第13話 合格

 北海道から東京へ返ってきて、翌日から日常はまだ戻ってこなかった。なぜならお盆休みに入ってしまったからである。お盆休み中は研究室も休みだ。お盆休みが終われば実験の日々の合間に院試がまだある。だからお盆休み中にしっかり勉強しておかないといけない。

 

 それにしても暑い。同じ日本とは思えない暑さだ。冷房を切って勉強していると、汗で計算用紙がすぐにしわしわになってしまう。勉強の効率があがらないので、明に連絡する。


「おう、修二、どうした。聖女様が忘れられないか?」

「うるさい、暑くて勉強がすすまん。明、どうしてる?」

「親に頼み込んで、冷房つけっぱなし」

「いいなぁ、うちは古い木造だからな、冷房効かないんだよ」

「じゃ、うち来るか? マンション、コンクリートだから冷房効いてるぞ」

「いいな、じゃ明日行っていい?」

「おう、来い来い、勉強しよう」


 翌日明の家に行った。明の家に行くのは久しぶりだ。母に言われた土産を持ってエレベータをあがる。

「修二くん、いらっしゃい」

「お邪魔します」

 

 明の家は古いマンションだが、中は片付いている。荷物が少なく見通しがいいので、広く感じる。明のお母さんが片付け好き、きれい好きなのだろう。しかし明は一人っ子だからか甘やかされて育ったようで、自室はごちゃごちゃである。しかし冷房はしっかり効いていた。

 

 明には無断で床に散らばる本を部屋のすみに重ね、自分のスペースを作る。明の家に来たときはいつもこうである。明もなにも文句を言わない。部屋のすみに立てかけてあったちゃぶ台を出し、持参した教科書をひろげると、明は自分の勉強机を使わず向かいに座った。

「いまどこやってんだ?」

 明が聞いてきた。苦労しているところを明に示す。

「このさ、水素状原子でね……」

 量子力学の教科書にかならず出てくる部分だが、球面調和関数がでてくるあたりで躓いていた。明はさすがは理論研で、淀みなく説明してくれる。

「しかし修二、こんなの院試に出るか?」

「わからん。だけど磁性をやっている以上、気になるんだよ」

「おお、さすがは聖女様の旦那様」

「お、おい、そんなのわからんだろう」

「少なくとも、聖女様はおまえのこと嫌ってはいないぞ」

「そ、そうかな」

 

「あら修二くん、何の話? 彼女?」

「いや、そんなんじゃないです」

「えー、明、どうなの?」

「うーん、まだ彼女じゃないな」

「うるさい、勉強するぞ」

 明のお母さんは、麦茶と土産に持ってきた焼き菓子を置いて笑いながら出ていった。

 出ていき際、

「修二くん、試験までの間、毎日うちで勉強すれば? っていうか明、のんびりしてるから心配なのよ」


 そんな訳でほぼ毎日、明のうちに入り浸った。


 札幌国立大学は、無事合格することが出来た。

「修二、結局札幌に行くのか?」

 夕食時、父がビールを飲みながら聞いてきた。

「うん、柏の結果はまだだけど、辞退届出して札幌に決めてしまおうと思う」

「もともとそういう話だったからな。迷うことはない」

「うん」

「それより神崎さんだったか、大丈夫そうか?」

「あー神崎さんは僕より優秀だから大丈夫だよ」

「そうじゃない、おまえ、神崎さんとはどうなんだ?」

「わからない」

「しょうがないな」

 父はもう一口ビールを飲んだ。

「修二、お付き合い始めたら、ちゃんと紹介してね」

 母も僕を応援してくれているのはありがたい。

 

 翌日大学で明に会う。

「明、おまえどうすんだ」

と聞いてみた。

「俺、札幌行くよ」

「柏は?」

「俺、札幌気に入ったよ。あと修二、おまえと聖女様も見ていたいしな」

「なんだよ」

「修二、お前の気持ちはバレバレだよ」

「うるさい、邪魔すんなよ」

「わかってるって」

 明は本当に応援してくれているのか、面白がっているだけなのか、全くわからない。

「明、おまえんち、札幌行くの許してくれたのか?」

「お~大丈夫、むしろ母さんなんてさ、一回一人暮らしして家事の大変さわかれって言ってた」

「そうか」

「父さんもそうでさ、俺、まったく信用されてないんだよ」

「あの部屋だからな」

「あれでもどこになにがあるかわかってるんだよ」

「あー部屋とか机とか汚いやつがかならずいうやつだな」

「ホントだって」

「ま、札幌できっちり生活能力鍛えるんだな。そうしないと将来お嫁さん来ないぞ」

「それな~」


 後で思ったのだが、明は意中の人はいるのだろうか。

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