第36話 安心していいらしい

 土曜日、オイル交換に行く神崎さんに僕とアラン教授が同行する。ついでに緒方さんも来ることになった。アラン教授が神崎さんと出かける話になったとき、

「聖女様を男二人だけとドライブさせる訳にはいかない」

と言って強引に同行することを要求したのだ。アラン教授は若い女性を拒む素振りは微塵もなかった。


 神崎さんは車を札幌郊外のとあるショップに持ち込んだ。派手なカラーリングの車が沢山置いてあるし、ボコボコになってしまった車もある。一目で競技系のショップであることがわかる。アラン教授は興味津々でいろいろな車を覗き込んでいる。

 

 店内に入ると、アラン教授は展示されている車に座りたがった。僕は通訳がわりに店員さんにお願いする。神崎さんはもう注文は終わったのか、緒方さんとテーブルに座って雑談していた。

 

 なお、僕はフランス語はできない。アラン教授はフランス人だが普通に英語を話す。研究の世界の共通語は英語だから、外国人研究者とは通常英語で話す。

 

 車の整備中アラン教授に連れ回されいい加減疲れたが、まあものごと必ず終わりは来る。

「神崎さん、会計はこちらになります」

 その金額を見て僕は驚いた。緒方さんも驚いたようだ。

「聖女様、私、お父さんのオイル交換にくっついて行ったことあるけど、こんなにかからなかったよ」

「僕も正直、驚いた」

「そうなの? お父さんの言う通りにしているだけなんだけど」

 アラン教授が、口を挟んできた。

「いや、こんなものだろう。車が車だし、オイルもいいものを使っているようだよ。ミッションオイルも交換しているしね」

 神崎さんは驚いてアラン教授に聞き返した。

「車が車って、どういうことですか?」

「カンザキさんの車って、もとはラリー車だと思う。だってロールケージ入っているし」


 ショップを出て、ちょっとドライブに行こうということで支笏湖に向かう。札幌から約一時間走ると行けるカルデラ湖だ。僕は今回が初めてだが、きれいだということは研究室のメンバーから聞いていた。

 

 相変わらず助手席を占拠するアラン教授は神崎さんに話しかける。

「カンザキさん、ガム食べますか?」

「イエス」

 神崎さんは右に左に運転中でありながら、ヒョイッと左の手のひらを開いてアラン教授の方に伸ばした。僕のときと違うリアクションだ。運転しながらも器用にガムの包み紙を剥いて口に入れている。

 

 やがて山道が本格化してきた。

「カンザキさん、ブレーキを使わないで曲がれるかい?」

とか、

「今度は、奥まで突っ込んで曲がってみよう!」

など、運転の仕方をいろいろ指示している。神崎さんはそれにいちいち応じているのは、素人の僕でもわかる。

 アラン教授は大喜びしているが、僕の隣の緒方さんから、

「うっ」

とか

「ヒッ」

とか言う声が聞こえてきた。顔を見ると真っ青である。

「神崎さん、スピード落としてくれないかな、緒方さんがちょっと……」

 僕が話しかけると、

「アラン教授、後ろの人達が……」

神崎さんはアラン教授に断って、車速を落とした。


 やっと支笏湖畔についたところで緒方さんはふらふらと車から降りてきた。こんなに弱った緒方さんを初めてみた。神崎さんやアラン教授は、

「のぞみ、ごめん、調子に乗っちゃった」

「オガタさん、ゴメンナサイ」

などと謝り、緒方さんは弱々しく笑った。


 梅雨のない北海道の六月。湖水の青、山に広がる緑。高原に湖水をたたえる支笏湖は美しかった。その景色をみながら僕らは湖畔に座っていた。時刻は三時半くらいだが、一年でも最も日が長いこの頃、夕方が近づく気配はない。

 神崎さんはアラン教授に捕まっていて、いろいろと話をしている。

 緒方さんは景色に癒やされたのか、顔色は良くなってきた。僕は神崎さんとの付き合いの長い緒方さんに聞いてみたいことがあった。

「緒方さん、さっき神崎さんがアラン教授からガム受け取ってたでしょう?」

「うん、うけとってたね」

「普通にもらってたでしょ」

「うん、普通だった」

「こないだアラン教授を迎えに行ったときは違ったんだよ」

「そうなの?」

「うん、高速でね、僕、ガム食べるかって聞いたんだよ」

「修二くんそのとき助手席?」

「うん。でね、ガム食べるって聞いたらね、神崎さん、口開けたんだよ」

「へ?」

「口開けて待ってたんだよ」

「ほお!」

「でね、今日の道のほうが運転大変でしょ。だけど手でガムを受け取ってたんだよね。高速なんて真っ直ぐだから楽だと思うんだけど、口開けてガムを待ってたんだよ」

「修二くん、状況はわかった。ちょっと考えさせて」


 緒方さんは小声で何かしらつぶやきながら考えている。

「うん、これはわざとか?」

「……わざとなら聖女様、なかなかの策士」

「いや、自然体か?」

「……」


 しばらくして緒方さんは結論付けたように言った。

「修二くん、安心していいよ。うん」

「はい? なにに安心すればいいの?」

「まあ、とにかく大丈夫だから」

「はぁ」


 その後の緒方さんは元気だった。

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