第6話 聖母様と物理学~その1

「聖女様親衛隊始めていいですか?」


 明くんから私神崎雪帆あてにメールがあった。4月はじめ、一人娘の杏からは大学院の入学式がおわったと連絡があったばかりである。明くんは頭が良すぎて何を言っているかわからないことがあるので、直接通話することにした。

 

「もしもし?」

「聖母様、ごぶさたしてます」

「どう、そっちは?」

「やっぱ寒いですね。一ヶ月は春が遅いって感じです」

「勉強は?」

「それはもう、楽しいですよ」

「じゃ、札幌行って良かったね」

「はい、聖女様もバリバリ勉強してるみたいですよ」

「うん、よかった。で、親衛隊って何?」

「それはですね、聖女様を応援するSNSです。もちろん個人情報には気をつけます。ストーカーとかやばいですから」

「そうね。でもあの子に必要かな?」

「言いにくいですけど、聖女様ってちょっととっつきにくいとこあるじゃないですか。僕ら理系の男子からしたら声かけにくいですよ」

「そんなもんなの?」

「そんなもんです。これで札幌で仲間を増やせば、聖女様の物理学の世界が広がると思うんですよね」


 私はなんか明くんが表面的なことを行っているような気がした。

「話違うけどさ、明くん、杏のこと好きなの?」

「あ、ぼくはのぞみさんねらいです」

「ふーん、だとしたらさ、親衛隊の真の狙いがあるんじゃない?」

「わかりますか」

「うん」

「あのですね、真の狙いは虫よけです」

「そろそろ杏にも恋愛してほしいんだけど」

「ははは、大丈夫ですよ、修二ですよ」

「修二くん?」

「あいつはですね、聖女様に一目惚れです。いいやつですよ」

「じゃ、杏のために帝大捨てて札幌行ったの?」

「捨てて、っていうのはちょと違いますね。ちゃんと柏の先生と相談して、学問的にも札幌へ行くのがいいという話でしたよ」

「ならいいけど」

「とにかくですね、聖女様を札幌で快適に研究してもらってですね、修二ともうまく行ってほしいんですよ、僕としては」

「明くんって、おせっかいね」

「ハハハ、そうかもしんないす」

「しょうがないね」

「だってですね、あの二人、ほっとくと永遠にくっつかないですよ。修二は押しが弱いし、聖女様はその手のことに鈍感っぽいし」

「うちの娘を悪く言わないでよ」

「あ、すんません」

「冗談よ、あの子男っ気なさすぎて心配なのよ。修二くんなら安心だわ」

「やっぱそうですか」

「それよりもさ、杏は修二くんに気があるの?」

「おうちではそんな素振りはないんですか?」

「ない。全く無い」

「う~んとですね、僕と修二とで聖女様の対応が全く違うんですよ。僕は気楽な友達、修二のことは好きなんじゃないですかね」

「そうなんだ」

「問題はですね、聖女様が自分の感情に気づいてないんじゃないか、ってことなんですよ」

「ありそうね」

「とにかくですね、僕は修二に幸せになってほしいんですよ」

「なるほど、わかった。でもさ、あの子もう二十二よ。親衛隊にしたって別に親の許可なんていらないんじゃない?」

「そうでしょうけど、まあ後ろ盾が欲しいというか」

「後ろ盾?」

「バレたときにですね、聖母様にオーソライズされていればまだ被害は少ないかと」

「ま、わかったわ。ちょっと考えさせてもらっていい?」

「了解です」

「じゃ、また連絡する。勉強頑張ってね。修二くんにもよろしくね」

「ハイ」


 杏のことに関しては主人はまともな判断ができない可能性が高いので、他の意見を先に調べてみることにした。まずはのぞみママに電話してみる。


「もしもし、聖母様、もうさみしくなった?」

「ちがいますよ、先輩。先輩こそさみしくなったんじゃない」

「そんなことないよ、ただ、食事が美味しくないんだよね」

「やっぱりさみしいんじゃない」

「だからね、今までずっと夕食はのぞみが作ってたのよ。私が作るより全然美味しいんだから。うちの人なんて『のぞみに教われ』なんて言うのよ」

「はあ」


 のぞみママは扶桑の卒業生なので、子どもたちは彼女を「先輩」と呼んでいる。「おばさん」などと呼びかけるととたんに機嫌が悪くなるらしい。見た目も実年齢も私よりずっと若く、子どもたちからは大先輩なのだろう。つられて私もそう呼んでいる。私は「聖女様」の母親なので「聖母様」と保護者間でも呼ばれるようになってしまった。


「で、なんの話?」

「うん、あのね、明くんがね、SNSで『聖女様親衛隊』っていうのをやりたいって言ってきたのよ」

「ふーん、じゃ、のぞみはだめなんだ」

「え、のぞみちゃん、明くん好きなの?」

「多分。杏ちゃんと修二くんの噂話のなかにちょいちょい明くんのことが交じるのよね。だから意識してないということはないと思う」

「ふ~ん、でもさっき、明くんのぞみちゃん狙ってるって言ってたわよ」

「そうなんだ。ならなんで聖女様親衛隊なの?」

「明くんの言うにはね、ほっとくとあの二人永遠にくっつかないっていうのよ」

「何それ、自分の心配をしろっていうの!」

「でしょ。でもね、私、杏の味方が増えるのはいいかなってね」

「ストーカーとかは大丈夫かな?」

「それはね、明くんちゃんと考えてるみたい」

「ならいいんじゃない? 一応優花ちゃんにも聞いてみたら?」

「うん、ありがとう。そうする」


「聖母様、お久しぶりです。今日はなんですか?」

「優花ちゃん、久しぶり。あのね、杏といっしょに札幌行った明くんっていたでしょう」

「修二くんじゃなくて?」

「うん、明くん。明くんがね、SNSでね、聖女様親衛隊をつくろうっていうのよ」

「なんですかそれ、うける」

「杏ってさ、ちょっととっつきにくいというか人見知りというか、そういうとこあるじゃない。それの解消をねらってるらしんだ」

「明くんって、聖女様のこと好きなんですか?」

「ううん、明くんはのぞみちゃんが好きみたいよ」

「じゃあなんでなんですかね?」

「修二くんと杏が、じれったいみたいよ」

「あ、それわかります」

「ただね、明くんは気をつけるって言ってくれてるんだけど、ストーカーとかさ、ちょっと心配でね。あの子、無防備だから」

「いや、むしろ、いいんじゃないですか」

「へ?」

「親衛隊で情報共有してれば、かえって変なことできないんじゃないですかね」

「そっか」

「それに聖母様も参加しちゃえばいいんですよ」

「聖女様の様子がよくわかって、安心じゃないですか?」

「わかった。ありがとう」

「私も、参加しますから」

「うん、明くんに言っとく」

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