第35話 出迎え

 六月半ばのある日、僕は榊原教授から変な相談をされた。

「唐沢くん、神崎さんって、なんかいい車持ってるらしいね」

「そうですね、もともとはラリーかなんかに使ってた車らしいですよ」

「それって、神崎さんがそういう趣味があるってこと?」

「いえ、お父様の趣味らしいです」

「ふーん、で、神崎さんの運転はどうなの?」

「けっこううまいですよ」

「ならいいか、唐沢くん、今度アラン教授来るだろう」

「はい」

「彼、相当な車マニアなんだよ。だから神崎さんの車を見せたら喜ぶと思うんだよな」

「はぁ」

「だからね、千歳までアラン教授を迎えにいってもらえるとうれしいんだけどな。唐沢くん、神崎さんに頼んでくれない?」

「え、嫌です」

「君と神崎さんの仲だろう」

「僕たちなんでもないですよ」

「えぇ~?」

「むしろ彼女の物理の邪魔なんかしたら、嫌われちゃいますよ」

「そうかな、アラン教授は重い電子系の権威だよ」

「そうですけど、そもそも池田先生の許可とるほうが先じゃないですか?」

「それもそうか」

 榊原先生は池田先生のところに話に行った。

 

 ちょっとして榊原先生がニコニコして戻ってきた。

「池田先生のOKは出た。悪いけど唐沢くん、神崎さんに頼みに行くから一緒に来てくれ」

「はぁ」

 しかたなく、榊原先生のあとについて池田研に行く。

 

「神崎さん、大変申し訳無いんだけど、明日の午前、新千歳まで行ってくれないかね」

 榊原先生が切り出した。

「はい、私はいいですが池田先生に聞いてみないと」

「池田先生には言ってあるよ。実はフランスのアラン教授が日本に来ててね、中性子の実験をしていたんだけど、終わったからうちの研究室を見たいと言ってるんだ」

「アラン教授はどんな方なんですか?」

「重い電子系の大家だよ。初期から関わっている」

「そうですか。でも、なんで私が?」

 僕は榊原先生の後ろから手を合わせて謝る。

「まぁ、いけばわかるかな? 午前十時にここを出れば、アラン教授の便に間に合うと思うので、明日は車で来てくれ。入構許可証はあとで持ってくるよ。ああ、燃料代とか高速代もちゃんと出すので安心してくれ」


 そんな訳で翌日、僕は榊原教授とともに神崎さんの車で千歳へ向かった。榊原先生がご機嫌をとったせいか、それともアラン教授に会えるからか、神崎さんは機嫌よく運転していた。榊原先生はゆったりと後部座席に座り、僕は助手席だ。

 僕は神崎さんの機嫌を維持すべく、高速道路に入ったところでガムを取り出した。

「神崎さん、ガム食べる?」

「お願い」

 そう言って神崎さんは口を大きく開けた。

 

 動揺した。

 運転中だから、口に入れてくれというのだろう。

 神崎さんはときどきこうして無防備になるから困る。

 

 空港でのアラン教授の出迎えは、問題なくいった。榊原先生が僕たちを紹介してくれる。

「アラン教授、こちらは神崎杏さん、こっちが唐沢修二くん」

「「アンシャンテ」」

「おーカンザキさん、カラサワさん、どうかよろしくー」

 アラン教授は挨拶だけは日本語でしてくれた。

 

 駐車場でのアラン教授は、榊原先生の予想通りだった。

「アラン教授、あの黄色い車です」

もともとアラン教授の機嫌はよかったは、神崎さんの車に走り寄った。

「オララ! 榊原教授、君の車か?」

「いや、神崎さんのだよ」

「すばらしい!」

 アラン教授は当然のように助手席を希望した。


 高速でアラン教授は神崎さんにに話しかける。

「カンザキさん、きみは運転うまいね」

「なぜ?」

「車の向きを変えるのに、ステアリングでなく、アクセルをつかう」

「父に教わった」

「それできみは、競技に出てるのかい?」

「いえ」

「この車、競技用だよ。もったいないな」

 神崎さんの返答がややぶっきらぼうになるのは、運転中であることと英会話であることからだろう。 その後大学に着くまで、アラン教授はずっと車の話をしていた。

 

 大学についてもアラン教授の車の話は終わらなかった。

「カンザキさん、このお店行きたい。フランスでも有名」

 アラン教授は車に貼られたステッカーを指して言う。

「買ったのは、北海道ではなくて東京なんですが」

「北海道にもショップがあるの知ってる」

「わかりました。今度オイル交換するので、今週末お店がすいているなら」

 そう言って神崎さんは電話をかけはじめて。

「もしもし、私、神崎と言いまして、東京店で車両を買ったんですが、オイル交換をお願いしたいんですが」

 しばらく電話で会話して、神崎さんはアラン教授に言った。

「土曜日の午後にお店に行くことになりましたが、同行しますか?」

「イキマス」

 アラン教授はもちろん興奮していた。

 榊原先生は神崎さんに聞いた。

「それじゃあボディガードに唐沢くんを連れて行ってくれ」

 僕に異論のあるはずがない。

 

 駐車場から理学部棟に入るところで、緒方さんに出くわした。

「こんにちは」

 緒方さんの挨拶に榊原教授がアラン教授に紹介する。

「オガタさんも、車運転しますか?」

「いえ……」

 アラン教授の日本女性像は神崎さんのせいでゆがんだのだろうか?

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