第14話 プレゼント

 九月になっても全く涼しくなったわけではないが、とにかく「実験物理 若手の学校」への出発日が来た。健太経由で扶桑女子大の連中と連絡をとって、一緒の夜行バスを予約していた。新宿集合だ。今回も僕たち男子はずいぶんと早く着いてしまった。すると驚いたことに、女子三名はもう着いていた。

「あ、来た来た、明くーん、修二くーん」

 緒方さんが僕たちを見つけ、大きく手を振っている。その横で神崎さんが小さく手をふるのも見えた。

 

 僕と明は、扶桑女子大の人たちに進学先を伝えていなかった。明は呑気にも連絡しようと言っていたが、僕は反対した。下手な伝え方をすると嫌われそうな気がしたからだ。自動的に神崎さんの進路も聞けずにいた。気にはなるのだが、とにかく自然な振る舞いをして、それとなく伝え、それとなく聞こうと考えていた。

 

 今回一行は五人だから席は二人並びが二つ、それと他のグループとの相席一つである。男子二名だから自動的に僕と明は並びになり、女子はじゃんけんで席を争っていた。神崎さんが負けてしまい、強烈に悔しがっていた。「どうせ寝るだけだし」とか、「帰りは負けない」とか、しばらくブツブツ言っていた。

 

 バスで一晩過ごし、上高地は快晴だ。ホテルに一番近い上高地一つ手前のバス停で降りる。勉強道具で荷物は重い。プロジェクターは別便で送ってあり、すでに到着済みの連絡を宿で働いている親戚の隆さんから受けている。

 

「ねぇ、木の葉っぱの色が六月と違わない?」

 神崎さんが言った。

「秋だから、葉緑素がしっかり定着してるんじゃない?」

と説明したのは緒方さんだ。

「そうか、新緑はまだクロロフィルが少ないのかな?」

 クロロフィルとは葉緑素のことだが、明が応じている。

 

 梓川にかかる橋は、河童橋と異なり激流にかかっている。

「流体の連続方程式ってあるでしょ。それからこの流れの深さって計算できないかな?」

 神崎さんがいい出した。

「うーん、流速は秒速何メートルだ?」

 明が反応した。

 

 そんな感じでホテルまで会話した。

 その会話が途切れたのは、僕が動物の糞が橋の欄干に見つけたときだけだ。わざわざこんなところにするのはサルだろう。

 

 ホテル玄関で明が小声で話しかけてきた。

「おい修二、俺たち理系の会話がふつうに女性とできてるぞ」

 なるほど、僕たち理系は景色一つ見てもこんな感じの会話になってしまう。たいていの女性はドン引きであるが今回は違う。

「修二、この人たち逃がしちゃいかんぞ」

「うん、そうだね」

 とりあえずそう応じておいた。もちろん神崎さんを逃がす気はない。

 

 宿に荷物を置かせてもらってハイキングに出る。

 

 ホテルを出てすぐのウェストン碑を見て、つづいてウェストン園地へ入る。木道を歩いて湿地を見学する。僕の前を歩く神崎さんが木道の上に伸びた枝にひっかかっている。それを抜けたあとこちらを振り返り、恥ずかしそうな顔をしている。しっかりしている神崎さんのめずらしい失敗を見てしまった。

 

 ウェストン園地から岳沢湿原に向かうが、途中の林道は埃っぽく暑い。そのせいか観光客がほとんどいない。

 

 岳沢湿原は空の青、針葉樹の緑、水の翠、そのコントラストに眼を奪われる。その水面をカモ類がツガイになって泳いでいる。水面下に潜るときのおしりがかわいい。

 神崎さんと眼があった。何がいいたいのかよくわからない。

 

 明神池を見学したあと明神橋を渡る。乾いた河原を熱風が吹く。ホコリが気になる。

 

 対岸の山小屋の前で休憩した。お菓子を分け合って食べるが、神崎さんはバナナオーレのパックを出した。小屋の前からは梓川は見えない。そのかわり穂高の黒い岸壁がよく見える。明神岳というらしい。

 

 昼食後、河童橋下の河原で休憩する。人が多い。女子はアイスを買ってきて食べている。僕と明は女子に断って、売店へ行く。

 売店では六月に神崎さんが買っていたかっぱのぬいぐるみを見つけた。神崎さんは緑色のかっぱを買っていたが、ピンクのもある。札幌でもぬいぐるみを買うのに相当迷っていたから、このピンクのかっぱもほしいのではないだろうか。

 買うべきか、買わざるべきか悩んでいたら、明が横に来た。

「これ、聖女様にあげたら喜ぶよ、絶対」

「そうだな」

 僕の気持ちをプッシュしてくれる明に心のなかで感謝しながら、レジにそれを持っていった。

 

 河原に戻ると女子三人がおしゃべりしている。僕たちの接近に気づいた神崎さんが、

「なに買ったの?」

といいながら僕の買ったものの袋の中を覗き込んだ。

 実のところいつ渡すか迷いがあったが、もうこうなれば今渡すしかない。

「これ、神崎さんに」

と言って、僕は袋を神崎さんに押し付けた。

 神崎さんは袋の中と僕の顔を何度も見返して、しばらくして言ってくれた。

「ありがと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る