第2話 実験の研究室へ

 一目惚れってあるとあると思う。神崎さんはお店に入ってきた時から目を引いていたし、僕の正面で語る物理の話も面白かった。木下さんや緒方さんは酔いすぎた神崎さんについてしきりに謝ってくれたが、気にならなかった。

 お酒のせいとは思わない。お酒は口を軽くするけれど、それは本音が出るだけだ。神崎さんがどれだけ真剣に物理に向き合い、打ち込んでいるのかよくわかった。


 僕も物理を目指そうと思う。


 小学生にあがったころからか、実験とか工作とか好きだった。親にねだって顕微鏡を買ってもらい、その辺にあるものを片っ端からのぞいてみた。

 本も好きだった。物語も楽しいが、科学や社会の解説ものも楽しい。楽しいから、書いてあることは一回で覚えることができた。四年生の時親が図鑑セットを買ってくれ、ボロボロになるまで読んだ。だから中学受験の時、理科社会ではなにも苦労しなかった。


 中学からは理科と国語で点をかせいだ。小学校時代の貯金がきいたのだろう。数学がイマイチだったぼくは、高校2年にあがるとき理系と文系で悩んだが、女の子が多そうな文系はなんとなく避けた。

 

 帝大は理科Ⅰ類に入り、今に至る。来年どの分野に進むか決断ができないでいたが、神崎さんのおかげで決めることができた。


  合コン翌日の月曜日、大学で健太と明にあった。開口一番明が言う。

「いやぁ、昨日の合コン面白かったな。とくに神崎さん」

「そうだろ、優花といっしょに何回か会ってるけど、物理一直線で面白いんだよ」

 健太が相槌を打つ。

 僕としては明が神崎さんに興味をもつのは少し気に食わないので、他の人の話題に持っていきたい。

「緒方さんも面白い人だったよね」

「ああ、俺の正面のひとね。ものごとはっきり言うし、魅力的だよね」

「また会いたいなぁ」

「お、修二がそう言うの珍しいな。聖女様、気に入ったか?」

 健太が驚いたように言う。僕は話題をそらそうと、

「そのさ、聖女様っていう言い方、神崎さん嫌がってなかったかな」

「そう? 俺、いつもそう言っちゃってるけど」

「いいのかなぁ」

「とにかくさ、また会いたいっていう方向で優花に伝えとくよ」


 残念だけど、再びの合コンの話は全然こなかった。

 

 3年になり希望通り物理学科へとすすんだ。バイト先の女の子と仲良くなったりしたが、それ以上さきに進むことはなかった。女の子とすごしていると、つい神崎さんと比較してしまう。合コンでたった二時間ほど話しただけだが、強い印象を残した女性だった。

 僕は神崎さんのことが本当に好きなのかよくわからない。わからないからこそ、もういちど彼女に会って話をしてみたい。物理を勉強していれば、どこかで出会うこともあるだろう。

 

 物理学科での勉強は、それまでの教養課程とは違った。教養課程で学ぶ仲間たちは、将来の希望が異なる者が多い。教養課程で学ぶ内容は、もしかしたら将来に繋がらないかもしれない。だけど物理学科では皆、今学ぶ物理で一生勝負する気でいる。学べば学ぶほど自然に対す理解が進み、同時に自分がどれだけ物がわかっていないか思い知らされる。だから物理学科での日々は楽しかった。

 

 4年に進むとき、研究室の振り分けがあった。僕は第一志望に超伝導体を中心とした低温実験の小田研究室を選んだ。木下さんとつきあう健太から、神崎さんが実験で苦労していることを聞いていたからだ。彼女が実験で苦労するなら、僕が実験をすればいい。もしかしたら邪なのかもしれないが、それだけの理由だった。

 

 小田研究室は、千葉県にある帝国大学の柏キャンパスにある。中央線沿線の自宅からは、通学時間が猛烈に長くなった。しかし都心のキャンパスに比べて広々としているし、建物も新しくて清潔だ。実験が長引いたときは泊まるしかないだろう。そう思っていたら、研究室生活三日目で、もう徹夜になった。

 

「唐沢くん、実験手伝ってよ」

 研究室での2日目、そう言ってきたのは博士課程1年目(D1)の篠田次郎先輩だった。

「はい、で、何の実験ですか?」

「うん、反強磁性の重い電子系物質の比熱測定」

 比熱の測定は時間がかかると聞いていたからつい顔が微妙になってしまったのだろう、篠田先輩は言葉を続けた。

「あー俺は徹夜だけど、唐沢くんは適当なところで帰って大丈夫だよ。夜はひたすら測定だから、一人でもできるし」


 比熱とは、物質に一定量の熱を与えたとき温度がどれくらい上がるかを示す量である。物質の状態に応じて変化する量なので、物質がどういう状態にあるかを教えてくれる。

 今回の実験では、一旦液体温度を目いっぱいまで下げてスタートする。そこから物質にちょっとずつ熱を与え、温度がどう変化するか調べていく。

 

 篠田先輩は、手伝いと称して実験の仕方を実地に学ばせてくれる気なのだろう。

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