聖女様と物理学

スティーブ中元

第1話 出会い

「あんた、物理なめてるのよ」


 その人との出会いは衝撃的だった。友人に連れられてきた合コンで、僕は自分が進路に迷っているといった瞬間、投げつけられた言葉だ。

 

 僕は東京の帝国大学の2年生、唐沢修二だ。理系だが、3年からの進路振り分けに悩んでいた。もともと子供の頃から理科が好きであったが、理学系に進むか工学系に進むか決断できないでいた。うじうじしている僕を気遣ったのか、村岡健太が合コンに誘ってくれた。いつも3人でつるんでいる岩田明とセットだった。

 

 健太と明は大学入学以来、なんとなく仲良くしている。健太は扶桑女子大の同学年に彼女がいて、その彼女の友達を連れてきてくれるとのことだ。合コン会場最寄駅の改札で健太に会うと、イケメンの健太がさらにお洒落している。もう暑い7月なのに、どうすればおしゃれすればいいのか僕には想像もつかない。

 

「修二、せっかくの合コンなんだからさ、もう少し格好に気を使ってくれよ」

「ああ、汗臭いのだけはまずいから、家出る前にシャワー浴びてきたんだけど」

「じゃあ、その頭は何だよ」

「シャワー浴びてすぐ家を出たから、チャリの風圧かな?」

「もういい」


 そんな会話をしていると、待ち合わせ時間ぴったりに明がやってきた。

「よっしゃ、時間ピッタリ」

 こいつは集合時間をプラスにもマイナスにもならないよう厳密にあわせる癖がある。

 

 明に文句をいってもしかたないのはわかり切っているので、合コン会場に向かう。雑居ビル4階にあるイタリアンレストランだ。緑・白・赤のパターンがイタリアを強烈に主張している。予約の席に案内され、女子の到着を待つ。

 

「なんで男子が待つのが定番なんだろうね?」

 明がもっともな疑問を口にする。

「そんなの、女子に気持ちよく過ごしてもらうために決まってるだろう」

「だけどさ、俺は男女平等主義なんだよ。べつにどっちだっていいじゃん」

「あのな、女子の機嫌を損ねたら、あとが大変なんだぞ」

 男子校出身の僕は、何も言うことができない。

「ま、最終兵器はあるけどな」

「健太、なんだよ」

「甘いもの食べさせときゃ、いいんだよ」

「それは失礼じゃないか?」

「優花はだいたい大丈夫だぞ」

「のろけかよ」

 健太と明の掛け合いを、ボーっと聞いていた。

「修二、静かだな。緊張してんのか?」

 急に明にふられた。

「いや、なんか別世界の話を聞いているようでね」

 そんなことを話していたら、女子3人がやってきた。

 

「「「こんにちはー」」」


 全員着席したので、男子から自己紹介をする。

「僕たち3人は帝大の2年で、みんな理系です。僕は村岡健太、木本優花さんとお付き合いさせていただいてます」

 小柄で茶髪のかわいい感じの子がちょとっとお辞儀した。健太がメロメロなのがよく理解できた。

「僕は、岩田明です。人生楽しいことが大事と思ってます」

「唐沢修二です。よろしくおねがいします」


 つづいて木本さんが言い始める。

「木本優花です。私達は扶桑女子大附属中からずっと3人いっしょです。みんな物理の2年です。今日はよろしくおねがいします」

 赤みがかったショートカットの人が次に口をひらいた。

「緒方のぞみです。私も、人生楽しいのが大事かな?」

 明をみつめながら、いやにらみながら言った。

 次の人は、3人の中で一番背が高く、黒髪でノーメイクだ。透き通るような色白な顔に理知的な瞳が輝いている。

「神崎杏です。よろしくお願いします」

「あだ名は聖女様です」

 緒方さんが神崎さんの言葉に被せるように言った。

 

