第42話 試料作り

 襟裳岬から帰ると、研究室の四年生たちは実験を放棄していた。何故なら院試直前だからだ。去年の指導教官の小田先生も、四年生たちの負担を抑えて受験勉強の時間を確保してくれた。

 これが自分に影響がないかと言うとそうではない。いつもなら一緒に実験してくれる四年生がやってくれないだけでなく、彼らの勉強の手伝いもしないといけない。強制されているわけではないけれど、居室で頭をかかえる後輩をみると放って置くのも気が引ける。

 だからバタバタとした日々を送っていた。

 

 そんな中、僕は緒方さんに相談があった。昼食直後なら網浜研の何処かに居るだろうと行ってみると、ちょうどゼミ室で仲間たちと談笑していた。

「あれ、修二くん、ここは池田研じゃないよ」

「いやいや緒方さんに用があって」

「浮気はいけませんなぁ」

「そんなんじゃないって」

 網浜研のみんなも笑っている。

 

 ゼミ室に入って話題を切り出す。

「緒方さん、お盆休み中サンプル作りに集中するんでしょ。僕に手伝わせてもらえないかな」

「いいけど、どうして?」

「僕さ、去年から測定ばっかりしてて、実験のスタートのサンプルについてなんにも知らないんだよ。やっぱりちゃんとそのへんも知っておきたくて」

「自分の実験とか勉強とかいいの?」

「実験はなんとかなる。勉強も大丈夫。多分」

「多分、か。まぁわかった」

「それでさ、神崎さんも誘ったらどうかな」

「いやだめでしょう」

「やっぱり」

「ま、聖女様にはなんにも言わなくていいんじゃない? 修二くんがやるっていったら聖女様もやりたがりそうだし……」

 ちょと釈然としないところもあるが、とりあえず納得しておいた。

 

 お盆休み初日、僕はいつもより早く家を出た。緒方さんのサンプル作りを手伝うためだが、緒方さんたち女子は朝は早くに出て夕方すぐに帰る。先生方に防犯上の理由で指示されている。当然僕の方で時間を合わせなければいけない。

 

 朝も早いので大学構内に人気は少ない。自転車置き場もほとんど空だ。

 荷物を居室に置いて身支度をし、網浜研に向かう。日頃だと研究室に人の出入りが常にあるから鍵の開け締めは朝イチと夜にしかしないが、お盆休み中は研究室は無人に近いのに観光客が迷い込むことがある。対策としていちいち施錠しなければいけないのがわずらわしい。

 

 網浜研に行くと居室だけ電気がついていてドアも開いている。

「緒方さーん」

「あ、おはよう」

「よう」

 最後の「よう」は明だった。

「なんでお前居るんだ?」

「俺はのぞみんを守るのと、修二が浮気しないように監視するため。ついでに実験の手伝い」

「ついでかよ」

と言って緒方さんが笑った。

「ま、三人もいても意味あんまりないだろうから、俺は後ろで論文読んでるよ。手が足りないときは言ってくれ」

というのが明の方針だった。


 緒方さんに試料を作る部屋に連れて行ってもらう。緒方さんも施錠についてぶつくさ言っている。

「今日はね、試料の材料を秤量して、石英管に封入。最初は見ててね」

 緒方さんは材料を持って電子天秤の前に座る。折り目をつけた薬包紙を天秤の皿の上に置き、ゼログラムになるようにTAREボタンを押す。

「知ってるとは思うけど、材料を少しずつ増やしていって目標の質量にしてね。オーバーしたらやりなおし」

 緒方さんは手慣れた手つきで見本を見せてくれ、量り取った材料を薬包紙で包む。

「へぇー、薬包紙ってそうやって折るんだ」

 理論の明にとっては目新しいことらしく、感心している。

「じゃ、やっててね。私、石英管の準備してる」

「「はーい」」


 材料を量ったものを、緒方さんのところに持っていった。

「ありがと」

 緒方さんはそう言って、机の上に材料の薬包紙を整理して並べていく。

「修二くん、乳鉢お願い。あっちの棚」

「ひとつでいいの?」

「いや、三個」

「オッケー」

 論文を読むと言っていた明だが、僕があとでしようと思っていた電子天秤のあたりの片付けをしていた。


 僕は思い出したことがあって緒方さんに断って、スマホを出した。神崎さんにSNSを送る。

「今日は質問はないの?」

 すぐ返事がある。

「うん、無い」

「了解」

 なんか残念な気がした。

 

 乳鉢に材料を入れ、サンプルひとつ分ずつ三人で混ぜる。

 つづいて、石英管に混ぜた材料を詰める。

 石英管というのは、ぱっと見は普通にガラス管だ。ただし純粋な二酸化ケイ素でできている。通常のガラスは二酸化ケイ素を主成分としていて他にいろいろなものがまざっている。純粋な二酸化ケイ素にすると、通常のガラスよりも耐熱性と強度が上がる。だからサンプルを封入してかねつするのによく使われる。

 詰めたところで真空ポンプにつないで管内の空気をとりのぞく。

「午前中はこんなもんでいいか?」

 緒方さんはそう告げた。確かに昼近い。

「実験ノート、突き合せておいたほうが良くない?」

 明がなかなか的確なことをいう。作業を分担したから緒方さんのノートに書かれていない部分がある。最終的に緒方さんの仕事なのだから、すべての内容が緒方さんのノートに集約されていないといけない。

 そんなことをしていたら、本当に昼になった。

「お昼行こう!」

 緒方さんは実験室を出ると階段を上がる。僕が何も言わなくても、当然神崎さんを誘う気なのだろう。

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