第33話 雑誌会二日目
今日は僕の発表で、午前の六番目だ。ぎりぎりまで居室で自分の発表内容をチェックする手もあるが、それだと他の人の発表が聞けない。思い切って会場の教室に行く。
教室に入ると明がすでに来ていた。
「おう明、なんで一番うしろ。お前こういうの前のほうが好きだろう」
「あ、うん。まあいいんだよ」
わけがわからない。よくわからないので僕は昨日と同じ席に座ることにした。
しばらくしたら神崎さんがやってきた。
「修二くんおはよう」
「ああ、おはよう」
「きょうだよね、がんばってね」
「うん、ありがとう」
神崎さんは昨日と同じく僕の隣の席に座った。
本当は今、自分の発表のために集中を高めていかなければならないタイミングだと思う。しかし僕は違うことを考えていた。
神崎さんと僕。
いつもこのように神崎さんのとなりに僕、僕のとなりに神崎さんがいてほしい。
そんなことを考えていたら、神崎さんは変なことを聞いてきた。
「修二くん、親衛隊って知ってる」
ちょっと考えて答えた。
「なにそれ、昔のドイツ?」
本当は最初に考えたのは暴走族のことだったけど、それは黙っておいた。もしかして川崎出身の神崎さんは、親衛隊出身なのだろうか?
それより神崎さん、お酒臭くない?
僕の順番が来た。
「榊原研の唐沢修二です。よろしくおねがいします」
会場を見渡す。神崎さんが目をキラキラさせているのは超伝導絡みだからだとして、明とか緒方さんとかが目を輝かせているのはなんでだろう。いや、緒方さんは超伝導の研究もしているからわかる。明は僕の失敗にでも期待しているのだろうか。ただ、緒方さんは明の右、恩田さんが左に座っているのが見える。恩田さんの表情は厳しい。
「今回ご紹介するのは、高温超伝導体において圧力効果について網羅したこちらの研究になります」
論文に掲載されているグラフを次々とスクリーンに投影しながら実験での知見を紹介していく。
「試料の系統ごとの結果はお見せしているグラフのとおりですが、残念ながら圧をかけると超伝導になりやすくなるのか、なりにくくなるのか、はっきりしたことは言えない状況です。一番ずるい言い方をすると、物質ごとに超伝導の発現機構が違うため、統一的な解釈ができない、ということになってしまいます。今後の研究の方向性は、本当に試料ごとに圧力効果が異なるのかを探るのが第一かと思います」
質疑応答で、最初に手を挙げたのは神崎さんだった。
こちらの研究では、圧力は静水圧でしょうか?」
静水圧とは、圧力をすべての方向から均等にかけた場合のことである。
「はい、そのとおりです」
「では、一方向に限定した圧力をかけるのは難しいのでしょうか。それができれば、酸化銅の面間の相互作用が実験的にいじれるきがするんですが」
「そうなんですが、この論文でも触れていますが、まだ技術的に難しいようです」
「なるほど、少し違う話になるかとも思うんですが、銅や酸素以外の原子を、別の原子で置き換えると格子定数が変わり、似たような実験ができそうな気がするのです」
「そういう実験はあります。ただ、まだ系統的な結果が出てはいないようです」
榊原研ではサンプル作りはしていないため、原子の置換効果については僕は黙っていた。でも神崎さんはさらっとそのあたりを突いてくる。
榊原教授がコメントする。
「神崎さん、全くその通りなんだけど、一部の原子を置換すると結晶格子に局所的なひずみができるよね。そのランダムネスの評価が難しいので、そういう研究がまだ少ないんだと思う」
「ランダムネスの評価、についてもう少し詳しく教えていただけたら……」
「うん、まず実験的にはどれくらい結晶構造が乱れているかは、測定しにくいんだ。X線で結晶構造を測っても、結局平均値しか得られない。乱れ具合が評価しにくいんだ」
「回折パターンがぼやけるとかは、ないんでしょうか」
「経験的には、学内の装置ではわからないね。放射光でもつかえばわかるかもしれない」
「なるほど。乱れた系の理論については難しいことは、私でもわかります」
「ま、そういうことだね」
午前の発表が終わり昼食に向かおうと席を立つと、明が緒方さんと恩田さんに絡まれていた。明が席を立とうとしても、二人が腕を絡めてそれを許さない。なんだか明はピンチのようだ。
気がつけば教室は僕と神崎さん、そして女子二人に拘束されている明の合計五人だけになっていた。どうせ明がなにか女子のご機嫌を損ねるなにかをやらかしたにちがいないのだが、一応手を差し伸べることにする。
「なにに、揉めてるの?」
それに対し恩田さんと緒方さんが口々に言う。
「うん、修二くんは無実。知らない方がいい」
「そうなの、修二くん、聖女様と昼食行っといで」
「わかった」
学食で神崎さんは、めずらしくナポリタンを頼んでいる。いつもご飯物またはカレーだから、昨日飲みすぎた影響だろう。神崎さんでも、雑誌会はけっこうたいへんだったのだろうか。僕は通常通り日替わりランチにして、神崎さんと二人で席をとる。
「そういえば明は、なんで怒られてんの」
「修二くん、それ知ったら多分怒るよ」
「神崎さんは、言いたくないの?」
「うん」
「じゃあ、聞かない」
食事中の会話は、昨日の神崎さんの発表、今日の僕の発表の内容について意見を交わした。純粋に楽しい。
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