 店内に入ってきたとき、杏さんは列の最後にいた。他の二人はおしゃれに着飾っていたが、白のブラウスにクリーム色の膝上丈のパンツを合わせた彼女は、却って目を引いた。僕の前の席に座ったときは、正直ラッキーと思った。聖女様と言われても、かけらも違和感がない。

 

「学園祭の劇で、私が聖女役をやっただけでしょ」

 抗議するように杏さんは言うが、緒方さんは、

「でも、聖女様ってぴったりでしょう?」

と言う。明は、

「ほんとそうだね。俺も聖女様って言おうかな」

などと言うので、

「流石に初対面でまずいんじゃないか?」

と僕は注意した。

「えー? いいんじゃない?」

 木下さんは肯定する。神崎さんは横を向いている。

 

 少し神崎さんの機嫌が心配だったが、とりあえずのビールがきたので乾杯する。神崎さんはいい飲みっぷりだ。飲み慣れているのだろうか。

 サラダが来る。

「私、ワイン飲みたい」

 ビールを飲み干してしまった神崎さんがリクエストした。木下さんが店員さんを呼ぶ。ワインはすぐ来た。パスタ、メインディッシュと進む料理はどれも美味しい。会話もはずむ。神崎さん以外は。

 なにか話をしないといけないと思った僕は、神崎さんに話しかけた。

「神崎さん、物理ってなにが面白いの?」

 酔って緩んでいた神崎さんの顔が、ぐっと引き締まった。

「そんなの面白いに決まっているでしょう。いま抗議で相対論勉強してるんだけど……」

 神崎さんはバッグからペンとノートを出して説明を始めた。パラパラとめくるノートには計算式が真っ黒に書かれており、白いページは結構後ろの方だった。

「あんたたちは、帝大だから、もうマクスウェル方程式くらいは知ってるでしょう」

「うん」

「これがね、ガリレイ変換じゃ成り立たないのよ」

「それは知ってる」

 緒方さんと話していた明が乗ってきた。

「じゃ、それ証明できる?」

「いや、まだ」

「それはね……」

 神崎さんは説明しながらガンガン計算していく。緒方さんは呆れた顔をしている。木下さんは健太と話しているので関係ない。しばらくしたらローレンツ変換にたどり着いた。

「宇宙を理解するにはね、まず相対論を理解しないと。まだ私は特殊相対論しか勉強してないけど」

「よーし、俺は一般相対論を勉強して、宇宙に挑戦するぞー!」

 なんか明が将来を決めてしまったようである。気になった僕は神崎さんに聞いてみた。

「神崎さんも、宇宙やりたいんですか?」

「いや、私は超伝導」

 即答された。先程までは相対論について熱く語っていたのに。

「どうして超電導なんですか」

「私、高校のときに見たのよ。高温超伝導体の上に浮かぶ磁石を。あれは不思議よ」

「そうですね」

「そもそもね、電気抵抗がなくなる世界よ。相転移しちゃうのよ」

「はい」

「まだちゃんと勉強してないけどね、その相転移の考え方と、宇宙の始まりの話と関係があるらしいのよ」

「はい」


「それで、あんたは将来なにやるの?」

「いや、まだよくわかんなくて」

「?」

「数学はちょっと手が出ないけど、物理もおもしろそうだけど、実用を考えたら工学系も捨てがたいし」

 ここで何故か神崎さんが切れた。

「あんた、物理なめてるのよ」

「はい?」

「物理さえちゃんと勉強してたら、なんだってできるのよ! それに超電導以外でも、いっぱいいっぱい面白いことがあるのよ。私にはやらない選択肢は無い!!」


 ここで緒方さんが助けてくれた。

「ああ、聖女様の物理帝国主義が出ちゃった。でも気を悪くしないでね。これを言うのはよっぽど気を許した人だけだから」

「いいえ、神崎さんが真剣に物理を志しているのがよくわかりました」

 

 そのあと物理の話をいっぱいして、神崎さんは潰れてしまった。

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