせ、どこ食べ行く?」
僕は、
「お盆だからさ、確実に開いてるのは駅近くらいじゃない」
と言うと緒方さんが、
「遠いねぇ」
と言った。
休み中だからゆっくりと昼食を摂るのはいいのだが、サンプルが真空ポンプに繋ぎっぱなしであることがちょっと気になったので緒方さんに質問した。
「さっきのサンプルさ、セットしてあのままでいいの」
「うん、時間がたっても真空度が上がるだけだから問題ない」
「そう、よかった」
階段を降りながら神崎さんが聞いてきた。
「修二くん、のぞみと実験してたの?」
「ああ、緒方さんとの共同実験だからね、サンプル作りを手伝わしてもらってた」
緒方さんも言う。
「手が二つになって、助かったよ」
神崎さんはちょっと怖い顔で言った。
「よかったね」
神埼さんにちゃんと話をしておかなかったのはまずかったらしい。仲間はずれにされたとでも思ったのだろうか。
無言で階段を降り、理学部棟の外に出た。いつもより神崎さんの歩みが速い。
危険を察知したのか明が言った。
「おお、聖女様、ご機嫌ななめかな」
「べつに」
緒方さんが神崎さんにすがるように謝っている。
「聖女様ごめん。修二くんがサンプル作り見たいって言うから、気楽にOKした」
「……」
「修二くんはね、『神崎さんも誘おう』って言ってたんだけど、ごめん、私が断った」
「……」
「いや、だからね……」
「もういい」
神崎さんの笑顔が怖い。
そのまま神崎さんがなんとなく三人を導くように大学構内を歩く。会話はない。
正門近くに来たところで神崎さんが無言で指さした。その先には去年院試前日に言ったカフェがあった。
カフェ入口で緒方さんが「先へ行ってて」と僕と明に言った。緒方さんは神崎さんを引っ張って売店の方へ行った。まだシマエナガのぬいぐるみはあるのだろうか。
カフェのメニューで明が興奮した。
「これだ、これしかない」
見ると、オムライス+ハンバーグにカレーソースである。神崎さんの好物のセットではないか。
「よし、これ注文しとこう」
明はさっさと4人分注文した。
遠くで神崎さんと恩田さんが何か言っているのが見える。なかなかこっちにこない。
料理が来て、やっと二人はこっちに来た。ふたりとも目が赤い。
「メニューでさ、これ見たときこれしかない、って思ったね。聖女様の好きなもの、三連コンボじゃん。なのでもう頼んでおきました。あ、ワリカンね」
明が説明した。ふたりとも先程までの雰囲気が嘘のように笑ってくれた。
食事後神崎さんがトイレに立ったとき緒方さんは、
「明くん、ありがとね」
と言った。
ゆっくりと昼食休憩をとって実験室にもどる。でも僕たちはぶらぶらとゆっくりと歩いていた。太陽が樹木によって地面にまだら模様をつくっている。見上げればチラチラと差し込む日差しがまぶしい。つい顔をしかめてしまう。神崎さんも同じように上をみて、へんな顔になっていた。
理学部棟入口で、急に神崎さんがごねだした。
「私も、サンプルつくりたいなぁ」
緒方さんは、
「ごめん、だめ、絶対」
「えー」
一旦池田研のゼミ室に行って、みんなでコーヒーを飲む。今日は相当ダラダラしている。
神埼さんに午前の作業の様子を伝えていると、
「そうだ、修二くんに聞きたいことがあったんだ」
と、神崎さんが居室に資料を取りに行った。
すると緒方さんと明はすっと立ち上がった。そして、
「私達、先行ってるから」
と緒方さんにウィンクされた。
しばらく神崎さんの質問に答えていると、神崎さんのスマホが鳴った。
「わたし、今日帰る。両親が千歳着いた。迎えに行ってくる」
「そう、よかったね」
僕は網浜研にもどることにした。
網浜研では、緒方さんが封入作業をしていた。石英管にガスバーナーの炎をあてている。実験室入口に溶接用サングラスが置いてあったので、それをかける。
午前の作業で石英管にサンプルの材料を入れ、真空引きしてある。ガスバーナーの炎で石英管を温めると、温まった部分が大気圧に押されて凹んでいく。それを慎重にやって封をするのだ。
石英ガラスは白く光りだすくらい温めないと柔らかくならない。だから単なるガスバーナーでなく、酸素を混ぜる。白い光には有害な紫外線が含まれているので溶接用のサングラスが必要だ。僕も明もダラダラと汗を流しながら、緒方さんの作業を見守った。
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