第15話 若手の学校

 会場のホテルに向かう。無事ぬいぐるみは渡せたが、心拍数が下がらない。よろこんでくれているのか、僕のことをどう思っているのか。不安でならない。汗だけがたくさん出て、景色はまったく頭に入ってこない。

 

「お、おい、修二、ホテルだぞ」

「え」

 危うく「若手の学校」会場のホテル前を通り過ぎるところだった。

「あ、ごめん、考え事してた」

「聖女様のことか?」

「うるさい」


 受付をし、自室に向かう。なるべく仲間を増やせとのことだろう、明とは別室で四人部屋だった。同室のみんなが集まったところで、お互い自己紹介する。

「東京科学大3年の川崎孝雄です。よろしくお願いします」

「帝大4年の唐沢修二です。低温実験を専門としています。よろしくお願いします」

「大阪理工大4年の早川啓太です。僕は原子核理論です。原子核の実験について勉強しようと来ました。よろしくお願いします」

「仙台工業大学の修士1年、誘電体やってます。よろしくお願いします」

 大学もバラバラ、専門もバラバラである。しばらく各自の今やっていることを話し合った。専門外の知識が増えそうで楽しみだ。

 

「おーい修二、開校式始まるぞ」

 明がやってきた。うしろに明の同室であろう人々も見える。八人でまた自己紹介しあいながら開校式の会場宴会場へ向かう。宴会場では遠くに神崎さんたち女性陣が集まってわいわいやっているのが見えた。

 僕もしっかり勉強し、仲間を増やそう。

 

 開校式後、大宴会場でグループセミナーがあった。一つのテーブルに五人ずつ指定される。五人の研究分野はみなばらばらで、僕にとっては知らないことだらけだ。知らないことだけれど、それぞれが自分のやっていることを熱く語ってくれるし、そもそもみな研究を始めたばかりだから話も初歩的でわかりやすい。とくに兵庫で強力なX線をシンクロトロンで作って実験している人の話が印象に残った。光に近い速さで運動する電子を曲げるとX線が出る。普通に大学の研究室で何時間かかかる測定をほんの数分で出来てしまうくらい、X線が強い。さらにそれをコントロールしてX線をレーザー光のようにする研究をしているそうだ。僕のやっている物質でも将来そんな実験をするのかもしれない。

 

 夕食は場所を移して大食堂だった。神崎さんの発案らしい。宴会場で夕食、飲酒となると畳に座り込んで人が動きにくくなる。若手の学校では日本中に仲間をつくることも大事な目的だから、立てばすぐ動ける大食堂のほうがいいと、神崎さんが強く主張したらしい。

 

 グループセミナーのメンバーと大食堂に行くと、明に捕まった。

「おい、自由席らしいぜ。あっちに聖女様いるぞ。行くぞ」

 強引に連れて行かれた。

「修二、おまえここ」

 座らされたのは神崎さんの隣だ。おせっかいだがありがたい。

 

 神崎さんたちは女子グループで食堂に来ていて、自然僕たちは自己紹介する。

 はじめはみんなで楽しく食べていた。話題はもちろん物理である。神崎さんは絶好調である。

 しかしあるとき国立女子大の佐倉さんと言う人が、

「そう言えば唐沢さんと岩田さんは帝大ですよね。本郷のキャンパス、わたしたちの大学と結構近いですよね」

と言うのでつい、

「そうですね、どこかで会っているかもしれないですね」

と答えたあたりから、神崎さんの飲むペースが早くなった。顔つきは険しい。

 なにか気に触ることでもあったのかな、と思っていたら飲みすぎたのか神崎さんの顔がゆるんできた。気持ちよくなってきたのか国立女子大の伊東さんをつかまえて、ガラスについて質問している。かなりしつこく質問している。

 

 肩をトントンと叩かれた。見ると健太の彼女木下さんだ。

「修二くん、ごめん、席代わって。聖女様飲み過ぎだわ」

 席を代わると神崎さんの両サイドを緒方さんと木下さんで固めている。神崎さんがビールを飲もうとすると、

「聖女様、ダメ」

と言って、水の入ったコップを握らせる。そんなことが何回も繰り返されるものだから、神崎さんのことをみんな聖女様と言い出してしまった。


 若手の学校のチェックインから三泊、まったく観光はできなかった。もともとスケジュールはつめつめ、夜に飲みすぎるので朝はダラダラ、昼から夜は物理漬けで景色を見る余裕はまったくなかった。それだけに最終日ホテルを出て、梓川の土手に座ってみる穂高は美しかった。空の高いところに見える雲が秋の訪れを予告している。

 明と僕、そして扶桑の女子三名は並んで穂高を見ていた。五人とも静かにしばらく景色を堪能していたのだが、緒方さんが言い出した。

「私、札幌受ける」

 神埼さんが応じる。

「え、扶桑に残るんじゃないの」

「今回ここに来てわかった、外に出なきゃダメだ」

「出願間に合うの?」

「実は林先生とも話してある。最後の決断だけの問題だったんだ」

「そうなんだ」

 木下さんはちょっと寂しそうだ。

 明が発言する。

「実はさ、俺たちも札幌にした。柏はもう辞退した」


「私だけ、川崎だぁ」

 木下さんはがいよいよ寂しそうに言うが、緒方さんが返した。

「健太がいるじゃん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る