第38話 お盆の予定

 夏休みに入ったある日、昼前にSNSで神崎さんから連絡が入った。

「今日昼食、いっしょにどう?」

「了解 で、どこ?」

「中央食堂」

 これでなにか物理のことで相談があるのだろうとわかる。

 

 中央食堂に向かうと、食堂入口で神崎さんが待っていた。今日は薄いクリーム色のブラウスにデニム地のショートパンツである。7月の陽光に照らされ、文字通り輝いている。

「修二くん、こっちこっち」

と手招きされたが、僕は別のことが心配になった。

「神崎さん、紫外線大丈夫?」

「ヤバッ」

 急いで食堂内に避難した。

 

 今日の昼食は、鶏の唐揚げのみぞれ和えだった。午前中の作業で百リットルの液体窒素のタンクを何個も動かしたりしてけっこう大変だったから、さっぱりしたものが食べたかった。

「あ、私もそれにしよ」

 神崎さんも同じものを選んだ。なお北海道では、鶏の唐揚げをザンギという。

 

 席についたところで神崎さんが切り出した。

「修二くん、輪講なんだけど、欠席者どうにかならないかな」

「どうにかって?」

「実験で出れないのはしょうがないのは理解してる。四年生は就活もあるし」

「うん」

「だからね、どこまですすんだとか、欠席者からの要望とか、うまく共有できたほうがいいんじゃないかと思うんだ」

「それならSNSでしょう」


 即答はしたのだが、すでに札幌国立大学の物理にはSNSが三つもある。聖女様親衛隊、のぞみんファンクラブ、千葉県人会まみちゃんずである。まみちゃんずは、神崎さんの情報によるとM1の恩田真美さんと池田研4年生の笠井くんをくっつけるために設立したらしい。ただどのSNSも最近は事務連絡の場となっていて、もう一つ新しく作るには強い理屈付けが必要な気がした。

 

 考えが決まった。

「超伝導友の会ってどう」

「友の会?」

「輪講の進み具合とか、事務連絡とか書き込めばいいと思うんだけど、その他超伝導の新情報とかも載せたら充実するんじゃない?」

「なるほど。あとは誰がやるかだね」

「まあ、神崎さんしかないだろうね。僕がやる、といえればいいんだけど、実験だからさ」

「わかった。やる」

 神崎さんが中心になってやれば、新しい論文の情報など有益なものとなるだろう。

 

 神崎さんからの相談に結論が出たところで、僕は話題を変えた。

「そういえば僕、十月に東海村で実験やることになった」

「東海村っていったら中性子?」

「そう」

「いいなぁ、出張だ~。なにすんの?」

「うん、基本的には榊原先生の実験でウラン関係だね。なんだけど、ぼくもマシンタイム少し貰えそうなんだ」

「へぇ~」

「先生はね、何かアイデアがあればやらせてくれるっていってるんだけど、まだ考え中」

「そうなんだ。やっぱり重い電子系?」

「重い電子系でもいいし、高温超伝導でもいいんだけど」

「サンプルは?」

「重い電子系なら研究グループの中にあるもの、高温超伝導なら網浜研につくってもらうかだね」

「私個人としては高温超伝導体でやってほしいけど」

「神崎さんは雑誌会のとき、酸化銅の面間相互作用を気にしていたよね」

「うん」

「そうすると単結晶だね。網浜研ちょうどいいの持ってるかな」

「のぞみに聞いてみるか」

 神崎さんは立ち上がって食堂内を見回した。

「のぞみー、ちょっといいい?」

 神崎さんはちょっと大きな声を出して緒方さんを呼んだ。緒方さんは食事ののったトレーを持って席を移ってきてくれた。

「デート中、じゃまするぜ」

「デートじゃないって」

「で、何」

「うん、修二くん、説明してよ」

「ああ、十月に東海村で中性子の実験するんだけど、僕、マシンタイムがとれそうなんだ。なにかいいサンプルないかな?」

「ん、漠然としてるね」

「そうだね、こないだの雑誌会で神崎さんが高温超伝導体の、酸化銅の面間相互作用を気にしていたでしょう。圧力効果はすでに実験されているけど、逆に面間を広げるような実験ができないかなと考えているんだ」

「ああ、それか、実は私、それは今やってる」

「そうなんだ」

 僕たち榊原研は尾崎さんの属する網浜研と連絡を取り合いながら実験を進めているが、このことは知らなかった。

「うん、まだ上手く行ってないので細かいことは言えないけど、例えばYBCOの場合、イットリウムとバリウムを両方うまい感じに置換することを考えてる。それで格子定数をいじれないかと」

