第8話 進路

 上高地から帰って、進学希望の四年生たちは卒業研究と並行して受験勉強をしていた。僕たち帝大の人間は、ほとんど帝大に進む。研究環境はトップクラスだし、人数も多く入学させるのでわざわざ他大学を目指す者は少ない。

 ただし、気をつけなければならないことがある。帝大は二⃣年生までは教養課程と言って理工学を一通り勉強するが、一年の最初から物理専門に勉強する大学も沢山ある。とくに山手線のど真ん中にある理科専門の大学などが油断がならない。僕も大学受験のとき滑り止めで受けたくらいだ。

 だからきちんと勉強しておかないと足元をすくわれることになりかねない。

 

 ある日明たちと受験勉強していると、健太が研究室に飛び込んできた。

「おい修二、明、聖女様第一志望、札幌国立大なんだって!」

 はじめに反応したのは明だった。

「え、俺、ここ柏に来るんだと思ってた」

 僕としては情報の確度のほうが心配だ。

「健太、それ誰に聞いた?」

「優花から聞いた」

「じゃ、ガセじゃないな」


 僕は何故神崎さんが札幌を目指すのか気になった。先程健太から聞いた話だと、扶桑女子大の偉い先生からの指示だそうだ。なんでも、柏の実験は技術屋よりすぎで、神埼さんには札幌のように現象そのものを追いかける研究者の近くにいたほうがいいということだ。

 調べると確かに柏の実験は、日本の先端的な実験技術を目指していることが多い。その最たるものが超強磁場の実験だ。日本のというより、世界のトップクラスだ。帝大は日本の研究ネットワークでそういう役割だ。

 神崎さんは本当は実験がやりたかった。だから札幌のようにバランスよく実験をやっているところのほうが進学先としてふさわしいということらしい。

 

 そうとなると自分の進学先も疑問に思えてきた。神崎さんと同じ大学に行きたいという不純な動機はさておき、柏の外の世界を見るのもいいのかもしれない。明日小田先生に相談してみよう。

 

「小田先生、大学院進学についてなんですが」

 勇気を出して小田先生に相談してみたのだが、意外にあっけない答えが返ってきた。

「なに、他の大学受けたいの? いいと思うよ」


 先生によれば、自分で育てた学生を、もっと自分で育てたい気持ちはあるという。だが、若いうちにいろいろなところを見たほうがいいと言う。

「帝大生はね、帝大だけが大学と思っちゃうところがあるからね。それは他大学の研究者にめちゃくちゃ失礼だよ」

 それはそうだと思う。

「あとね、同じところにずっといるのは良くないよ。人が動いて学問が動くんだよ」


 そういうわけで、僕の第一志望を札幌国立大にしたいと思うのだが、問題は僕の両親だ。その日家に帰って早速両親に話してみた。

「父さん、母さん、大学院なんだけど、札幌国立大受けようと思うんだ」

「え?」

 予想通り、両親の反応は芳しくなかった。

「どういうことだ?」

 父の声音は厳しい。一瞬で建前論ではダメだとわかる。

「父さん、好きな人ができた。今、扶桑女子大の4年生なんだけど、札幌国立大学に進学する」

「おつきあいしているのか?」

「いや、まだ」

「それじゃ、いいとは言えん」

「いや、むしろ、お付き合いしていなからこそ、札幌に行かなきゃいけないと思う。札幌でなんとかする」

「お前、学問はいいのか?」

「うん、僕は実験だけど、柏は技術開発的な側面が強い。札幌はバランスよく自然現象を見つめる研究をしていると思う」

 父に反論させないため、僕は言葉を継いだ。

「あとね、人間として、学問が僕の半分、伴侶を見つけることが半分だと思うんだ。両方やるには札幌しか無いと思う」

 母が口を挟む。

「修二、どんな人なの?」

「うん、扶桑女子大でやっぱり物理を学んでる。物理のことになると一直線で、まわりが見えなくなって、とにかく一生懸命な人だよ」

「そういえば、こないだ上高地行ったけど、その時の人?」

「うん」

 僕はスマホを持ってきて、写真を見せた。拡大して神崎さんを指差すと父は、

「地味に見えるけど、きれいな人じゃないか」

「それはあなた、他の子が化粧してるけど、この人、してないでしょう。化粧したらきっときれいよ。それに理性的に見えるわね」

「うん、勉強自体、僕よりできると思う」

「そうか」

「神崎さんは理論、僕は実験で、物理をやっていきたいんだ」

「そうか」

 父は腕を組んで考え始めた。こうなると父は、何を行っても無駄だ。決して自分の考えを変えない。母はおろおろしたように、父と僕を交互にみている。

 

 何分立っただろうか。父は口を開いた。

「わかった。好きにしろ」

 厳しい口調だった。

「私はね、いままで女の子の話一度もなかったでしょう。だから思いっきり追いかけてほしい」

 母も賛同してくれた。

「ああ、通帳どこかな」

 父が母に尋ねる。

「ああ通帳ね。私持ってくる」

 母が部屋を出ていった。

 

 すぐに母はもどってきた。僕の前に、貯金通帳をおいた。見たことのない通帳だが名義は僕になっている。

「修二の結婚資金にと思って貯めといたんだが、この話は広い意味では当てはまるだろう。うちの経済では仕送りの金額は大した金額は出せないが、これがあれば博士くらいまではなんとかなるだろう」

 通帳を開けてみると、びっくりするくらいの金額が書かれていた。

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