第22話 小樽

 今朝も僕の寝袋で勝手に寝ている明を蹴っ飛ばして起こす。

「痛ってぇな」

 今朝も文句を言って明が起きる。窓の外を見て、

「曇っちゃったな」

とポツリと言った。


 地下鉄で神崎さんと緒方さんと集合する札幌駅に行く。車内の広告が目新しい。地下鉄を降りてJR札幌駅に行くと、もう神崎さんも緒方さんも待っていた。

「やっほー」

 緒方さんが気楽に手を挙げる。

「おまたせー」

 明はハイタッチする。この二人、息があっている。

 

 電車に乗ると、空の灰色がどんどん濃くなってきているのがわかる。


「これは怪しい、というより危ないね」

 明がつぶやく。

「雪はいやだな、まだ慣れてない」

と緒方さんは心配そうだ。神崎さんは慰めるためにか、

「雪の小樽も綺麗だったよ。その靴なら問題ないと思うよ」

と言う。確かに緒方さんはゴツいワークブーツだが、僕も含め残り三人はただのスニーカーだ。

「緒方さん、この靴いいなぁ」

といいながら、明はかがんで緒方さんの靴に触る。

「ちょっと、はずかしいんだけど」

 流石に注意された。

 

 空の灰色はいよいよ濃くなり、小雪が交じる。日本海が見えてきたのだが、視界はぼんやりとしている。

「なんか寂しい景色だね」

と、神崎さんが言う。僕は、

「これが日本海なんだな」

と返した。まだ春は遠いのだろうか。


 小樽駅で列車から降り、運河へ向かう。緒方さんの強い希望だ。

 

 運河沿いの歩道は真っ白に雪が積もっている。倉庫群も白くなっている。

「2月に来たときより、雪が多いかも」

 神崎さんはそう言って、走り出した。危ないなと思って追いかけるが、滑りやすい道で中々追いつけない。そして神崎さんは滑って尻もちをついてしまった。

 追いついたところで緒方さんが呆れる。

「聖女様は一番多く来てるんでしょ?」

 明も、

「聖女様って、けっこうはしゃぐよね」

と言った。僕は手を伸ばして神崎さんを引き起こした。

「あ、ありがとう」

 神崎さんはちょっと恥ずかしそうだ。でも僕は手袋越しでも神崎さんに触れられて嬉しい。

「おーやさしいな」

 明に冷やかされた。

「うるさい」

 神崎さんはそう言って、また走り出す。僕はまた追いかける。

 

 あまりにはしゃぐ神崎さんに緒方さんが文句を言う。

「今日はさ、私を楽しませてくれるんじゃなかったの? 聖女様が一番楽しそうだよ」

 明は素早く、

「まあ、まあ、じゃあのぞみお嬢様は、この私めが」

と言って手を差し出した。

「うむ、よきにはからえ」

 緒方さんは明の手をとった。

 

 今度は緒方さんと明が手を繋いで前を歩く。後ろから見てもふたりとも楽しそうなのがよく分かる。神崎さんは僕を見て、

「唐沢くん」

と手を出してきた。嬉しくて手を繋ぐ。神崎さんは照れたのか、

「今日だけだからね」

と言う。僕は不満だが、

「はいはい」

と答えておいた。神崎さんは幼稚園児のように手を振って歩く。


 小雪の中、運河沿いの歩道を歩く。神崎さんは時々バランスを崩し、そのたびに手に力が入る。そんなことでも楽しいのか、そのたびに神崎さんは僕を見て笑う。

 輪講で数式と戦う神崎さんは、がむしゃらで、ひたむきで、なりふり構わない。物理のことを話す神崎さんは、知的で、理性的で、どこにも隙がない。二度の上高地のときもそうだったが、僕たちと遊ぶときの神崎さんは、感情のままに全身で楽しさの中に身を置く。

 いろいろな姿を見せてくれる神崎さんだが、僕はそのすべてを見てみたい。

 東京ではごくわずかしか彼女と時間を過ごすことができなかった。

 でも北海道で、二年間は彼女の近くで過ごせる。

 これからの二年間で僕は神崎さんの本当の姿を見て、僕が本当に彼女のことを好きなのか見極めたい。

 景色も見ないでそんなことを考えていたら、

「どうかした?」

と神崎さんに聞かれた。

「うん、楽しいなって思ってた」

「私も楽しいよ」

 繋いだ手に、彼女の力を強く感じる。

 

 美術館に入る。ステンドグラスが美しい。

 手袋を外すときに繋いでいた手を離してしまった。館内をまわるのに、その手が寂しくぷらぷらとしてしまう。

 

 神崎さんはステンドグラス越しの光に見とれているようだ。じっと眼を離さない。

 ついイタズラ心で聞いてしまった。

「もしかして、金属イオンのエネルギー準位とか考えてる?」

「もう、ロマンチックじゃないんだから」

と、頬を膨らませてちょっと怒られた。そのわりには、

「単独の金属だけじゃなくて、分子内励起とか、結晶場とか、あ、ガラスだから結晶場じゃないか」

などと真剣に考えだした。

 緒方さんが近寄ってきて笑いながら言う。

「聖女様、しょうがないなあ。でも修二くん、あんたってバカよね」

 明は明で、

「それが聖女様の魅力だし、修二、息あってんじゃん」

と珍しく的確なことを言ってくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る