「それはいいレシピを手に入れるのに、かなり手間がかかりそうだね」

「あとはサンプル作成時の温度管理かな」

「なるほど」

「実際のところ、高温超伝導が発見されてから四十年近く立ってるから、簡単に思いつくようなことはやりつくされてるんだよね。ただ、すでになされたことも、現代の技術でやり直すことには意味があると考えている。サンプル作成技術も上がっているし、作成後の検査についても昔ではできなかったことが、今はできる。正直に言うと、私は昔の測定の一部は信じていない」

 僕もその考えには同調する。

 神崎さんが口をはさんできた。

「のぞみ、昔の実験で信用できないのはどれ?」

「うーん、即答できない。直感的なことだから」

「もしかしたら、私達でそれを精査することに意味はあるかな?」

「あると思う。でも先生たちは許してくれないと思う。それより前にやることがあると言われると思う」

「そうだよね。やるとしたら秘密にやるしかない」


 神崎さんは話題を僕の実験にしてきた。

「まず、こんどの修二くんの実験で、過去の実験の追試になるようなことをやるべきかな」

 僕も返答する。。

「よっぽどの根拠がなければ、それは許可されないと思う。中性子のマシンタイムは想像以上に貴重だから」

「そうだよね、だから過去の実験の精査は、時間をかけてやっていくべきだと思う。次にのぞみ、今作っている試料、十月に間に合うかな?」

「間に合わせる」

 緒方さんが短い言葉で強い決意を披露した。

「それを修二くん、やりたい?」

「やりたい」

「じゃあ、それをどう榊原先生につたえるかだね」

「うん、この三人のアイデアとして先生に言うのが妥当かな」

 神崎さんはひっかかることがあるのか、

「主になる人ははっきりさせるべきだと思う。そもそもこれは、修二くんの実験だよ」

と言ってきた。僕は、

「でも、大もとのアイデアは神崎さんでしょ」

と反論する。

「そうかも知れないけど、私のは思いつきみたいなもんだよ。あと、のぞみは修二くんとか私とかから依頼を受けてサンプルを作っているんじゃなくて、自主的に作っているんだよ。だから順位をつければ、修二くん、のぞみ、ついでに私になると思う」

 神崎さんの口調がちょっと強かったため、僕も緒方さんも言葉を継げなかった。

 

 すこしして緒方さんが言った。

「私達さ、研究者として駆け出しもいいとこじゃん。判断できないよ、こんなこと。三人そろって榊原先生のところ行って、今の状況相談してみようよ」

 なるほど合理的な意見である。昼食後に三人で榊原先生のところに行くことにした。

 

 榊原先生のところに三人で行く。

「なんだい、お揃いで」

「先生、今度のニュートロンの実験なんですが、僕たち三人で考えたことを実験したいんです」

「ほほぉ、具体的に聞かせてくれ」

 僕は先程の議論を思い出しながら、榊原先生に相談した。そして、僕たち三人の序列についても相談した。

「わかった。サンプルが間に合えば、その実験をやろう。緒方さん、網浜先生のところは、このあと一緒に行ってあげるよ。

 つぎに、君たち三人の順番だが、神崎さんの言う順番でいいと思うよ。実際に実験をするのは唐沢くん、その実験の試料を用意するのが緒方さん。論文を出すとき、実験の論文だから、その順番でいい。今回の実験では神崎さんは名前を連ねておいて、データと理論の細かい検証の論文を出すときは、神崎さんが第一著者になればいい」

 

 榊原先生は僕たちの意欲を評価してくれたのか、そのあと僕たち三人を連れて網浜研、池田研に行ってくれた。研究室をめぐり終わったところで緒方さんが言った。

「まずは私のサンプルだね。お盆休み、実家に帰るのやめた!」


 どうせ神崎さんはこの夏休み、川崎には帰らないだろうと思っていた。僕もあまり帰る気は無かった。両親を安心させたい気持ちもあるが、東京の酷暑にわざわざ変える必要を感じていなかった。

 お盆休み中日頃できない勉強をしたいと思っていたが、緒方さんのサンプル作りを手伝うのもいいかもしれない。去年もそうだったが僕は人からもらったサンプルの測定ばかりしてきた。いい機会だから、サンプル作りについても学びたいと思った。

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